入院日記20日目やっと私はここまで来たんだ。
薬には副作用はつきものである。いたしかたない。
それはよくわかっているのだが、あまりに怖いことが書いてあるとむしろこの治療薬で死ぬんじゃないかとゾッとしてしまう。
副作用に癌や糖尿病、肺炎のリスクが書かれているなんてことはいままでにはなかった。
病名もハッキリしていない中で、
半ばラットのごとく治療薬を試されていくのは
最初少し抵抗もあったが、
少しずつではあるけれど着実に回復へ向かっている手応えに勇気づけられ、アレコレ渡される聞いたことのない薬の服用にも素直な気持ちで挑むようになった。
免疫を落としていく薬が骨を弱くするので
骨粗鬆症を防ぐ薬もあわせて飲んで欲しいと言われていた。
怖い薬ではないなとすぐに思う。顆粒でサラサラと飲むカルシウム剤のようなものを想像した。
でも実際に手にしたそれは思っていたものと全然違っていた。ゼリー状であり飲み方にかなり詳しい説明書がついている。
袋の持ち方から切り口の切り離し方まで事細かに書かれ、ゼリーは噛まずに飲み、水は約180ml、ゼリーには絶対に直接触れず、飲んでから30分は横にならないようにと持ってきてくれた看護師さんにも何度も念を押された。
えー?なんだかすごい強力で特別な成分が入った薬なんだろうか。効きそう!というよりも化学的な影響が気になる。
しかも、注意点の記載にまた目を奪われる。
「歯の緩み」「歯茎の腫れ」
実は私は24歳の時に交通事故にあい、
上下両前歯5本ずつがブリッジの差し歯である。
この差し歯は、できれば一生もたせたい。
この薬で歯茎をゆがませてブリッジが外れてしまうきっかけになってしまうのはどうしても避けたかった。
交通事故といってもはねられたというような事故ではなく、ほんのちょっとの出来事だった。
友人とのドライブ途中、ジュースを買ってから路駐した車に乗ろうと片足を車内にいれたちょうどその時に
後ろからきた車が友人の車にぶつかり、そのまま私は車ごと押され前に倒れて顔を強く打ったのだ。
あごの骨も大丈夫だったし唇も軽く切れた程度だった。
行きつけの歯医者さんは私の顔のテープを見て
最初ものすごいびっくりしていたが、
レントゲン検査の後、傷がこれくらいですんでよかったよかったと励ましてくれた。
でも歯が10本飛んだ。
警察は「ヤクザじゃなくてよかった。」などと言った。
「ヤクザだと自分たちも難しいんですよ。」
ぶつかった相手はフランス人だという。会社の社長だと話してくれた。しっかりと保証してくれると安心させようとしてくれたのかもしれない。
歯が無くなるというのは指が無くなるのと一緒なのだと
その後会いに来た弁護士の話から聞いた時には
そういうものかとびっくりした。
だから、その後に提示された慰謝料の金額にまた驚く。
思ってもみない大金だった。
私はまるでのんきだった。
事故直後も転んだことを恥じるようにすぐに立ち上がり、友人に「大丈夫大丈夫!」と言ったことを覚えている。本当に痛くなかったのだ。
ぶつけた相手が「sorry sorry!」と横で頭を下げているのをみて、あ、外人だったのかと思っただけであった。
慰謝料なんてそれこそ両手をあげて喜んだ。
あんまり私が喜ぶから当時働いていた会社では
「当たり屋か!」とふざけて笑われた。
「もう少しぶつけてもらって整形までさせてもらえたらよかったのになあ」
ホントですよねー。私もケラケラと笑っていた。
だから誰も私を心配なんてしていなかった。
母でさえも。
私もそれでよかった。
今思えば、真っ当に心から心配してくれていたのは
歯医者さんだけだったかもしれない。
24歳は父が死んだ年だった。
こんなふうに、続く時は続くものかと思った。
父はお金の事でいろいろあって、
亡くなったことで家族をホッとさせたくらいな人だったけれど、それでも母はやはり気落ちしているように見えた。
そうだ、あの慰謝料で母の希望をかなえてあげられる!
