アニー、新卒宮津移住までの道のり
京都府北部に位置し、“海の京都”と呼ばれる宮津市。
日本三景のうちのひとつ、『天橋立』があることで名高い地域。
2023年3月末。そこに越してきたのは、この春大学を卒業したばかりのいわゆる新卒、アニーである。
就職活動に違和感を覚えて約1年、移住を検討し始めて約6ヶ月。
何も持たずして引っ越しまでを終えたアニーのその半生(?)を追う。
アニーのプロフィール
出身地:京都府京都市
出生年:2000年生まれ
宮津市でのニックネーム:アニー(理由と名付け親は後ほど)
特性:好奇心旺盛、人にうまく頼れない、変わったことを好む、隙あらば旅に出たいと思っている、“そんなことある!?”ってことがよく起こる
趣味:挑戦、経験、楽しい人と繋がること、ギター、写真、コーヒー、レコード、本、銭湯、スーパーカブに乗ることetc…
アニーの大学生活(移住の根源)
2023年3月。大阪府内にある国際系の4年制大学を卒業した私、アニー。大学1年次には国際寮に入寮し、交換留学生と暮らしを共にするなど、憧れの国際交流を存分に楽しんでいた。
そして大学2年次。2020年2月に控えていた海外留学がコロナウイルスで中止。大きな目標を失い、目の前は真っ暗。自分が渡航できなくなるだけではなく、交換留学生さえも自国へ帰ってしまう事態。“国際系”大学に入学した意味や目的を完全に見出せなくなる。
それからの約3年間は、入学前に想像していたものとは大きく異なった学生生活。キャンパスにも通えず、友達の顔も見えないオンライン授業。家にいる時間が格段に増え、嘘か本当か見分けのつかない情報に怯える日々。先が見えずに頭がおかしくなりそうな毎日。
しかしコロナ禍は奇しくも我々に、自分自身と向き合い、芯の部分を見つめ直す機会を与えてくれたこともまた事実である。それゆえ、こうして私が宮津市に拠点を移すことになったのだから。
それはアニー、大学4回生の夏のこと…(きっかけのきっかけ)
同級生が就職活動をする傍ら、私は“自分なりの就活があるはずだ”と人生の旅に出た。多くの同級生が同時期に経験する就活。私はその時間を、多くの同級生とは少し違ったことに使った方がワクワクすると考えた。人生の旅、まずは今この瞬間心躍るものに目を向け、実際に行動することから始めた。
まずやってみたのは「青いカブのラムネ屋さん」。なけなしの資金で購入した愛車、スーパーカブ(バイク)を使って何かできないかと考えた挙句、“夏といえば瓶ラムネでしょ!”という安易な考えからラムネ屋さんになってみることにした。
しかしまあこれが大変。瓶ラムネの仕入れ先探しから、看板やショップカードのデザイン、細かい備品の調達、営業に関する許可取り、瓶ラムネの保冷方法を試行錯誤したり、瓶の重さやバイクの荷台で運べる量の少なさに頭を悩まされたり…いざ形にしようとすると問題は山積み。いくら事前に問題を予想していても、実際にやってみないと分からないことがほとんどであった。
とはいえ、約1ヶ月という短期間ではあるが、地元のマルシェや夏祭りに出店し、予想以上に多くのお客様が瓶ラムネを楽しんでくださった。夏の暑さとあらゆる苦労とは裏腹に、お客様の笑顔という何にも代え難いものを得ることができ、行動に移さなければ決して獲得することのできなかったであろう、かけがえのない経験ができた。
で、宮津市との接点は?(きっかけ)
長らくお待たせいたしました。前章の「青いカブのラムネ屋さん」から話は続く。
地元の夏祭りへ出店する際、少しディスプレイに力を入れてみようと思った私。当初より、店構えを少し昭和レトロな雰囲気でつくり上げていたため、レトロな雑貨を取り入れようとあらゆる雑貨屋を転々としていた頃。たまたま母のインスタグラムにヒットしたのが、宮津市随一のレトロ雑貨屋さん「レトロ雑貨クリームソーダ」である。私の地元である京都市から高速で1時間ちょっとのところ。休みを利用して母と共にふらっと訪れたのがことの発端であった。
そのオーナーは初対面にも関わらず、なんでも気さくに話をしてくれる人。そしてその滲み出る“なんでも聞くよ”オーラに吸い込まれた私は、雑貨探しそっちのけで大学卒業後の進路を模索していること、多くの同級生とは違う歩み方をしているがゆえのモヤモヤ、それに対抗するかのように始めたラムネ屋さんのことなど色々話した。するとオーナーは私が想像していた湿っぽい返事とは裏腹に、それを存分に面白がってくれた。どうしても周りの反応を伺ってしまい、違ったことをしている自分に自信を持てずにいた私。オーナーのその反応に、ふっと心が軽くなるのを感じた。そして宮津市には個人事業主が多い分、こうやって“やりたい”を応援し合う基盤があるということも教えてくれた。もうこの時点でかなり心を持っていかれている私。
さらに、オーナーは「ハチハウス」というゲストハウスを運営していること、というかそれが本業だということ(笑)、また、近年移住者が少しずつ増えていて、これから宮津がどんどん面白くなりそうだという話から、移住という選択肢があるということも知った。
“これは…‼︎”とどこかのセンサーが反応した私は、それから月イチのペースで宮津市に通い始めるようになる。
濃ゆすぎる宮津ステイ初回(ニックネーム“アニー”の誕生)
