トランジションについて
人生においてフェーズが変わることを「トランジション」というらしい。
毎日手帳には予定がびっしり入っていて、一年に講演は30回は行い、地方都市とはいえテレビや新聞、雑誌にも取り上げられて、結構チヤホヤされていた10年間の生活に突然ピリオドを打ち、千葉に戻ってきたのが去年の春だった。コロナ禍もあり、何かを新たに始める気にもなれず、人に会いに行くにも気が引けて、かといってまた組織に入って長時間拘束される生活には心身が激しく抵抗し、結局なにもしない日々がずっと続いた。
「ずっと激務だったんだから、ゆっくり休んで好きなことすればいいのよ」と周りは言ってくれたけれど、仕事が趣味だったような人間には、ゆっくり休むこと自体が疲れて、好きなことは仕事以外に無かったので、予定がないこと、働いてないことが正直なところとても辛かった。
地域貢献とか人材育成の仕事に専念していたので、何もしない自分が価値が無いように思えて、自分の内面と向き合い折り合いをつけるのに苦心した日々が1年半続いたが、9月から少しずつ仕事を始めたので、ここに至る思いが書けるまでになった。
個人差があると思うけれど、私の人生で考えると、生まれてから親の庇護にある期間を第一フェズ。その後、自活し家族を持つまでを第二フェーズ。家族を持ち自分以外の人の人生に責任を持つ期間を第三フェーズ。子が巣立ち、自分に向き合う時期を第四フェーズという感じだなって思う。
第三フェーズまでは、いわゆる右肩上がりで、どんどん成長、どんどん発展、どんどん向上しもっと頑張ろう!と勢いのあるトランジションだった。
しかし60歳になった第四フェーズは違っていた。初めての経験で戸惑った。それまでと自分の中の価値観がどこか違っていることに狼狽えた。これまでは「できないことはやればいい!」「実現できない夢はない」と、回りもきっと迷惑していただろう熱い生き方をしていた。「これは後退しているのだろうか?」とか「ダウンサイジング、シフトダウンだろうか?」とか、しばらく自分が老いて弱ってきたのではないかと訝しみ自分を諦めそうにもなった。でも、たまに仕事の依頼を受けると以前と変わらずアイディアもありバリバリ仕事する自分を見て、安堵と共に違和感を持ったりした。
一体自分はどうしたのだろう?
でも、18か月ぼんやりした時間を経過して気が付いた。私は第四フェーズにうまく移行しているんだなって。これからは、周りの期待に応えるのではなく自分の心の声に応える生き方をしよう。他人からの承認はいらない。自分がいいと思えることだけしよう。スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチが好きでよく聞いていたのだが「朝起きて鏡を見て、もし明日死ぬとしても自分が今日やろうとしていることをやるだろうか?と自問して、NOという考えが続くようだったら、自分の生き方を変える時だ」「人生は案外短い。他人の声に耳を貸してその声に影響されるような暇はない。自分の心は本当に何をしたか実は知っているものだ。自分の心の声に従う勇気を持て」という言葉を反芻するたびに辛かった。
経済的・社会ステータスが今よりはるかに恵まれていた頃の私は、「明日死ぬとしたら今日やろうとしていることはNOだ!」と毎日思っていた。でも今は、「明日死ぬとしても満足だな」って思っている。手帳は予定で真っ黒ではないし講演もしなくなり、新聞やテレビで報道されるようなこともないけれど、ずっと実現したかった小さな私の夢を叶えるための一歩を始めて、その夢のためにスーパーで早朝パートを始めた自分がとても自分らしいと思える。自分の心の声、それは「私はじゃりン子チエなの」っていうものだった。なんか役職がついて、立派な会合や会議に出ている自分にどうも落ち着かなかった。ま、役割はきちんと果たしてはいたと思うけれど、下駄ひっかけて草原を走り回る感じが今でも自分らしいって思ってしまう。
せっかく還暦を迎えたのですから、子どもの頃の自分に戻って、また一から始めようって、そう思えた日から止まった時計の針が動き始めました
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