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天敵彼女 (17)

 誰もいない教室は静かだった。

 まだ八時にもなってない。むしろ、七時半すら怪しい時間帯だ。

 何故こんな事になったのか? 自分でも不思議だった。

 基本的に、他人と接点を持ちたくない為、朝はギリギリ。帰りは速攻帰宅が原則のはずだったのだが、どうしてこうなった?

 俺は、今朝の自分の行動を振り返った。

 まず、起きたのは早朝だった。

 寝不足のはずなのに、妙にハイだったのを覚えている。

 奏の件があって、俺はある種の興奮状態になっていたのかもしれない。特
にやることもないが、じっともしていられない感じだったんだろう。

 俺は、ひとまず台所に向かった。何故か、リビングダイニングから灯りが漏れていた。テレビもついているようで、ニュースが流れていた。

 俺は驚きつつ、慌てて朝食の準備をした。

 仕事で早朝出勤なんて一度もなかったのに、どうしたんだろうと考えていると、父さんはいつもよりかなり早く会社に行ってしまった。

 気が付けば、やることもなくなって、俺は何となく学校に向かった。

 さすが、徒歩数分の距離。気が付けば、教室に一番乗りしていたという訳だ。

 俺は、自分の席に座ると大きく息を吸い込んだ。今日は、どうしてもやらなければいけない事がある。

 こんな時間に登校してしまったのも、どこかでその事を意識していたんだろう。俺は、自分のイレギュラーな行動を昨日の決意のせいだと思うことにした。

 とにかく、これ以上俺の問題に奏を巻き込む訳にはいかない。

 でも、どうしたらいいんだろう?

 そんな事を考えていると、担任が驚いた様子で教室を覗いていた。

「叶野、随分早いな……」

「お、おはようございます」

「ああ、おはよう」

 担任は、珍しく俺の顔をまじまじと見ていた。

 基本的に、余り俺とは接点がなかったはずだが、今はかえって好都合だと思った。

 俺がどう切り出そうかと思っていると、担任が廊下を指さした。

「今、ちょっといいか?」

「えっ、はい」

 自分から声をかけるつもりが、気が付けば担任のペースになっていた。

 何の話か分からないが、ここ最近の事を考えるとろくな話じゃないだろう。

 恐らく、昨日の女生徒欠席祭りと関係があるはずだ。

 最悪、他の(女)生徒に悪影響を与える危険人物認定され、登校停止処分なんてこともありえる。

 その場合、奏についてやれなくなる。それだけは避けなければ……。

 そんな事を考えていると、担任が空き教室のドアを開けた。

 そこは、つい最近佐伯が俺に例のファンサイトを教えてくれた場所だ。

 あの時は、気付かなかったが全体的に教室の後ろに机が寄せられている中、二組の机と椅子が向き合うように置かれていた。

「とりあえず、座ろうか」

 担任は、そう言うと取調室状態になっている椅子を指差した。

 もう悪い予感しかなかった。俺は、記憶の中にある担任の個人データを呼び出した。

 三十代男。確か既婚で娘がいたはず。

 飄々としていて、生徒に必要以上に干渉するタイプではない。

 典型的な放任主義の教師だと思っていただけに、いきなり俺をこんな所に呼び出した理由が気になって仕方なかった。

 これは、どう考えてもらしくない行動だ。

 俺は、担任が自分だけの考えで動いているのか分からないと思った。

 もしかして、もっと上からの圧力……なのか? 

 完全に血の気が引いた俺に、担任は申し訳なさそうに言った。

「お前は、基本的にまじめにやっているし、俺から言うことはないんだが、
ちょっと困ったことになってな……」

 担任は、あからさまに気乗りしない雰囲気を出していた。

 俺は、身構えつつも、ひとまず話を聞くことにした。

「昨日から急に欠席者が目立つようになってな……今日も朝からいくつか電話が来て、さすがにおかしいと思ったから理由を問いただしたんだ。すると、お前に好きな人がいるのが分かったショックだと言うんだよ。さすがに、そんな理由の欠席は認めないから体調が悪くないなら来いと言ったんだ」

