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「美術には人生がえがかれています。あなた方の興味のあることは全て美術に含まれています。」フレデリック・ワイズマン監督作品「ナショナル・ギャラリー英国の至宝」を観て

2014年のドキュメンタリー作品である。(日本では2015年1月に公開)
1824年創立の英国初国立美術館であるロンドン・ナショナル・ギャラリー。
所蔵する巨匠たちの名画とともに
この美術館のあらゆる活動をみせてもらった。

作品の中で、
このnoteのタイトルになっている言葉を
インスタレーション作家が言う場面がある。

「美術がすばらしいのは、あらゆるものを包含している点です。絵画には人生がえがかれています。音楽も描かれています。映画も哲学も数学も科学も文学も、あなた方の興味のあることは全て美術に含まれています。」

私もずっとそんなふうに思っていて、
以前ツイッター(現・X)にも書いた。



この映画の監督の最新の作品を先日映画館で観た。
「至福のレストラン/三つ星トロワグロ」

2022年に日本で公開された「ボストン市庁舎」という作品もアマプラで観た。

そして今回の
「ナショナルギャラリー英国の至宝」。
私はフレデリック・ワイズマン監督作品にすっかりとりこになっている。

どれも3時間や4時間上映なので正直途中ちょっと寝てしまうこともあるのだが、ドキュメンタリーということも気に入っているし、なによりこのフレデリック・ワイズマンの視点が好きなのだ。

今年94歳という、この監督についてあらためて調べてみた。

1930年1月1日、アメリカ合衆国ボストン生まれ。イェール大学大学院卒業後、弁護士として活動し、その後軍隊に入る。除隊後、弁護士業の傍ら大学で教鞭をとるようになる。1963年にウォーレン・ミラーの原作を映画化したシャーリー・クラーク監督作品『クール・ワールド』をプロデュースし、映画製作の道に足を踏み入れる。1967年、ドキュメンタリー映画『チチカット・フォーリーズ』を初めて監督する。本作は精神疾患の犯罪者たちのための矯正院の実体を克明に映しだし、その過激さからマサチューセッツ州で公開禁止処分となるも大きな話題を呼ぶ。1971年、現在も活動の拠点とする自身のプロダクション「ジポラフィルム」を設立。劇映画『セラフィタの日記』『最後の手紙』をはさみ、精力的にドキュメンタリー作品を作り続けている。2014年、その功績がたたえられ、第71回ヴェネチア映画祭で栄誉金獅子賞が贈られた。

「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝 公式ページより」


以下が2013年までの作品である。
『チチカット・フォーリーズ』Titicut Follies(1967年)
『高校』High School(1968年)
『法と秩序』Law and Order(1969年)
『病院』Hospital(1969年)
『基礎訓練』Basic Training(1971年)
『エッセネ派』Essene(1972年)
『少年裁判所』Juvenile Court (1973年)
『霊長類』Primate(1974年)
『福祉』Welfare(1975年)
『肉』Meat(1976年)
『パナマ運河地帯』Canal Zone(1977年)
『シナイ半島視察団』Sinai Field Mission(1978年)
『軍事演習』Manoeuvre(1979年)
『モデル』Model(1980年)
『セラフィタの日記』Seraphita's Diary(1982年)
『ストア』The Store(1983年)
『競馬場』Racetrack(1985年)
『聴覚障害』Deaf(1986年)
『視覚障害』Blind(1986年)
『適応と仕事』Adjustment and Work(1986年)
『多重障害』Multi-Handicapped(1986年)
『ミサイル』Missile(1987年)
『臨死』Near Death(1989年)
『セントラル・パーク』Central Park(1989年)
『アスペン』Aspen(1991年)
『動物園』Zoo(1993年)
『高校Ⅱ』High School II(1994年)
『BALLET アメリカン・バレエ・シアターの世界』Ballet(1995年)
『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』La Comédie-Française ou L'amour joué(1996年)
『パブリック・ハウジング』Public Housing(1997年)
『メイン州ベルファスト』Belfast, Maine(1999年)
『最後の手紙』La Derniere lettre / The Last Letter(2000年)
『DV|ドメスティック・バイオレンス』Domestic Violence(2001年)
『DV2』Domestic Violence 2(2002年)
『マディソン・スクエア・ガーデン』Madison Square Garden(2004年)
『州議会』State Legislature(2006年)
『パリ・オペラ座のすべて』La Danse(2009年)
『ボクシング・ジム』Boxing Gym(2010年)
『クレイジー・ホース・パリ 夜の宝石たち』Crazy Horse(2011年)
At Berkeley〈邦題未定〉(2013年)

