卒業や進級や退職や転職や・・・な季節。私はこの春、宮津生活2年目に突入する。これをどの漢字二文字にカテゴライズすればよいかは分からない。まあ、しなくてもよい。 最近、「もう4~5年くらいはおるんかと思った」とか「しゅんでるな~(味が染み込んでいるという関西弁比喩)」とか言っていただけることが多く。きっと宮津の町や人に受け入れてもらえているということだから、ありがたく、嬉しい。ただ、この町に馴染んできたことに嬉しく思いつつも、ここはあくまでも移住者であり続けようというところが
まだまだ太陽は強く、雲は濃く。 トンビの声が高らかに、姿は見えず。 お昼ご飯を自転車のカゴに積んでいて、 その声に怯えながらも、見惚れてしまう、宮津湾。 風上に、タバコをくわえたおじいちゃん。 どんどん雲が厚くなっている、気がする。 雲となれ、副流煙。
2024年4月21日。上宮津祭の本日(ほんび)。 仕事終わりの午後17時半頃、小雨降るなか生田神社へ駆けつける。ちょうど、太刀振りに続いて二台の屋台が鳥居をくぐろうとしているところだった。 少し離れて見ていると、近所でお世話になってるKさんがこちらに気づいてくれた。「夜中2時から寝てないねん」と目を赤くしながら笛を鳴らす彼。そう、上宮津祭の始まりは夜明け前。「過酷。でも楽しいね。ほら、もっと近くで見ておいで」 神社の中へ入ると、神楽が始まった。口を大きく開けたり、体を捻っ
ホストのお手伝いをする代わりに、滞在場所と食事を提供してもらえる『WWOOF(ウーフ)』というサービスがある。 大学3回生の春、2年前のちょうど今頃。 "時間だけはあるからなんかしらの経験したいよな"という、ふわっふわな動機で、私と友人Aはウーファーとなり、和歌山県は海南市のみかん農家さん宅へ転がり込んだ。 先日、せっかくなのでなにか残しておこうとその頃毎晩書いていた日記を見返す機会があった。それが意外に面白かったので、今現在の考察を加えてここへ記録してみる。 ※個人名は
農業という言語を介して、その土地に息づく生活や人について知り、感じ、学ぶ。 手元だけみれば地味で大変でしんどい作業かもしれない。 でももう一歩、二歩下がって見たとき、それが彼らにとっての居場所であるように見える。 土を耕し、苗を植え、種をとって、商品として世に送る。 この単純な工程の中には、ただ良い商品を世に出すこと以外の目的、彼らの居場所があるような気がする。 日々の情報交換や互いの生存確認、世間話に花を咲かす瞬間のその笑顔や、未来について語り合う真剣な眼差し。
“そろそろ受け身ではなく攻めの姿勢に変えていきたい” そんなようなことをぼやいていたあの頃(下記リンク)。宮津へ移住してきて3ヶ月目のこと。そしてそれから約3ヶ月、面白い渦に巻き込まれる側でなく、渦をつくる側に立つことはできたのか。 さて、タイトルにある【つたわりゃ英会話】とはなんなのか。それがまさに、この3ヶ月で私がつくった小さな渦だと言えるだろう。と、かっこよく自分の手柄にしたいところだが、正確には半分こ。同い年、同じ時期に宮津へ移住してきた“やっちー”という仲間
特等席。 花火の見えるクーラーの効いた部屋。 それはもちろん特等席だったけど、 夢中で覚えた知らない土地の 盆踊りを 滝のような汗を流しながら踊った あの大きな輪の中も、 私にとっては特等席でした。
"お盆やなぁ" この数日間で何度呟いたことか。 田舎や故郷という"帰る場所"がある友人を 羨ましく思った幼少期。 今、淡くもしっかりと心の隅にこびりついた その憧れの中にいる。 そこら中で肉を焼く香りがする。 そこら中で"おかえり"が聞こえる。 生きた人間も死んだ人間も、 みんな此処にいる実感。 これがお盆か。 この日、私の周りにいたほとんどの人は 家族でもなく、親戚でもなく、旧友でもない。 つい数ヶ月前、私が飛び込んだこの宮津という 小さな町で、たまたま出
