憧れた場所がみえてきた。
なにかをめざしていたわけではなかったが、常にここではない場所がきっとあると信じていた。
拠点がかわるたびに、自分の居場所の確保に必死になりつつも、
なじめたとたん、さあ次だと頓着なく移動する気持ちになるのは自分でも不思議だった。
常に余裕がない境地の世界で、いただけるものを武器にしながら、切羽詰まった気持ちのまま、ただひたすらに、ここではないどこかをめざした。
けして幸せではなかったのに、
むしろその虚しさにどこか希望を感じていた。
あの場所は必然だったと今ならはっきりわかる。
憧れの地にたどりつくための通過点として
たしかに自分で望んで行ったのだ。
なぜこんな思いをしなくてはいけないのかと、
常に不満を社会につきつけ
丸裸のまま戦えると思っていたわたしは確かに無防備ではあったが
コンプレックを埋めてくれた「常識」が
いままでなぜ社会に適合出来なかったのか、その理由をしみじみと教え、数えきれない恥にまみれたことを理解させた。
ここまできたのだとふりかえってみれば、
なんのことはない、憧れの地は変わらずスタート地点にあり、
あの頃とはちがう人間となったわたしが改めてその地をめざす。
娘が
息子が
教えてくれたのだ。
奔放に自由に生を謳歌する頼もしい姿で
自分が望めさえすれば不可能はないのだということを。
さらに違う人間になりたいと望む、
その勇気があるなら
これからでもおそくはないと。
わたしは行ってみたい。
憧れていたあの場所へむかうのだ。
chibiraaaさんのステキな写真を使わせていただきました。ありがとうございました。
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