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ヒューマノイド∽アイドロイド∅ガール (10)
何となく気分が晴れなかった。
何度か道に迷いながらも、ようやく地下駐車場にたどり着いた僕は、おっさんの指令通り鈴里依舞達を見送った。
「お疲れさまでした」
頭を下げ、少し抑え気味の声を出すと、車の中でお辞儀をする鈴里依舞が見えた。
城ケ崎さんは、相変わらず挙動不審だったが、少しは僕にも慣れてくれたのか、パニックは起こさなかった。
この車が見えなくなったら、すぐに戻らなければならないが、こんなに気が進まないのは初めてだ。
出来れば、このまま消えてしまいたいが、既に逃げ出すことも出来ない心理状態になっていたのだろう。
僕は、気が付けば必死で廊下を走っていた。早く帰らないと〇されると本気で思っていた。
息をきらしおっさんの部屋をノックすると、安定の罵声が返ってきた。
そこからが、本当の地獄だった。
ここの片付けと明日からの打ち合わせ……それ以上の説明がないまま、もう小一時間が過ぎた。
その間、僕はひたすら部屋中を這いずり回り、「おっさんの壁」に跳ね返され続けた。
もう何テイク目になるだろうか? 自分ではこれ以上ない程きれいになっていると思うのだが、おっさんはただの一度も頷かない。
こんな時間からガチ掃除とか、頭がおかしいと思った。僕は、完全におっさんのやばさを舐めていた。
しかも、これは終わりではない。まだ、打ち合わせと称したパ〇ハラが残っているのだ。
そんな事を考えながら、僕が一瞬手を止めると、おっさんの怒号が響いた。
「何やってんだ? 早くしろっ!」
「はいいっ!」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。ずっと不機嫌そうに腕を組んでいたおっさんが突然「お言葉」を発したのだ。
そして、それからが真の恐怖の始まりだった。僕が掃除だと思っていたものは、おっさんに一分の隙も無く、とことん否定されることになった。
「おいっ、ここっ!」
「すみま……」(アアッ!!!)
「す、すぐ雑巾かけますっ!」
「ここも汚れてんだろうが!」
「はいっいいいいいいっ!」
「何で終わった所に触るんだ? 指紋つくだろうがぁ! 棚にぶつかってんじゃねぇぞ、ゴラアアア!!!」
絶え間ない叱責に耐え、ようやくおっさんが満足するクオリティまで部屋を磨き上げた僕は、満を持して打ち合わせと称した恫喝を喰らった(号泣)。
「ったく、どんだけ時間かけてるんだ? 明日から最低限これ位はきれいにしろよ!? 分かったな?」
「はいいいいいいいいっ!!!!!」
僕は、気力ゼロの状態で何とか声を絞り出した。
この瞬間、日常清掃を超越したレベルの苦行が、日々のルーティーンになってしまったのだった。
こうして、おっさんだけが清々しい気分になる中、僕の目の前にまた分厚いファイル(館内図)が置かれた。
当然、おっさんはそれ以上何も言わない。
どうやら、明日から鈴里依舞が立ち寄る関係先を隈なく覚えろということのようだ。
既に疲労のピークを越えていた僕は、言葉と態度両方で拒否るそぶりを見せた。
もちろん、物理的に分からせられたが……。
「……ったく、やりたくないとか十年早いんだよ。どうだ? 覚えたな?」
「はいっ!」
「二度と見なくていいな?」
僕は、心の中でノーと叫びながら大きく頷いた。やるしかなかった。これ以上、弱音を吐いたら〇されると思った。
「よしっ!」
おっさんは、すぐにファイルを片付け、次の話を始めた。
いつ終わるともしれない組事務所監禁――僕は、もう、限界だった(迫真)。
「お前、依舞がここに来た理由、分かってるな?」
「はいっ!」
「何だ?」
「アイドルです」
「だから、何だ?」
僕は、何一つわかっていなかった。それでもおっさんの質問に答えないと〇される。〇されるから、いかにも分かっている体で即答した。
