見出し画像

私は心配されなかったんだけど…。


私は自分が病気になると、

「もっと心配して」
「もっと労わって」
「もっとかまって」

と、かなり幼稚な考えが出てきてしまう。

「ちょっと風気味かも」

って夫に伝えたときに、心配してもらえなかったり優しくしてもらえないと、ものすごくショックを受ける。

「そっかー。風邪か」

なんて言葉で終わられると腹が立つ。

「どうせ私なんて、心配される価値がないんだ」

と捻くれて、勝手に落ち込んでなかなか立ち直れない。

体調がいいときはそこまで捻くれてはいないのに、どうしてだか、病気になるとムクムクと沸いてくる感情に、今でも手こずっている。

息子や主人が体調を崩したときには

「私がこの前しんどいって言ったとき、心配してくれなかったのに」

と、体調を崩した家族の心配よりも、恨みにも似た思いが湧き上がる。

そして、しばらくすると、家族を心配できない自分に自己嫌悪。

まだ小学生の息子にまで、こんな幼稚な感情を持ってしまうことが本当に情けなくて、母親失格かもと落ち込んでしまう。

【しんどいって言ったのに、心配してくれない】

このドロドロした感情、実は子供の頃からのものだと最近になって気づいた。

両親は経済的にも精神的にも余裕が無く、私がしんどいと訴えても

「え~。大丈夫でしょ?」

と、とりあえず一回目は拒否されていた。私も親になった今なら、両親の気持ちが分からないでもないが、心の中のモヤモヤは残ってしまっているみたい。



今でも忘れられない思い出がある。

小学生のころ、授業中お腹が痛くなり、早退することになった日。担任の先生が母のパート先に連絡してくれて、学校まで母が迎えに来た。

ものすごく不機嫌な表情で。

「お腹痛いくらいで」と、私のお腹が痛いことに対しては全く心配しておらず、パートの途中で抜け出したことをずっと気にしていた。

小学校から自宅まで近かったので、母からすれば、1人で帰ってこれるはずだと思ったのだろう。

私も社会人になり、仕事の途中で呼び出され早退するのは肩身が狭いというのもよく分かる。

それでも、お腹が痛くなって怒られるなんて、正直悲し過ぎる。

この日だけでなく、私が体調を崩すと母は機嫌が悪かった。病院の待合室でもイライラしていたな。

父は、心配はしてくれたけど言葉だけ。

もう30年以上昔の話で、いいかげん忘れたいのに、自分や家族が病気になるたびに思い出してしまう。

忘れていたのに、自分が親になって逆の立場になってから、よく思い出すようになってしまった。

息子には、私と同じ思いをさせたくないと思うから、このやっかいな記憶を抹消したい。

そう思えば思うほど、どんどん記憶が根付いてしまっている気もする。

当時の母は、家事、育児、仕事に追われ忙しいのに、さらに子供の看病という仕事が増えてキャパオーバーしていたのだろう。

パートナーである父も、言葉だけであまり家事を手伝うタイプではなかったし。

大人になった私は、頭では両親の気持ちを理解して、納得しているつもりなんだけど、心は未消化のまま。

家族がしんどいって訴えたとき、まず心から心配し、手を止めて看病できる母であり妻でありたいが、道のりは遠そうである。

親になって、自分の未熟さや両親の未熟さを思い知らされた。


いいなと思ったら応援しよう!