初めてハチハウスに泊まったのは、2022年10月ごろ。オーナーとはあの雑貨を買いにきた日以来の再会。久しぶりに会うや否や、“アニーやん!”の一言。実はこの3日前くらいに、地元の美容室で頭にクルックルのパーマをあてていたのだ。その髪型がまさにミュージカル「Annie」の主人公にそっくり。それゆえ、オーナーの一言により“アニー”がこの地に誕生した。とりわけ宮津泊に意気込んでいたわけではなく、以前よりパーマのあたりにくい髪質だと言われていたから、美容師さんに“思いっきりかけてみてください”と言ったらこうなったのだ。それが意外にもアイコン化し、のちに宮津内の多くの人に知れ渡ることとなる。
話を戻すと…初めてハチハウスに泊まった時のこと。宮津旅初回にしてがっつり5日間の滞在予定を組んでいた私。しかし訪れたその日はタイミング良く…いや、悪く(?)、約1週間後にオーナー初主催の大きなイベントを控えており、まさに、そのイベントで使うモニュメント制作の真っ只中だった。オーナーの友人も駆けつけての大きな作業。めっっっっちゃ忙しい時期。それを尻目にボーッとしているのも虫の居どころが悪いと思った私は、その作業を手伝うことにした。数時間、オーナーとその友人と作業を共にし、なんと1週間後のイベント当日のお手伝いもさせてもらうことになった。その後、一緒にイベント会場の下見に行ったり、夜にはご飯に連れて行ってもらったり、初日からかなり充実した時間を過ごすことができた。
この5日間、オーナーは忙しい合間を縫って宮津に興味津々の私のために、毎日毎日何人もの地域の面白い人たちに会わせてくれて、それぞれ初対面にも関わらず、まるで以前から知っていたかのように暖かく受け入れてもらった。オーナーの周りには、宮津という街には、こんなにも面白い人がたくさんいるんだとワクワクした。そして、まだまだ漠然としている私の考えやこれからの生き方を、多くの人が受け入れてくれることに感動した。こんな人たちに囲まれて暮らしてみたい、私も彼らのような人になりたいと思った。
【アニーの余談】“そんなことある!?”な話
ここで少し余談。今回の宮津ステイは10月の平日ということもあり、滞在者は5日間とも私のみと聞いていた。
それは1日目の夜のこと。寝る準備をして、床に入ってうとうとしていた頃。私しかいないはずのハチハウス。窓や扉がガタガタガタガタッと音を立てる。飛び起きて近視でぼやけた視界を必死に見渡す。すると外からドーーーンッ!ザーーーッという音と共に地鳴りがする。まるで大太鼓のような響き。そしてまた窓や扉がガタガタと音を立てる。…どうやら外は激しい雷と豪雨。お天気マップを見てみるともう真っっっ赤。初めての場所にひとり。いつ収まるのか、最悪の場合どこに避難すればいいのかも分からない。恐怖。
結局朝方まで続いた激雷と豪雨。“もしかしたらこの地域ではよくあることなのかもしれない”と思っていた私。翌朝、オーナーや地域の人に聞いてみると、“あんなん初めてや!なかなかあらへんで!”と。……いや、そんなことある!?初めての宮津泊で初日の夜で1人きりで前代未聞の雷豪雨。さらには朝から、22年の人生で2〜3回しか出たことのない鼻血がたらたら。しつこいようだが、そんなことある?このタイミングで。
それから当分は良い話のネタになり、見事に雨女の称号も頂いた。やっぱり私はなにかをもっている。プロフィールに書いたように、そんなことある!?ってことが本当によくある私。もはや笑える。
固まっていく意志・目的(将来の夢)
宮津ステイ初回が想像以上に濃ゆく楽しかったために、それからの約半年間は宮津でイベントや体験ツアー、〇〇会のようなものがあるたびに足を運んだ。それゆえ、“なんかいつでもアニーいるな?もう住んでる?笑”とか、もはや“アニーおかえり〜”なんて言ってもらえるようになった。いろんなコミュニティに入れてもらい、たくさんの人が私の動向を見守ってくれて、知恵や力を貸してくれるようになった。
実は将来、私は自分の手で“あらゆる人が偶然の中で必然のようなご縁に出会える場所”をつくりたいという目標がある。私がこうやって偶然の中で必然の出会いをして人生が大きく動いたように、今度は私が誰かにそんな体験を贈ることのできる人になりたいと思ったからだ。ここ宮津には、そんな“やってみたい”を真剣に面白がり、心から応援し合い、知恵を貸し合う環境があると思う。つぶやきを形にする本気があると思う。
夏にやってみたラムネ屋も、まずは自分の手でゼロから始めるという経験をしたかったというのが裏テーマ。目的はぼんやりしたものだったが、とにかく1歩進めてみるということの重要さを学んだ良い機会。今掲げている目標もまだまだ漠然としているけど、宮津という絶好の環境でそのつぶやき、空想を形にしたい。
…と、移住を決めたは良いものの!?
こうして宮津への移住を決めたは良いものの!仕事も決まらないまま住む場所を決めて引っ越し、足は110ccのスーパーカブだけ。大学卒業したばかりで社会人スキルはないし、貯金もない…!!手元にあるのは有り難いご縁と、なんとかするしかないという気合い。
今まさにスタート地点に立ったところ。世にいう新卒で何も持たずして地方へ移住するという不安要素たっぷりのスタート。アニーよ、果たしてどうなるのか。
さいごに皆さまへ
ここまでお読みいただいてありがとうございました。これから私、アニーがどうなっていくのかや、これまでに宮津で体験したことなど、できる限りnoteにて発信しようと思っています。どうか宮津湾のように穏やかに、そして暖かく見守ってくだされば幸いです。
そしてこれまでお世話になった家族や友人、そして宮津の方々、こんな私を支えてくださり、本当にありがとうございました。そして、誠に恐縮ですが、これからもどうかこの私を近くで見守っていただければ幸いです。いつか必ず恩返しいたします。