今の私になくてはならない青いカブ。 キミは既にここに来ることを知っていたのか、と思うほどの光景。 海に映える青。 天橋立を通り抜けることのできる排気量。 凸凹の砂利道にも、毎日の長距離通勤にも 負けない車種、スーパーカブ。 あの時キミを選んだのには、なにか意味があったのかもしれない。 意味をこじつけて、毎日に小さな幸せや希望、勇気を見いだす。 運命だと思い込んで生きる。 それも悪くないよね。
畑の野菜がだんだん大きくなってきて、そろそろネットやら支柱やら必要やなということで、近くのホームセンターまで買いに行ってきた。ただなんせ足がバイクしかないもので、2mの支柱を買うとなると流石に危ないなと。でも幸いにも、軽トラの貸し出しをしてるようやったのでひと安心、借りることに。ちゃんとオートマかどうか(MTに関してはペーパーなもんで)店員さんに確認を済ませて、貸し出しは会員限定だというからちゃんと会員手続きもして、準備はバッチリ。 購入した支柱を数本積み込み出発。乗り
宮津に越してきて3ヶ月が経とうとしている今日この頃。以前から頻繁に通って色んな人と出会い、繋がっていたこともあってか、あらゆるコトの進みがはやくて濃い。自分が思っても見なかったことや、やったこともないことで溢れる毎日で、明らかに通常の3倍濃縮くらいの3ヶ月だと思う。そんな予想の斜め上をいく日々に、なんだかんだヌルッと適応している自分に我ながら感心するとともに、“4月に移住してきました!”というフレッシュな心でそんな自分を見ると、なんだかすごく笑えてくる。いわば心と体が一致し
海の京都 宮津に越してきて約2ヶ月。生活の中に海がある。買い物は海のそばに立つスーパー。通勤ルートは海沿いの道路、なんなら天橋立。遊びは海の上を漂うSUP。その日常がもう当たり前になりつつあるほど、生活の中に海がある。 すぐに海へアクセスできる環境になってから、心の波が穏やかになったように感じる。今思えば宮津に来るまで、一時期の流行りや周囲への妥協に頭の容量を取られ、無駄な時間やお金、知恵を使っていたなと感じる。ただ頭の余白=不安を埋めたいがために、いらない情報で窮屈だ
ソフトボール級の玉ねぎもらった。 1つで3食分はある。 今、玉ねぎが収穫時期らしく、各方位から玉ねぎが届く。 感謝。 田舎にいると、旬を実感する。
2023年5月15日。3日間に渡って行われた『宮津祭(山王祭)』の最終日。4年ぶりの開催となった今回、空は祝福するように晴天。今年4月に移住してきた私にはもちろん初めてのこと。しかしそんな私にも分かるほど、この日の町は熱を発していた。 祭は『市内巡幸』から始まる。朝から数十人もの男性が約1トンもの神輿を担ぎ、「よぉっさー」という掛け声とともに宮津市内を巡幸する。腹の底から張り上げる声、表情を歪め歯を食いしばる姿に、見ているこっちまで力が入る。そんな"漢"の根性のようなも
このたび“家庭菜園やってる人”になりました、アニーです。なんでもできる人になるという目標も兼ね備えてやって来た宮津。経験したことないことに挑戦するのが好きなんです。多分、自分にできないことがあることが悔しいんだと思います。小さい頃からとにかく何かに負けるのが嫌で、「私だってできる!」の精神で生きてきました。それはそれは厄介な性格やったと思います、昔は。親戚や友人家族とトランプでババ抜きなんてしようもんなら、ババが回ってきた途端に泣いてましたからね。まだ勝ち目はあるのに、自分
雨が多い宮津。 「弁当忘れても傘忘れるな」を実感する日々。 でも嫌いじゃない。 "雨なのになんかこう過ごしやすいのはなぜ?"ー奥田民生『コーヒー』 青いカブにはオレンジのカッパやろって気に入って買ったカッパ。 だからなのか。