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最近の日記みたいな感じ。
久しぶりにnoteを開いたら、最終更新が春だった。
もう今は冬なのに。随分サボってしまっていたみたい。
思えば3月は転職、4月から5月は引越し、6月からは家を整えたりと、いろいろと忙しかった気がする。8月はGFXも買ったし。いや、それは忙しさと関係ないですね。
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9月から12月までは、あっという間に時間が過ぎていった。
気づけば今年も終わってしまう月だった。
普段は理学療法士をしているけど、担当しているおばあちゃんに、「1週間早いね、もう今年終わるね!」って毎回話してる。そのくらい早い。
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ここで暗めの話になります。
少し長くなるので、重い話が苦手な方は読まないほうがいいかもしれません。
ちょっと間をあけて。
じゃあ続きから。
9月6日に、母が亡くなりました。
9月から月日がどっと早く感じたのは、それのせいだと思う。
いつものようにおばあちゃんのリハビリをしていて、金曜日だったから、華金だな〜なんて思いながら。
お姉ちゃんから電話がかかってきて、仕事中だったしすぐには出れなくて。
ただ何となく緊急なのかなって感じがしたから、とりあえず「?」って返事して。
「今電話できる?すぐ話したいことあるねん」
何となく嫌な予感がして、
おばあちゃんに「ごめんなさい。ちょっと電話出てもいいですか?」って謝って
お姉ちゃんに電話かけて
「落ち着いて聞いてな。」
「うん」
「あんな、さちゃこ亡くなってん。」
「は?」
「今警察の人来てて…」
その後の会話は曖昧。
(”さちゃこ”は母の呼び名で、私と姉はそう呼んでたんです。)
何が起きたのか分からなくて。
仕事中だし、とりあえず電話切ってリハビリして。
多分、体は仕事してたけど、頭は何も考えてなかったと思う。
事務所戻る時も、自転車が柱にぶつかったり、危なかった。
でもそのくらい頭がぼーーーっとしてたんだと思う。
事務所戻って、先輩や上司に話して
その時にようやく現実に戻ってきたというか、涙がぶああって溢れた。
実家は神戸で、自分がいるのは東京だし
すぐに新幹線で帰ろうと思ったけど、結局次の日に帰ることにして。
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神戸に帰って、お葬式の準備。
今まで身内が亡くなるという経験はなく、葬式に参加したのも初めてだった。
てっきり最初は、肺悪いし、祖父かな?なんて思ってたし。
母、享年49歳だった。
え、50歳なってなかったん?
若すぎる、早すぎる。
葬式ではあんまり泣かなかった。
だって現実味があまりにもなかったから。
顔も見れなかった。
現実を受け入れないといけないのが怖かったから。
幼馴染の母が火葬の前に、
「最後は絶対見といた方がいい。後悔しないように。」って言ってくれたから
見たんです、恐る恐る。
でも、正直寝てるみたいでした。
いつもの、少し体調が悪いお母さんみたいな。
でももう起きない、喋らない。
あ、ほんまに死んだんや。
ようやく涙が出てきた。
火葬の時、隣でお姉ちゃんが「行かんとって。」ってわんわん泣いてて、
何でそんな泣いてんの?って思いながら、自分も泣いてた。
お骨も、綺麗だった。
そりゃまだ49歳なら骨粗鬆症もないだろうし。
葬式は何とか終わって、みんな食欲ないけど
とりあえず大戸屋に行って何とか定食を食べた。
一番辛いのは祖母だと思う。
実は9/3に祖母の兄が亡くなって、9/5に葬式をしたばかりだった。
その次の日に、自分の娘が亡くなるなんて思わなかっただろう。
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ここで、母とのことを話します。
母は、昔からやんちゃで好き勝手やってたタイプで。
自分も姉も祖母も、母には大変迷惑をかけられてきた。
自分が大学の時は、ストレスで頭が禿げたりもした。
(それだけが原因じゃなかったけど、大半占めてた。)
それもあって、小さい頃は祖母の家で育ったから、母より祖母が『自分の母』って感じで。おばあちゃん子なのはそれが理由。
だから自分にとって母は、年齢が若かったってのもあるけど、母親というよりは友達に近い関係だった気がする。
色々苦しめられたけど、自分が社会人になってからは、仲は良かったと思う。
自分が上京して、母と姉と祖母、愛犬と一度東京に来てくれたことがある。
みんなで自分が当時働いていた写真館で家族写真を撮ったり、祖母の70歳の写真アルバムなんかを作ったりした。
(遺影の写真は、その時に撮った写真。笑顔の写真があって良かった。)
帰省した時は、愛犬のわかめと外でお迎えしてくれて、
わかめが自分の方に走ってくる動画を撮るのが恒例で、楽しみの一つだった。
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母とは、自分が上京してからの方が喋るようになって、
帰った時はカフェに行ったり、居酒屋でお酒を酌み交わしたりしてた。
でも、もうできない。
って思うとすごく悲しい。
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急に遺影が必要になって、
自分そういえば、母の写真全然撮ってなかった。って思った。
祖父母の写真は毎回撮ってたんだけど。
だってそんなすぐ行っちゃうと思わなかったから。
後悔したって遅いけど、
この時、ちゃんと写真や映像で、記録を残そうって強く思った。
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思い出しながらだったので、長くなってしまいました。
ここまで読んでいただいた方、すごいです。ありがとうございます。
明日は、母の百か日だそう。
天国にいる母に「元気?」って挨拶でもしようかな。
こっちは何とかやってるよ。
去年は、写真の振り返り的なnoteを書いた気がするけど、
今年も気が向いたら書こうかなと思う。
いや、書こう。
ということで、最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた!
Kimura Hinami
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