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天敵彼女 (86)
結局、奏に詳しい事情を聞けないまま授業が始まった。さっきから教師が何やら言っているようだが、正直それどころじゃない。
一応、教科書を開いてはいるが、筆記用具すら出していない状態だ。
このままではいつ教師に注意されても仕方がないが、そんな事どうでも良かった。
俺は、静かにキレていた。
まだ、詳細は分からないが、縁さんがわざわざ学校に連絡するという事は、元実習生関連で間違いないだろう。
折角、うまくいきかけていたのに、またふり出しだ。
奏が転校してからまだ一か月も経っていない。慣れ親しんだ学校を追われ、早坂と二人新しい環境に飛び込み、ようやく友達もでき始めた。
そんな時期に、またここから去らなければならないのか?
奏は、次はどこに行くのだろう? 元実習生に、学校が割れたのだとしたら、徒歩数分のうちに住み続けるのも難しくなってくる。
やっと一緒に暮らせるようになったのに、もう離れなければならないのか?
俺は、唇を噛んだ。
もう授業どころではない。朝から全く教師の話が頭に入ってこなかった。
俺は、これから自分がどうするべきなのかを考えていた。
毒母とアノ人物に壊された二つの家庭が一つになり、やっと平穏な毎日を手に入れたはずだったのに……俺は、過去最大の怒りを感じていた。
あいつらは、いつだって他人の生活を踏みにじってくる。
自分にも小さい子供がいて、配偶者がいて、守らなければならない家庭があるのに、一時の欲を優先して、家族を裏切り、散々に破壊して、悪びれる事もない。
そういう人間たちと同種の何かを、俺は元実習生に感じていた。
そもそもアイツは奏に顔見知り以上の関係になる事をはっきりと拒絶されている。
それでも、無駄な悪あがきを続けたが、年下の奏をきれいごとで丸め込むことも出来ず、周囲を巻き込むことにも失敗して、今ではただの犯罪者予備軍に堕ちてしまった。
そんな輩が、今更奏に何の用があるというのだろうか?
あいつらは、いつだってそうだ。自分の我儘で人を傷つける。一体、どこにそんな権利があるというのか?
自分の欲望に忠実に生きていれば、何をしても許されると思っているのだろうか?
ふざけるな!
盛りのついたサルがそんなに偉いのか?
俺は、絶対にあいつらを認めない。
もう、あいつらにこれ以上大事なものを奪われる訳にはいかない。その為なら、何だってやるつもりだ。
多分、近いうちにその機会はやってくる。
俺は、今度こそあのクソ野郎どもに一矢報いるつもりだ。
(ねぇ)
(どうしたの?)
(峻、聞いてる?)
不安げな奏の声。俺は、ハッとして顔を上げた。
「ご、ごめん。ボーっとしてた」
「大丈夫? ずっと怖い顔してるよ」
「えっ?」
俺は、窓ガラスに映る自分の顔を見た。確かに、自分でもやばいくらいに目がイッていた。
さすがにこれはまずい。自分の事だけで精一杯なはずの奏に心配させてしまっている。俺は、大きく息を吸い込み、俺なりの笑顔を作った。
「ごめんね。それより大丈夫?」
「うん、私は大丈夫だよ。でも、しばらく学校には行けないかも……」
奏の表情が曇った。やはりそうかと思った。経緯は不明だが、とにかく元 実習生にここがばれてしまったのだろう。
俺は、ため息をついた。
「そっか……折角、うちにも慣れてきたのにね」
「仕方ないよ。でも、峻と一緒に学校に通えないのは残念かな……」
奏が遠い目をした。俺は、思わず呟いた。
「大丈夫だよ。奏はすぐ通えるようになるから……」
奏が驚いた様子で俺を見た。何か聞きたそうだったが、そこでチャイムが鳴った。
「もう授業かぁ……また、話しようね」
「うん、分かった……ところで、今何時間目?」
俺がそう訊ねると、奏が笑った。
「次は現国だよ。あの先生怖いから、ちゃんと授業受けないとだよ」
「分かった。ありがとう」
俺は、一時間目から出しっぱなしになっていた教科書をしまうと、現代の国語の教科書を出した。
せめて今日一日は平穏に過ごす努力をしよう……俺は、それからは真面目に授業を受けた。
この時間は、奏だけじゃなくて、俺にとっても貴重だと思ったからだ。
ふと隣に目をやると、奏が一生懸命ノートを取っていた。
俺は、密かに奏だけは守り抜く覚悟を決めた。