地動説は天文学の学問ジャンルを変えた #2
前回の記事でガリレオ・ガリレイを散々こき下ろした.
しかし結局,地動説の説明で何が重要なのかは一切語っていない.
これでは天動説批判のガリレイと何ら変わりはないカスになってしまう.
今回は地動説の意義と,天動説 → 地動説のパラダイムシフトの凄まじさについて紹介したい.
1. 天動説と初期の地動説
今日において,天動説 → 地動説のパラダイムシフトが壮大に語られるのは何故だろうか.
その答えを知るには天動説の背景を知らねばならない.
1.1 天動説は幾何学
天体の運動の基本は等速円運動であるとアリストテレスは語った.
天は地上と別の法則で運動し,そこでは完璧で永遠の円こそが存在するという思想によるものだ.
古代から円は永遠の象徴とされており,その円運動崇拝はアリストテレスからプトレマイオスへ.そして天動説として中世ヨーロッパに伝播していく.
天動説以前の天文学は,地球から見える天体運動を"円"で表現しようという幾何学の問題だったのだ.
1.2 初期の地動説
16世紀になると,正しいとされいたプトレマイオスモデル(天動説)に誤差が発見されるようになり,天文学者はこれの改良に躍起になっていた.しかし,円運動の組み合わせではなかなかうまくいかない.天動説での円運動表記に限界が感じられていたのである.
そんななか,『天球の回転について : De revolutionibus orbium coelestium』という著書でコペルニクスが地動説を発表した.
コペルニクスが提案したのは,「太陽を中心にしたほうが上手く円で表現できるのでは?」という主張だ.
これはまさに,ものの見方を180°回転させる革命(revolution)と言えよう.
しかし一方で,彼の提案は円運動による記述方法の新しいタイプにすぎない.彼の地動説も幾何学的な天文学でしかなかったのだ.
そして彼もまた,円運動の呪縛から抜け出せなかった一人であり,その旧時代の思想はガリレオ・ガリレイまで引き継がれることになる.
1.3 幾何学的には,天動説と地動説は同値である.
幾何的な天文学において,天動説と地動説を語ると,ある問題が出てくる.
初歩的な数学を勉強した人は,基礎的な幾何学問題が代数的に処理できることを知っているはずだ.
天動説は「地球を原点とした座標系で惑星軌道を記述する」ことを意味し,地動説は「太陽を原点とした座標系で惑星軌道を記述する」ことを意味する.
完璧に惑星軌道を表現できる地動説が発表されたとする.
太陽を原点として,地球を含む惑星すべてが時間tについての関数で表現される完璧な地動説だ.
幾何的に考えるならば,この地動説について,座標を地球中心に取り直す操作(各時間tでの太陽と惑星たちの座標から地球の座標を引いてやる操作)を施せば,ただちに完璧な天動説を描けるだろう.
幾何学だけでの議論では,完璧な天動説と地動説は同値なのだ.
もっとも,得られた天動説は肝心の等速円運動的な表現でないものの,幾何学上の話では,天動説と地動説に絶対的な決着をつけることはできない.
できるとすれば「どちらのほうがシンプルに美しく円運動で表現できるか」程度である.
現在のように「地動説が正しい」とはっきり言えるようになるには,幾何学から脱出する必要があったのだ.
その幾何学から最初に脱出した人物こそ,天才ヨハネス・ケプラーである.
2. ケプラー,楕円,そして重力
意図せず「農業,校長,そして手品」の構文になってしまった.
ケプラーの三法則で有名なヨハネス・ケプラー.
いったん第三法則は置いておこう.
彼の発見のうち,特別革命的なのは第一則と第二則である.
2.1 楕円の発見
先に説明したとおり,幾何的な天文学では”円運動”こそが天体の運動の規則であり,それに真偽を問う者は誰もいなかった.
その決まりきった運動に「なぜ?」という問いはナンセンスである.
重い物体は地面に落ち,火や空気などの軽いものは上へ昇ることと同じように,天体は延々と不変の円運動を行う.
感覚的にも永遠の象徴である円は特別であり,それが自然な運動であることに疑う余地などなかったのだ.
ケプラーに精密なデータを提供したティコ・ブラーエもその一人である.
彼は自分の死の前に弟子たちへデータを分配するわけだが,つい最近来たばかりで仲の良くないケプラーには,最も円運動から外れた火星のデータを託すことにした.
ティコとしては外れを渡したつもりが,大当たりだったのだ.
ケプラーはその資料と格闘しながら,惑星の真の軌道を見出す.
第一法則,惑星の楕円運動の発見だ.
ここでケプラーに人類史上初の問いが生じる.
「円ならわかる.それはきっと美しく,シンプルで,自然な運動だろう.
しかし,楕円は?楕円ならその運動に理由がなければおかしいだろう!?」
楕円という直感的に不自然な運動に確信を得たケプラーは,楕円運動の理由づけをせずには居られなかったのだ.
さらにケプラーは,太陽に近づくほど速度が上昇するという面積速度一定の法則(第二法則)に気がつく.
この第二則から太陽に近いほど強く働く引力を想像した結果,ケプラーは「重力」という半ば確信めいた仮説を立てることになった.
2.2 重力という仮説の意義
この理屈では太陽の重力に運動の原因があるため,地球を中心に惑星の運動を整理することはできない.どうしたって太陽を中心にする必要がある.
すなわち,重力という物理法則を導入してしまえば,天動説と地動説は交換ができなくなる.
地動説の真に革命的なところは「地球が動いている」ことではなく,幾何的な天文学に終止符を打ち,天体物力学を始めたことにあるのだ.
2.3 天体力学とニュートン
とはいえ,ケプラーの重力は誤解も多く,天体の運動を数理的に完全に捉えたものではない.
ケプラーの法則発見から80年後,その研究を引き継いで地動説を完成させた人物が,皆さんご存じアイザック・ニュートンだ.
彼は自身で提案した運動方程式とケプラーの法則を用いて,そこに重力という力が働いていることを数理的に証明した.
地上の物理法則を利用して,天体の運動から重力を発見したのだから,ここまでくれば脱アリストテレス主義が完了したといえるだろう.
3. 地動説は天文学の学問ジャンルを変えた
以上のように,アリストテレスから始まった幾何的な天文学は,ケプラーによって天文物理学に切り替わり,ニュートンによって完成せしめられた.
これが,科学の歴史において地動説が大転換とされる原因の一つである.
長々と説明したが,ホントはもっと複雑で,そして詳細に語ればもっと全体像が正確に,わかり易くなる.
ちょっとでも地動説の力学的な変遷に興味を持ったのであれば,ぜひ山本義隆の『重力と力学的世界 上 :古典としての古典力学』を手に取っていただきたい.
ケプラーやニュートンの見ていた世界観や,ガリレオが重力を認められなかった理由とその意義が紹介される,力学史の序盤を捉えるのに最高の書籍だ.
参考文献
※ 私個人の偏見的で誇張した言葉で書いていること,ご了承ください.
※私の説明不足,あるいは解釈が誤りがある可能性が十分あります.ぜひ書籍を読んでいただきたいです.
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