「アイドルになる為です!」
一瞬嫌な間があいた。
これは、命取りだったか……僕は、腹に力を込めた。
「そうだ! そういうことだな……」
おっさんがたばこを取り出した。どうやら勘が当たったらしい。
「俺は、あの子をステージに上げる約束をした。その為に、まずあの子と同じ顔をしたアイドロイドをデビューさせる! 明日はそのための準備だ」
「はいっ!」
僕は、相変わらず何一つ理解していなかった。とりあえず、良い返事をしてその場をやり過ごせばいいと思っていた。
しかし、おっさんはどこまでも甘くなかった。
「流れはそんなところだ。で、何か質問あるか?」
「はいっ?」
汗が止まらなかった。ここにきて、質疑応答が来るとは――僕は、煙草の煙をもろに顔面に浴びながら考えた。
「早くしろっ!」
「はいっ!」
もう持ち時間は使い切っている。これ以上、おっさんを待たせると、目の前で燃えている七百度の物体が飛んでくるに違いない。
煙だけでもスリップダメージがきつい。本体だけは勘弁してほしかった。
もう内容などどうでもいい。質問でありさえすれば……僕は、思わず口走った。
「あの子を売り出すために、あの子のアイドロイドを作るんですよね? それ意味あるんですか? あっ……」。
僕は、絶句した。
ゆるいバイトの終業後に始まった地獄。激ヤバなおっさんとの悲惨な体験が、僕の中に負の感情を蓄積させていたのだろう。
きっとそれは避けられない事故だった。思わず口をついて出た本音がおっさんの機嫌を著しく害した。
「意味あるのかだと?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。気が付けば、おっさんが僕を睨んでいた。
ヤバイ、ジライ、フンダ――僕は、全力で誤魔化す事にした。
「ちちち、違います。意味ありますね? 意味ありますねって言いましたぁっ!」
これで勘弁して下さい。何でもしますから(懇願)――最早、目の前の極道を直視する事など出来なかった。
「平間ァ……」
ここに来て、おっさんの声のトーンが更に一段下がった。もう怖いのを通り越していた。
「お前、俺が何でもかんでも怒鳴ると思ってるだろう? 怒らないから言ってみろ。今は、お前の意見を聞きたいんだ……なぁ? 言ってみろよ! なぁ?」
おっさん方面から尋常じゃない圧を感じた。間違いなく、怒らないっていうのは嘘だ。
ダレカ、タスケテ――僕は、最後の賭けに出た。
「……分かりました。さっきの意味とか言った件ですが……それは、あの子ならアイドロイドの助けを借りなくても大丈夫っ! きっとすごいイベントになるだろうなぁって意味で、意味あるんですかって、そういう意味でしたぁぁあぁぁぁぁっぁっ――以上です」
異常な静けさだった。やっぱりおっさんに誤魔化しは通用しないのか? 僕は、恐る恐る顔を上げた。
「おいっ! お前舐めてんのか?」
おっさんが完全にキレていた。尋常じゃないプレッシャーが迫ってくる。
最早フルボッコは不可避。どうせやられるなら、最後に言いたい事を――僕は、覚悟を決めた。
「分かりました……本音で言います。僕は、おっさ……あ、あなたのプランはおかしいと思います。実在の人間をそのままアイドロイドにするという発想そのものが、アイドロイドの事を分かってないっていうか……とにかく、絶対に失敗すると思います。やるだけ無駄ですよ」
「ほぅ……」
おっさんが黙り込んだ。多分、僕の意見は間違っていない。
鈴里依舞をそのままアイドロイドにして、人間の限界的な部分を人工知能に補わせる発想自体はいい。確かに、初期アイドロイドとならそれなりに勝負できただろう。
でも、今そんな事をするのは馬鹿げている。何故なら、アイドロイド業界は、とっくの昔に次のステージに到達してしまったからだ(※個人の見解です)。
おっさんは知らないのだろうか?