興味をそそられるタイトルがたくさんある。
全部観てみたいなあ!
一番最初の作品「チチカット・フォーリーズ」からもう気になる。
重そうな内容ではあるが、目をそむけたくないテーマだと感じる。

ワイズマンの作品はドキュメンタリー映画なので
デビュー作から一貫してナレーションや音楽は無く撮影にあたり、取材対象に関する事前リサーチをせず真実のみを映していく。
「撮影過程で私が学んだことを作品として提示している」という手法を貫いている。



さて、今回この映画を観て、
来館者に説明していた絵画作品に
とても興味深いものが2点あった。
ここにご紹介してみたい。

ハンス・ホルバイン
「デンマークのクリスティーナの肖像 ミラノ公妃」
1538年 油彩・テンペラ・板 179.1×82.5

当時の英国王ヘンリー8世の3人目の王妃ジェイン・シーモアが亡くなった後4人目のお妃探しのために描かれた肖像画として説明が始まる。

私はこのホルバインの作品を初めて観た。
この映画の中での説明を聞いて、この作品への興味ががぜん沸いた。

もっと知りたい!
もっと調べてみたい!

ヘンリー8世はどんな王様だったのか。
ホルバインという画家にも一気に親しみをもち、
もっと作品が観たくなった。

この絵画が出来上がった経緯をまず書いてみよう。

ヘンリー8世はジェーン・シーモアの埋葬さえすまないうちに4人目の花嫁を求めた。ブリュッセルの宮廷に居たクリスティーナをイングランドの宮廷画家であるハンス・ホルバインがヘンリー8世にみせる肖像画を描くため訪ねて来る。

クリスティーナは当時16歳だった。
ホルバインの素描はわずか3時間で仕上げられ、「完璧といってよい仕上がりと判断された」(「ナショナル・ギャラリーコンパニオン・ガイド」より)その作品は王の心を動かし、王はすぐさま全身像の肖像画を所望。そしてこの作品ができあがった。

構想の均整のとれた落ち着きのある威風と、優美な簡素さやなめらかな質感、彼女の喪服の服地(1533年に13歳(!)のクリスティーナはミラノ公フランチェスコ2世・スフォルツァと結婚。その2年後死別。帰国している)
そして左側の影にみられる謎めいた気配をみごとに調和させた肖像画であり、彼女の強い性格がよく表されている。
彼女は言った。
「もし私が2つの頭を持っていたなら、1つをイギリス王の執務につかせるであろう。」
つまりは、婚約は成立しなかったのだ。

ヘンリー8世は望んだ結婚につながらなかったにもかかわらず、この肖像画を非常に気に入り、1547年に死ぬ時まで手放さなかったという。


さて、ヘンリー8世はどんな人物だったのか。
前妻が亡くなってすぐお妃さがしだなんて、
ちょっと心がざわついた。

調べてみたら、ヘンリー8世はとんでもない王だった!!

ヘンリー8世は最初の妻であるキャサリン・オブ・アラゴンとの間に多くの子どもをもうけたが、死産や流産が続き、成長したのは娘のメアリだけだった。そしてキャサリンも出産が難しい年齢にさしかかるとキャサリンの待女だったアン・ブーリンに夢中になり、結婚するためにキャサリンと離婚しようとする。しかし当時は婚姻関係について教会の許可が必要で、離婚が認められなかったヘンリー8世はカトリックを捨て自らを頂点とするイギリス国教会を設立。自分の欲望のために宗教改革を断行したのだ!
しかしアンとの間にも男の子は育たなかった。
失望したヘンリ8世はアンが邪魔になり適当な罪をでっちあげてロンドン塔に閉じ込め斬首刑に処している!!
更にその翌日(!)アンの侍女ジェインと婚約。
処刑の10日後には結婚した。