私は母から何度も聞いていた憧れのパリに2人で行こうよと誘った。
慰謝料を惜しみもなくゴッソリと使い、フランス、スイス、イギリス、イタリアの4カ国を巡るツアーに申し込む。
旅行以外でも
湯水のように慰謝料を使った。使い果たした。
ああ、こんな使い方はまさに死んだ父のようではないか。そういう父のお金の使い方で散々苦しめられてきたはずなのに!
慰謝料は常識で考えたら
確実に訪れる老後の歯のケアに残しておかねばならなかったハズだ。
今ならわかる。歯は指どころか足と同じくらい大事。
いや、比べるまでもない。
歯は、食べ物が入る生命の入り口なのだ。
そして人工物の歯は自分の歯よりはずっともろく壊れやすい。やはり自分の歯は強い。自然の原型は強いのだ。
歯医者さんは「入れ歯と差し歯どっちにするか…」と独り言のように私に聞いた。
どっちがいいんでしょうか。
うん、まあ差し歯がもつなら差し歯がいいよ。自分の歯に近い感覚で使える。
じゃあ差し歯がいいです。
歳をとったら入れ歯にすればいいと思った。
よく考えたら10本の入れ歯代金はきっと高額なはずだがその時の私はそんな意識はまるでない。
事故のあとケアしてくれた歯医者さんは、ちょうどその事故の少し前からお世話になりだしていた医院で、母が若い頃お世話になっていた歯医者さんの娘さん夫婦で経営していた。
この歯医者さんに巡り会えたことは今でも本当に大幸運だったと思っている。
私は虫歯が多かった年少期から必然的にボロボロになっていき、あらゆる歯医者さんを渡り歩きお世話になった。
時にとんでもない治療で真っ黒な歯になるとか抜かねばならなくなる経験もし、自分の不摂生とはいえども歯には苦しめられた。
詰め物を含めて今ではなにも治療していない歯は一本しかない。
そんな中でよく思ったのは、
こんなにも歯医者さんには腕の差があるのかということだった。
事故後のケアをしてくれた歯医者さんは本当に腕がいい。
元は外科医だったと聞いたことがある。細やかな技がすごい。結婚して引越してその土地で歯医者を変えた時にそこの歯科医に感心されたことがある。
これはすごいと。
そうか、だから長持ちするのだと思った。
歯の長持ちは生命をつなぐだけではない。
人生を明るくする。
とにかく、歯は大事なのだ。
あの先生で本当によかった。
「相手が全部悪いんだから一番高い、いい歯をいれような!」診察椅子の上で口を開けながら24歳の私はうなずきながらうっすらと笑った。
私は小さい頃から虫歯だらけであった。
子どもはそんなものとなぜか思っていたところがあり、幼い頃はみんなもそうだと思っていたが、
自分が子育てをしてみたら、親が仕上げ磨きをしてあげたらなにも問題ないじゃないか!と驚いた。
虫歯は全然当たり前じゃないことを知った。
3人の子どもたちは虫歯などには全く縁がなかった。
私の母が自分の子どもの歯に関して全くの無頓着であったことを改めてしみじみ感じた。
私はよく病気をしたが、何か食べてもよくそのまま寝てしまっていた。仕上げ磨きはもちろんのこと、「磨いてあげる」という意識は母にはまるでなかった。
親子揃って信じていたのは、虫歯ができたら歯医者さんに行くということ、それだけだった。
子どもは虫歯ができて当然、しかたない、でも治せばいい、治ると信じて疑わなかった。
でも実際は歯は治せないのだ。元には戻せないのだ。
虫歯ができたら取らなくてはいけない。穴が空いたら詰めなくてはいけない。
補修は治すのではない。補うのだ。
補えばそこからまた悪くなることもある。
補えば人工的なものが増えていく。
自然よりもろいものを増やしていくだけ。
それが生きている間にどれくらいまで役に立つかは
誰にもわからないし保証もない。
私たち親子はそんなこと考えたこともなかった。
歯の崩れは充分に生命に関わるということをはじめて心底意識しだしたのは、本当に信じられないかもしれないが、私ですら、いまからほんの10年前からくらいだった。
それは突然のことであった。
下の差し歯が取れてしまったのである。
お肉をよーく噛んでいた時にカタンとブリッジが、はずれた。