 俺は、頭を抱えた。

 天敵の逆襲だ。

 あいつらは、いつだって予想もつかない事をやってのける。

 気が付けば、見えない角度から攻撃が来るんだ。

 恐らく、あいつらには自分がしている事が俺の立場をどれだけ危うくするかなんて考えていない。

 悪意があるからじゃない。ナチュラルに殺しに来るから天敵なんだ。

 呆然とする俺に、担任が申し訳なさそうに言った。

「この件は、お前に非がないのは分かってる。でも、話が大きくなり過ぎた。さすがに、何らかの対応をしなきゃならん。だから、お前の気持ちを聞きたい」

「は、はぁ」

 俺は、生返事を返すと、担任の出方を待った。

 こういう場合、あくまでも心当たりがない風を装う為、きょとんとした表情の一つもしたい所だが、すぐに諦めた。

 今日ほど自分の無表情を呪ったことはなかった。

 とりあえず、俺は下手に喋らない事にした。

 その間に、何とかさっきの質問の意図を探ろうとしたが、余りにざっくりし過ぎていて、どう受け取っていいのか分からなかった。

 黙り込む俺。なかなか喋り出さない担任。

 気まずい沈黙が続き、さすがに何か言った方がいいと俺が思い始めた頃、ようやく担任が口を開いた。

「実は、昨日お前の家の前で起こった騒ぎを見てたんだ。たまたまうちの生徒が授業時間中に校舎の周りをうろついていると近隣の住民から連絡を受けて、見回りに行くところだったんだよ。あいつら、よせばいいのに制服姿でたむろするもんだから、目についたんだろうな。それで、さっきの質問なんだが、女子にもみくちゃにされてたお前の顔が固まっているように見えた。お前は余り表情に出さないタイプのようだが、俺には本当に困っているように見えたんだ。さすがに、集団欠席のような事になった以上、何らかの対応をしなきゃならんのだが、どうしたものかと思ってなぁ……とにかく、お前の気持ちをまず聞きたい。叶野、お前女生徒が今のようにお前に言い寄ってくるのをどう思ってる? 昨日みたいなのは完全に迷惑だと思うが、あの子達がちゃんと節度を守ってくれるなら、満更でもないのか、それとも……とにかくお前の気持ちを聞かせて欲しい」

「俺の気持ち……ですか?」

 俺は、黙り込んだ。

 担任が言っている事は何となく分かったが、俺には自分がどう立ち回ればいいのか分からなかった。

 今は、俺だけの都合で動く訳にはいかない。奏の件も含めなきゃなどと考え込んでいる内に、時間だけが過ぎていった。

 そんな気まずい沈黙を破ったのは担任だった。

「ちょっと、いきなり過ぎたかもしれんな。俺が言いたいのは良くも悪くも
お前次第だという事だ。叶野がどの程度困っているのかによって、あの子達の行動にどこまで対処しなきゃならんのかが変わってくる。お前が別にそんなに嫌がってないなら、ここは学校なんだ。集団欠席や近隣住民の迷惑になるような事はやめなさいと言うだけになる。でも、お前が心底困っているなら、話は変わってくる。もっと踏み込んだ事も、場合によっては考えなきゃならなくなる」

 一瞬、俺の脳裏に保健室登校の文字が浮かんだ。

 担任は、俺を隔離するつもりなのかもしれない。常識的に考えれば、俺一人を別の場所に移す方が、女子達を一人一人指導するよりも楽だ。

 こうして俺の話を聞いているのも形だけで、結論はもう出ているのかもしれない。

 だとしたら、俺に出来る事はない。

 俺は、すっかり投げやりになっていた。

 とりあえず、俺だけ別教室で授業になったとしても、行きと帰りだけ奏と合流できればストーカー対策は出来る。

 そもそも奏と同じクラスになれる保証もないのだから、ちょっと距離が離れたからってそれ程違いはないのかもしれない。

 さすがに、元実習生も学校に突入して来たりはしないだろう。

 それなら、登下校時だけ奏と一緒にいられれば何とかなる。むしろ、その方が奏を俺の問題に巻き込まなくて済むのかもしれない。

 そう自分を納得させようとしていた俺に、担任が詰め寄った。

「叶野、俺はお前の本当の気持ちを聞きたいんだ。お前は、自分の気持ちをもっと表現するようにした方がいい。今回の欠席の件で、俺なりにあの子たちの話を聞いた。お前は、あの子達にノーしか言ってないんだよ。それじゃあ、相手だってお前の気持ちが分からないし、お前がどんな人間なのかも伝わらない。それが誤解や憶測を生むんだ。叶野、お前は自分の気持ちをもっと表現した方がいい。やり過ごしているだけじゃ解決しない事だってあるんだよ」

「で、でも」

 俺は、迷っていた。

 ここで本音を吐き出せば、俺の中にあるドロドロしたものが一気にあふれ出してしまう気がした。

 本当にそんな事をしなければいけないのか?

 ろくに話をしたこともない担任をどこまで信用していいものなのか?

 そんな俺の気持ちを見透かすように担任がたたみかけた。

「叶野、はっきりしろ。お前がはっきりしないと周りも協力できない。八木崎だって転校して来るんだろう? お前がそんな事じゃ、とても守り切れないぞ」

 俺は、ハッとした。

 どうせ理解してもらえないといつも諦めてきた。何となくやり過ごせればいいと思ってきた。

 奏の事があって、いつまでもそれじゃいけないと思ったはずなのに、俺はまた逃げようとしていた。

 俺の為にも、奏の為にも、今行動しなければいけないと思った。

「分かりました。俺は、迷惑してます。それは、あの子達だけが悪い訳ではありません。俺の特殊な事情が関係しているんです。うまく説明できるか分かりませんが、俺から話をさせてもらえませんか?」

 担任が驚いた様子で俺を見ていた。

 俺は、自分がどう思っていて、どんな話をするつもりなのかを担任に伝えた。

 しばらく考え込んでいた担任は、俺の肩に手を置いた。

「お前の気持ちをぶつけてみろ。骨は拾ってやる」

 俺は、担任の顔を見た。

 かなり適当な人なんだろうと思っていた担任が、思いのほか教師っぽい顔をしていた。

 俺は、深々と頭を下げた。

「ご迷惑をおかけしてすみません。よろしくお願いします」

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