ジェインは待望の男の子エドワードを出産。後にエドワード6世として、父のヘンリ8世の後をつぐことになる。
しかし出産後にジェインは死亡。またも独りになったヘンリー8世はその後も離婚と結婚を繰り返す。
ドイツから妻をむかえたこともあり、宮廷画家を海外に派遣して花嫁候補の肖像画を描かせて花嫁を選んだ。しかしそれがいざ本人と会ってみて肖像画と似ていなかったとして(!)半年で離婚する。

最終的には6人と結婚。そのうち2人を処刑するなど、ほぼ全員が不幸な道をたどっている。
自身はというと最後の結婚から4年後に死亡した。


一つの絵画から広がった事実を知り、あらためてこの作品を観る。
少しいたずらっぽく笑うクリスティーナの表情がより深みを増して魅力的に思えた。


映画の中では学芸員がこの他にも様々な作品について熱く語る場面を映し出し、作品をどんなふうにみてもいいしどんなふうに感じてもいいのだと言っている。
「人間の姿を観察するまたとない場」と言い「知識と学習だけでなくそれぞれが絵に対する独自の応じ方を探って欲しい」と言う。
「今のあなたとの関係性をみつけることです」

しかしこうやって作品について教えてもらい、自分でも調べたくなってより真実を知っていくのもまた楽しいと感じる。
それこそ「人間の姿」を観て考え学ばせてもらえている。

また、映画の中でこんな言葉もあった。
「当時絵画は今の映画と同じでした。娯楽の一つです。画家は物語のどこに焦点を当てるか選びます。様々なアイデアから選ぶ必要があります。どの一瞬を切り取るのか。クライマックスは何か。一番伝えたいことは何か。出会いや経験の形を最もうまく表せる方法は何か。絵画は非常に多義的です。見方も解釈の仕方も様々です。経験が変化するに従って絵画も変わってきます。あなた方の見方も変化します。」



この美術館では5歳未満対象のお話会「マジックカーペット」や小学校を対象とした教育普及活動「テイクワンピクチャー」などもある。
その他にも成人向けのワークショップ、スケッチ会、視覚障害者の人たちの立体絵体験などもあり、映画の中でそんな場面も垣間見せてくれる。

私はこのロンドンナショナルギャラリーは来館したことがないが、以前に、違う、海外の美術館に行った時、模写をする人や学校で団体で来ている様子をみたことがあった。皆思い思いに話したり、生徒たちに説明したりと、美術館の中がかなりにぎやかで、日本の美術館とはまるでちがう雰囲気に驚いたことがあった。
特別な空間で敷居の高いイメージのある日本の美術館とどうしてこんなに違うやり方ができるのだろう!ここはなんて明るく、自由な雰囲気なのだろうとそのあまりの違いに戸惑うくらいだった。

気楽に美術を楽しむ人たち。
美術教育がこんなにも幼いころから浸透し
特別なことではない存在だったら
美術を通して「心を開放する」という時間を一人一人がもつことができるのではないだろうかと思えた。

「想像する」ということの大事さを
もっと考えてみてもいいのではないかということを考えさせられる。


そんな観点からももう1点気になる作品がこの映画で知ることとなる。

その作品はジョバンニ・ベリーニの
「聖ピーター殉教者の暗殺」

この作品の画像はお借りできるものが無かったため、ここには載せられなかったのだが、探していただけるとみることが出来るので是非観ていただきたい。

映画の中ではこの作品のストーリーテリング(物語の語り方)について
小学生高学年くらいか中学生くらいかの子どもたちに解説者がギャラリー内で説明している。

これは、聖書の中にある物語の一場面なのだそうだ。

絵を説明する男性は
「絵は1つの図像(イメージ)の中で物語を語る」と言う。

それは、どういうことかというと、
本や詩、映画などは「時」がある。2時間とか半日とか、時には半年かけて一冊の本を読むなどの「時」があり、その間に様々な人物が現れ様々なことが起こる。絵にはそれが無い。
「絵を見る一瞬の間に物語を語るんだ。画家がどのように物語を語るかこの絵で見て行こう」と、作品に誘い込む。

このタイトル通り、作品の手前ではまさに今暗殺の行為がされているという残虐なシーンが展開されている。
そして後ろ側には森が描かれ、木こりが何人かいるのが確認できる。
「実際の物語には木こりは登場しない」という説明がされる。
「でも画家は木こりを描いた。木こりたちと木々が絵の大部分を占めている」そのあとに「なぜそうしたのだと思う?」とこどもたちに質問する。