私は慌てた。
でもまだこの時の慌て方は序の口だったかもしれない。
どうにかなるだろうと軽く考えていた。
あの歯医者さんだもの、という気持ちもあった。
たぶん
私はまだこの時
あの慰謝料をもらった時の人間のままだったと思う。
ブリッジがとれたので診てほしいと連絡した。
もう20年以上ぶりだったのではないかと思う。
結婚して引越してその土地土地で歯医者さんを変えて、その間一度も連絡したことすらなかった。
やっぱり作っていただいた歯医者さんに診てもらおうと思いまして…ご無沙汰してすみません。
すぐきなさいと言ってくれる。
久しぶりにお会いして、
はじめ、先生とわからないくらいだった。
歳をとられていたのだ。
長い年月を思った。
叱られた。
まず磨き方がたりない。
歯茎をやせさせないよう
歯周病にならないようにと気をつけなければいけないと先生は早口でまくしたてた。
僕はもちろん一生もつつもりでコレを作ったけれど、
普通だったら10年くらいなんだ。それでダメになってもしかたないんだ。その人の口の動かし方のくせや、年齢とともに口の中の形も変わる。歯茎がやせる。関係ない歯がなくなってズレる。そういうことをできるだけ考慮していくしかない。
でも一番の予防は磨き方なんだ。
歯をしっかり磨いて土台を良くすればもつことがある。
もっともっと、もっともっとよく磨かないとダメだ!
先生は「戻るかな。戻せるかな…」とブツブツいいながら、私の歯茎の高さを変えることを提案。
私にはそれがなんだかわからずお願いしますとしか
言えなかったが、普通はそこまではしない、出来ないことだったのかもしれない。
一か八かやってみるかというようなつぶやきも聞こえた。私はようやくこの差し歯のブリッジが先生の技術の上でなりたち、奇跡的に保たせてもらっていることを理解した。
先生はあの時、本当に私の将来を心配して
これを作ってくれたのだ。
その後も診察してくれるたびに
もっと磨けもっと磨けと先生は私を叱った。
私はそれから毎月1回電車に乗って通うようになった。
いまでもそのサイクルでお世話になっている。
「実は私は前歯がブリッジの差し歯で、骨粗鬆症の薬の歯に対する影響について気になるのですが」
入院中の主治医の先生に相談すると、じゃあ口腔科も受診してもらうと安心ですかねと言ってくれた。
まあ大丈夫ですよと簡単に言われるだけかなと思っていたから、私の心配に寄り添ってくれたことを
とても嬉しく思った。
口腔科では、若く優しい女医さんと助手の方が
私の歯をまず一つ一つ記録してくださり
レントゲン写真を撮ってくるよう促された。
その写真をみながら
私の歯の現状が、
特に問題がないことを教えてもらってホッとする。
女医さんが言った。
このブリッジはどのくらい前に作ったんですか?
治したことは?
31年前です。
一度下だけはずれて。でも私の歯茎を調整しながら同じものをまた取り付けました。
上は作った時のままです。
そうですか、じゃあこの歯じたいは治したことないんですね。30年ですか。
キレイですね、すごく。
ハッとする。
あ、そうですよね、上手、ですよね、この先生。
そうなんです、すごい先生なんです。
すごく、お世話になったんです!
女医さんがうんうんとうなずいている。
やっぱりそうなんだ、やっぱりこの歯の作りの技術はすごいんだと興奮していた。
先生が褒められたことが嬉しかった。
その後薬の説明と歯の関係性との話を丁寧にしてくださり、骨粗鬆症の薬も、今使っている免疫を下げる薬の使用期間や量によってもやめる場合もあるし、
今のところ続けても問題はないと話していただく。
また希望があれば半年後にそういった観点から歯の状態を診察することも可能ですけどどうしますかと聞かれ、是非お願いしますと即答した。
診察は歯だけのことなのに、
私のこれからの人生の安心につながったような気がして
女医さんのまなざしの優しさに感謝した。
病室に戻りながら
私はぼんやりとあの事故からのことを考えていた。
だんだんと目頭が熱くなる。
先生、私なんにもわかってなかったです。
やっとやっと
ここまできたみたい。