アイドロイドは、ファンの理想の形に変化する。現在の超高性能化した家庭用人工知能があれば、自分だけの専用アイドルを作り出すことなど、クッソみたいに簡単だ。
断言してもいい。鈴里依舞の顔をしたアイドロイドは、発表と同時に原型をとどめない程カスタマイズされ、この世から消滅する(※あくまで、個人の見解です)。
思わずスカウト部で見た少女たちの顔が浮かんだ。僕は、おっさんに疑問をぶつけた。
「アイドロイドの事、分かってますか? 初期状態をあの子の顔にしても無意味です。すぐにカスタマイズされて誰の印象にも残りません。そんなアイドルをステージにあげて何になるんですか? 知らない生タレの歌なんて、誰も聞きたくないですよっ!」
言ったった。言い切ったった――思わず踏み越えたデッドラインは、一瞬で地平線の彼方に消えた。
「ほぉ」
当然、おっさんの機嫌は一気に悪くなり、僕の身に迫る危険は激増した――オワタ。
「生意気言ってんじゃねぇぞっ! ガキがぁ……お前、誰に物言ってんだ? 俺がこの業界の実態を知らないって言ってんだよな?」
やばい。コ〇される――膝が悲しいくらい震えた。さっきまであんなに饒舌だった僕は、一言も発する事が出来なくなった。
「ここまで俺をコケにした奴は初めてだ……よく顔を見せろよ。なぁ? なぁっ?」
おっさんの視線が痛い。僕は、僕の危機感がどう具現化するのかを、今まさに身をもって体験しようとしていた。
「俺が選んだタレントを一瞬で消去されるゴミ扱いしたって事だよなぁ? 平間ァッ! ヒラマアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
目の前でおっさんがブチ切れている。過去最大級のピンチだ。僕は思った――命がけで謝ろうと。
「すみませんっ! 僕が間違ってましたああああああああああああぁっ!」
ようやく言葉をひねり出した僕は、すかさず土下座の態勢になった。
出来れば、この世の終わりまで地面だけを見つめていたかったが、おっさんは僕を引きずり起こすと、至近距離で吠えた。
「俺はお前の謝罪は一切受け付けんっ! お前に残された道は一つ。俺の賭けに乗る事だけだ! 今や人工知能の劣化版でしかない俺達人間が、機械に一泡吹かせる。その為には、人間を超えた力がいる。俺と依舞、城ケ崎とお前、全員の力が必要なんだ! 平間ァッ、お前の全てを賭けろっ! 分かったなぁあああああああっ?」
「はいいいいいいいいいいいいっ!」
完敗だった。僕は、クソみたいにたやすくおっさんの罠に嵌った。気が付けば、ろくに中身を確かめもしない賭けに、僕は加わっていた。
「よしっ! じゃあ、手始めに明日は依舞の型取りをする。型取りは分かるな?」
「はいっ! アイドロイド化するために、データを取ることです!」
「じゃあ、お前がする事は何だ?」
「3Dスキャンが出来る部屋までの案内役ですっ! 型取りには、城ケ崎さんが立ち会いますっ!」
「違うっ! その辺は城ヶ崎に任せる。お前は、その後の準備だ。確かカスタマイズの帝王だったよな? 依舞を一瞬で消せるんだろう? だったら、お前がまずやってみろっ!」
「はいっ! 僕が……って、えっ?」
何か動悸がした。おっさんが付き人以上の事を僕にやらせようとしている。当然、今以上にシビアな成果を要求されるに違いない。
やっぱり駄目だ。逃げよう――そんな気持ちでいると、おっさんにガチで怒鳴られた。
「おい、何がえっなんだ? やるって言ったそばからそれかっ? コラァッ!」
「す、すみません」
「いいか? これから俺の前ではい、出来ます、やれます以外を言ったら……コ○スぞ!」
遂に来るべき時が来たと思った。
完全な絶望が僕の目の前に広がっていた。
もう夜逃げしかないが、それすら怖くて出来ないレベルで、僕はおっさんにビビっていた。
「明日から毎日始発で来いっ! コミュ部に、お前のための教育用ヒューマノイドを用意した。仕事はそいつに聞いて覚えろっ! 分かったな?」
結局、おっさんの説明はそこで終わり、地獄行きが決定した。
運命に抗う術を失った僕は、ただ頷くだけの人形になった。心なしか上機嫌っぽいおっさん。
人の心を殺しておいて……鬼畜って本当にいるんだなぁって思った。
「よし、今日はこれで終わりだ。さっき渡したカード返せ……お前のカードの制限外しといたから、明日からは自分の使え! それと一応、これだ」
来客用IDカード回収と同時に、差し出された紙片。そこには、おっさんの名前と役職が書かれていた。
代表取締役社長――僕は、全く何も感じることなくそれを受け取った。
「おいっ! なってねぇなぁ……」
何か、おっさんがキレてる気がするが、何の事だか良く分からなかった。僕は、おっさんに手を掴まれ、さっきの紙の扱いを叩き込まれた。
「ったく、名刺位ちゃんと扱わんかっ! いいぞっ! 明日から気合入れろよっ!」
「はいっ! お疲れ様でしたっ!」
やっと帰れる――思わず小走りになった僕は、ドアの前まで来たところで、大事な事を思い出した。
「すみません……僕のカード、コミュ部に置いて来た鞄の中です」
「のっ、ボケがぁっ!」
首がずれるかと思った。僕は、一日の最後におっさんの手荒い突っ込みを喰らった。