読書に帰ってきた話
【10年ぶりに読書趣味を再開したことを語っているだけの雑文】
10年ぶりに読書が楽しい。
そもそも私は活字中毒であった。
子供の頃から実家の本棚を漁り、大人向けの雑学本や育児書やレシピ本に手を出し、小学生の頃にはミステリに目覚め、高校時代は新本格に夢中だった。いちばん読んでいたのは大学1年生の頃で、なんと年間150冊を超えていた。
しかしさしものミステリ偏愛者も労働には勝てなかった。就職して忙しくなり、余裕がなくなった。
偏執的ですらあった私の読書記録は、新卒4年目にぱったりと途絶えた。
時は流れ、流れに流れて約10年。
機会は唐突にやってきた。
京極夏彦御大が、新作『鵼の碑』『了巷説百物語』を立て続けに出版された。片や17年ぶりの最新刊、片やシリーズ完結編。これは買うしかない。
買った。読んだ。喝采した。
しかし問題があった。『了巷説百物語』は、前述の通り、シリーズ完結編である。つまり、これまでのエピソードや登場人物が、次から次へと語られる。
私は唸った。シリーズ既刊はすべて読んでいるとはいえ、もう10年以上も前のことなのだ。持っていない本もある。覚えていない、さすがに。本筋が理解できないわけではないが、不完全燃焼であることは否めない。
私は久しぶりに――図書館なる場所に足を向けた。
2年前に引っ越してきたこの街で、初めて貸出カードを作った。
もっとも関わりの深かった第2作『続巷説百物語』を借りた。
満たされた。
ようやく、私の巷説百物語は完結した。
そして手元に、貸出カードが残った。
せっかくだからもう少し読もうかな、という気になった。
最近の図書館は便利になった。web上で蔵書を検索できるし、予約もできる。
ミステリから離れて久しく、なにを読めば良いのかわからなかった。小説の選びかたがわからず、しばし途方に暮れた。
しかし一方で、興味関心のありかははっきりしていた。学生時代の専門は、日本語学。私はことばが好きなのだ。
言語学や言葉や文章に関わる本、読みやすそうな教養本や新書。それからエッセイ。
電子書籍ストアで埃をかぶっていた「お気に入り」リストをひっくり返した。気になった本を片っ端から蔵書検索にかけ、見つかれば予約して借りて読んだ。
そうこうしているうちに、転職が決まった。
通勤時間が長くなった。行きは満員だが、運が良ければ帰りは座れる。
私は通勤バッグに本を忍ばせるようになった。
実に10年ぶりの習慣だった。
もみくちゃにされる満員電車では、さすがに本を開くわけにはいかない。スマホを見ることすら厳しい。だから行きの電車では、イヤホンで耳を塞いでじっと過ごす。
しばらくPodcastを聴いていたのだが、折良くAudibleの格安期間が始まったので、ありがたく恩恵を受けることにした。言葉に哲学、雑学に文章術に片付け本。
読む読書に、聴く読書。
通勤が楽しくなった。
本、楽しいな。
図書館で、久しぶりにミステリを借りた。
あれから10年。あの頃、彗星のように現れた作家たちが、知らない間に作品を積み重ねている。大好きだったベテラン作家たちが、新作を積み重ねている。
もしかしたらいずれ、仕事が忙しくなるかもしれない。また、本から離れる日がくるかもしれない。
けれど今は、読みたいのだ。1冊でも2冊でも、目でも耳でも、知識も物語も、読みたい。
読みたいものは、ありすぎるほどあったのだ、たぶん。
私は本をひらいた。
あの頃の私が、おかえり、と笑った。