天敵彼女 (62)
夕食の衝撃が未だ冷めやらぬ中、若干胃もたれ気味の俺は、一心不乱に皿を洗っていた。
まだ、あれは夢だったんじゃないかと思いたがる自分がいる。
元々食が細いほうではあるが、他人の食べっぷりに圧倒されて、食欲が無くなったのは初めてだった。
多分、この後俺も父さんも胃薬を飲むことになるだろう。やはり、うちの家系は慌てて食べては駄目なようだ。
さっきから、リビングから話し声が聞こえる。何やら話し合っているようだが、内容は良く分からない。
声の感じから、早坂と奏だけじゃなくて、縁さんもいるようだ。父さんは、速攻で自分の部屋に戻って行った。
多分、自室に常備している胃薬を飲みに行ったんだろう。俺も、さっきから若干鳩尾の上がキリキリし始めている。
とりあえず、しばらく安静にしないと、今にストマックを突き上げられる羽目になる。
とにかく、無理は禁物だ。俺は、これ以上早坂の件に深入りしない事にした。
そもそも、最近知り合ったばかりの早坂と、一度しか会った事のないご両親とのトラブル解決など、俺には無理だ。
しかも、相手は女子だ。どんなに詳しくしても、俺には本当の所を理解できないだろう。
今思えば、佐伯を尋問しなくて良かったのかもしれない。
この時点で、早坂プチ家出事件(仮称)は、俺の中で迷宮入りが確定した。申し訳ないが、早坂の件は奏達に丸投げするしかないだろう。
そんな事を考えていると、縁さんが俺に声をかけた。
「峻君、おやすみ」
「あっ、おやすみなさい」
縁さんが自分の家に帰って行った。
まだ、奏と早坂はリビングで話し込んでいる。時折、笑い声も聞こえるので、込み入った話をしているのではなく、二人でテレビを見ているだけなのかもしれない。
奏達の話に加わるべきなのかもしれないが、今日は何だか疲れた。
俺は、洗い物が済んだら、部屋に帰って休むことにした。
そんなタイミングで、玄関のチャイムが鳴った。
俺は、洗い物を中断し、両手をタオルで拭いた。キッチンを出ると、奏と目が合った。
「いいよ。俺が出るから」
そう言うと、奏はリビングに戻って行った。早坂が申し訳なさそうにこちらを見ている気がした。
俺は、もう確認しなくてもいい気がしたが、インターホンのモニターをチェックした。
予想通り、小柄な女性と大きな箱を抱えた男性が映し出されていた。
「はいっ!」
と俺が言うと、女性の声がした。
「早坂ですが、娘の荷物を持ってきました」
「あっ、はい。少々お待ちください」
俺は、早坂と奏に声をかけた。
「早坂のご両親が来たみたいだけど、どうする?」
一瞬、奏と早坂が顔を見合わせた。
「都陽はどうする?」
「私、会いたくない」
「分かった。じゃあ、私が行くね」
「ごめんね」
「いいよ」
それから、奏は俺と一緒に玄関に出た。
「この度は、ご迷惑をおかけして……」
早坂ママが申し訳なさそうに菓子折りを差し出した。基本、早坂両親の応対は奏がやってくれた。
その間、過保護なパパはずっと黙り込んでいた。どことなく元気がない様子だった。
俺は、ひとまず早坂の荷物を受け取り、廊下に置いた。良く分からないが、父さんと縁さんを呼んだ方が良い気がした。
「ちょっと行ってくるね」
「うん、よろしく」
奏に声をかけると、俺は二階に上がった。父さんの部屋をノックすると、すぐに返事があった。
俺は、事のあらましを父さんに伝え、二人で玄関に向かった。その頃には、渡り廊下から縁さんも来ていた。
「いつもお世話になっております。峻の父です」
「都陽の母です。この度は申し訳ありません」
「いえ、気にしないで下さい。八木崎さんも私も娘さんが遊びに来てくれて、うちが明るくなったと喜んでいるんですよ」
「そう言っていただけると……八木崎さんもすみません」
「いえいえ、うちの娘も仲の良い友達が来てくれてはしゃいでますし……まあ、何日かすれば本人も落ち着くと思いますし……しばらく都陽ちゃんをお借りします」
「本当にすみません。よろしくお願いします」
それから間もなく早坂のご両親は帰って行った。一応、父さんと縁さんも見送りに出てきた。
「娘をお願いします」
結局、早坂パパが発したのはその一言だけだった。俺は、何とも言えない気持ちで、遠ざかっていく車を見つめた。
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