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春よ来い🌸湯島天神の梅まつり
まだまだ寒い日が続きますが
時候の挨拶の書き出しに
春の文字が入るようになりました。
2月といえば湯島天神の梅まつりだなあとふとおもい、
出かけてまいりまいした。
湯島天満宮は東京都文京区湯島3丁目にあります。
旧称は湯島神社で、通称は湯島天神というそうです。
子どもの頃に住んでいたところから近い神社でしたので、毎年初詣に行っていましたが、結婚してからはほとんど行くこともなくなっていました。
梅まつりも久しぶりです。
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思っていたよりずっとにぎやかで大盛況でした。
梅は五分咲きといったところでしょうか。
つぼみがはちきれんばかりにふくらんでいます。
今日はとても暖かかったので、まもなく次々とほころびだすでしょう。
この文京梅まつりは「文京花の5大まつり」のひとつとされています。(ちなみに5大まつりとは…「文京さくらまつり」「文京つつじまつり」「文京あじさいまつり」「文京菊まつり」「文京梅まつり」です)
開催中はイベントももりだくさん!
日没から午後8時までは「夜神梅」といったライトアップも催され、日中とはまたちがったおもむきを楽しめるとのことですよ!昭和31年から行われているお祭りだそうです。
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ここはいわずとしれた学問の神様である菅原道真公をお祀りしているところです。絵馬もたくさんかけてあって、その量に圧倒されました。
皆さん良き結果でありますように!
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ここで、せっかくですので
菅原道真公のことを改めて復習してみたいと思います。
承和12年6月25日学者の家に生まれた。幼少より文才に優れ向学心も旺盛で862年(貞観4)18歳で文章生(もんじょうしょう)となり、877年(元慶1:33歳)文章博士(もんじょうはかせ:奈良、平安時代の大学寮紀伝道の教官)となった。文章の代作や願文の起草など盛んな文章活動を続け、宮廷文人社会の中心となった。890年(寛平2)国司の任期を終えた道真は藤原氏の専権を抑えて天皇中心の理想政治を実現しようとする宇多天皇の信任を受け、帰京の翌年には蔵人頭(くろうどのとう:朝廷における令外官の役職。蔵人所の実質的な長)に抜擢され、893年参議、左大弁に登用されて朝政の中枢に携わることになった。例えば894年遣唐大使に任命されたものの、唐朝の混乱や日本文化の発達などを理由に奈良時代から続いた遣唐使を廃止し、895年渤海使(ぼっかいし:現在の中国東北部の使者)を応接(受け答えなどして相手をすること)、その翌年には検税使の可否を再評議するべき秦状を奉るなどの事績を残している。その間も官位は昇進を続け、中納言、民部卿(みんぶきょう)、権大納言(ごんだいなごん)、春宮大夫(とうぐうだいぶ)、侍読(じとく)などの任にあたっていた。897年宇多天皇は譲位したが、その遺誡(ゆいかい:書き残した言葉)により醍醐天皇は藤原時平とともに道真を重用、899年時平の左大臣にたいし、道真を右大臣に任じた(55歳)。
しかし、当時の廷臣(ていしん:朝廷につかえ、官に任ぜられた役人)には儒家としての家格を超えた道真の栄進をねたむものも多く、901年従二位に叙してまもなく、政権と学派の争いのなかで時平の中傷によって太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷された。大宰府浄妙院で謹慎すること2年天皇の厚恩を慕い望郷の想いにかられつつ、909年2月25日没した。御年59歳。福岡県太宰府市安楽寺に葬られる。
このように、政治社会では挫折したが、学者、文人としてに道真は死後学問の神と崇められてきたように、当時から高く評価されていた。
「類聚国史(るいじゅうこくし)」の撰修はとくに有名。「日本三代実録」の編集にも参加。「文道の大祖、風月の本主」と尊敬され、和歌にも巧みであった。
当時華やかな出世人生でありながら、ねたまれたことで左遷され、悲劇の一生を終えたことから、死後の霊が雷神として祟ったりする説話もあるようです。学問の神様というくらいですから、とにかく勉強ができたお人とだけ思っていましたが、こんな晩年とは!