一人の男の子が
「絵に個性を与えるため?」と言う。(ここでパッと考えを言ってみるという彼の様子をみて少し驚いた。自分の意見を躊躇することなく言える雰囲気などが日常的にあるのだろう。とても良いことだと感じた)
解説者は「まったくそのとおりだ」と続けたうえで、この絵に木こりを描いたことの意味を説明していく。

「悲劇に気づいていない人たちの存在が、時として悲劇をより悲劇的にする」
「木を切り続ける様子が悲劇を強調する」

私はハッとしてさらに作品に見入った。
木こりたちはひたすら木を切る仕事に没頭していて、すぐ目の前で殺人が行われているなんてまるで気づいていないのだ!
気づいてうろたえて叫ぶ人たちがいて当然の場面で、その当然が当然ではない悲惨さ。
それをまたこんなに悲惨なことはない!と訴えかける作品。
なるほど!そうなんだあ!ととても驚き、感動した。
これは解説を聞いてみなければ自分ではたどりつけなかったことだとつくづく思った。

たしかにそうだ!
悲劇を強調している効果を感じる!
こんなふうに、
事実にはないものを取り入れて、
人間の感情の高ぶりを表現しているのだ!
絵という一つの画面だけで物語を語るために
画家は独自の方法を考えて構成しているのだ!
絵画としての可能性を感じる。

おもしろいなあ!

よりこの作品に親しみをもち、もっとよくみてみたいと感じた。
この作品が心に強く残った。


この他にも作品の説明をするシーンはたくさんでてくる。
どれもとても興味深く、会場にいる人たちも皆熱心に聞いている。


また、この映画では作品の修復作業についても詳しく深く映し出している。
修復については
おそらく皆賛否両論あるのではないだろうか。
私もその一人であり、少しもやもやするというのが正直なところである。

修復することで、描かれた当時の状態を観ることが出来るというのは嬉しいしありがたいことだが、かなり昔の作品があたらしいワニスで輝いているのは少し違和感も感じてしまう。
年月がたち、それなりに朽ちた状態というのも「大事」なような気がしてしまう。

そんなふうに思う人も多いのではないか。だから、ワイズマンはここの部分を長く映画の中に盛り込み、ナショナルギャラリーのスタッフとしての考え方やその姿をありのままにみせ、私たちに考えを促しているのだと感じた。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーについて少しここに捕捉したい。

この美術館は
ロイズ銀行の頭首を務めた美術愛好家のジョン・ジュリアス・アンガースタイン(1735~1823)氏の38点の作品からの出発であった。
政治家にして画家であり美術愛好家でもあったジョージ・ハウランド・ボーモント氏がイタリア訪問時に公共美術館の必要性を確信し、ギャラリー設立を後押し。アンガースタイン氏が亡くなった時38点の作品を政府が買い取り(タイミングよくオーストリアが対仏戦争時の借金を返済。その金額で建物込みで購入できた)1824年旧アンガースタイン邸にてロンドン・ナショナル・ギャラリーが開館した。
その後1838年現在の場所であるトラファルガー広場に新しい建物を造って移転した。富裕層も貧困層も訪れることが出来ることが重要と考えられたギャラリーとしてその後もますますコレクションが増え続け、展示室も増設。
1897年にはギャラリーから約1マイル離れたミルバンクに別館「ナショナルギャラリー・オブ・ブリティッシュ・アート」が出来、何度か名前を変え現在はテート・ブリテンとして独立している。

1917年から1945年の戦争時には作品を疎開させるなどして守りぬき、現在は年間500万人以上が訪れるという市民に愛される美術館になった。
そしてなによりすごいのは無料ということ。
経営は寄付によって成り立っている。


私はアマプラでこの映画を何度も繰り返し観た。
観るたびに発見があった。
これからもまた発見があり感動があるだろう。

ワイズマンの映画はそういう映画だ。
それが、私には素晴らしく思える。
ワイズマンの映画はけして「おもしろい映画」ではないと思う。
そして私は一度ではその興味深さは理解できない。
最初の感動をなぞるかのように何度も繰り返しみて
ようやく「理解」に行きつくような気がしている。

でも、
それが、また良いのだ。


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