悲しくくやしかった最期であったことでしょう。
また、菅原道真公だけでなく、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)という神様もまつられています。岩に隠れてしまった天照大神を救い出した力の強い神様で、開運、勝運の神様だそうです!
くじ運などもご利益があるそうですよ!
とてもいいお天気で久しぶりに風もないおだやかで暖かな日だったこともあるあのでしょう、お参りも屋台もイベントもたくさんの人!
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受験生の皆さんにとっては、今はまだまだ大変な時期でしょうか。
「合格祈願をされて、合格されましたご報告にいらしたかたにはだるまの絵馬をご用意しています」というような放送がながれていました。
喜びにあふれてここを訪れている人もいることを考えたら自分のことのようにウキウキしてしまいました。
境内には石造りの牛が2頭いました。
自分の体の悪いところで、牛さんのその場所をなでると(たとえば腰とか花粉症の鼻とか・・・)そこが良くなるという言われがあるそうです。
「撫で牛」とよばれて信仰をあつめております。
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菅原道真公は丑年にうまれ、丑年に亡くなられたそうです。
また、「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言され、「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めた、と書かれているそうです。
さて!梅をみてまいりましょう!
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梅の種類は梅園の7,8割をしめる白梅の「白 加賀」を中心に、「月影」や早咲きの「冬至」。また、淡紅梅の「豊後(ぶんご)」、紅梅の「寒紅梅(かんこうばい)」、薄紅梅の「見驚(けんきょう)」など約20種類あるのだとか!梅ってそんなに種類があるんですね!
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時間がなくてきけませんでした。ざんねん~
唐門にこんな紋様が!
左のお花の紋。こういうものを「梅鉢紋」というのだそうです
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梅鉢紋には「梅花紋」と「梅鉢紋」の2種類があるそうです。
「梅鉢紋」というのは、家紋の中央(花のおしべのようなもの)が
太鼓をたたく時のバチのようにみえたことから、「梅鉢紋」と名付けられたとか。また「梅鉢紋」にもいろいろ種類があるのだそうです。
梅が好きな道真を思ってか、道真を表す紋として「梅鉢」が使用されるようになり、道真を祀った「太宰府天満宮」にも梅花紋が使用されています。
境内には梅もたくさん植えられているようです。
全国にある道真公を祀った神社ほとんどが梅の紋を使用しているとか。
この木の紋にあるものは「加賀梅鉢紋」というもので、中央のおしべが長く飛び出たような形になっています。
この家紋は豊臣秀吉の家臣で加賀百万石を成し遂げたことでも有名な前田利家が使用していたもの。前田利家は秀吉から「五七の桐」など格式高い家紋を下賜されていましたが、菅原道真の子孫と称していたため、道真ゆかりの「梅鉢紋」である、この「加賀梅鉢紋」だけを使用していたそうです。
このほかにも梅鉢紋を使っていた有名人として、平賀源内や山下清、岡本太郎などがいるようです。
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道真公5歳のときに梅の花をみて詠んだ和歌です
うつくしや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある
また、太宰府に行かれる時、自宅の紅梅殿で詠まれたのは
東風(こち)吹かば匂いよこせよ梅の花主なしとして春を忘るな(東の風が吹いたら、わたしのところにその香りを届けてください。私がいなくなっても、春を忘れずに花を咲かせてください)
ちょっとせつない和歌ですね…
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もとは中国から入ってきたお花だそうです
道真様、今年も美しく咲きましたね。
良き香りがそちらにも届いていらっしゃいますか
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まだまだ梅の見ごろは続きますので
皆さまもよかったら春を愛でに、
どうぞおでかけくださいませ🌸