カール・マルクス 著『資本論 』第三巻 第五篇 第二十九章~第三十六章 読書メモ
カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第三巻 第五篇 第二十九章~第三十六章に目次をつけたものを再掲載します。
第三巻 資本主義的生産の総過程
第五篇 利子と企業者と利得とへの利潤の分割。利子付資本
第二十九章 銀行資本の構成部分
銀行 資本 は、( 1) 現金、 すなわち 金 または 銀行券 から、( 2) 有価証券 から、 成る。 後者 を、 われわれ は さらに 二つ の 部分 に 分ける こと が できる。
その 一つ は、 商業証券、手形 で、 これ は 短期 の もの で、 次々 に 満期 となり、 また その 割引 において 銀行 業者 の 本来 の 業務 が 形成 さ れる。
他 の 一つ は、 公的 有価証券、 たとえば 国債証券、国庫 証券、 各種 の 株式 の 如き で、 要するに 利子 付 証券 では ある が 手形 とは 本質的 に 区別 さ れる もの で ある。 不動産 抵当証券 も これ に 数え られ うる。
これら の 物的構成 部分 から 組成 さ れる 資本 は、 さらに 銀行 業者 自身 の 投下 資本 と、 彼 の banking capital〔 銀行 営業 資本〕 または 借入資本 を なす 預金 とに 分け られる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3771). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
国債 なる 資本 は、 依然として 純粋 に 仮想 的 な 資本 で あり、 そして 債券 が 売れ なく なっ た 瞬間から、 この 資本 の 仮象 は なく なる で あろ う。 それ にも かかわら ず、 われわれ が すぐ に 見る で あろ う よう に、 この 空 資本 は それ 自身 の 運動 を もつ ので ある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3818). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本主義 的 観念 様式 の 錯 倒 性 は、 ここ で その 頂点 に 達する。 すなわち、 資本 の 価値 増殖 を 労働力 の 搾取 から 説明 するかわり に、 逆 に、 労働力 の 生産性 は、 労働力 自身 が この 神秘的 な もの、 利子 付 資本 で ある という こと から、 説明 さ れる ので ある。
17世紀の後半には、これが一つの愛好観念であったが、それは今日なお、あるいは俗流経済学者により、あるいはまた主としてドイツの統計学者によって、大まじめに 用い られ て いる。 ここ では 残念 ながら、 この 無 思想 な 観念 を 不愉快 に 断 する 二つ の 事情 が 出現 する。
第一 は、 労働者 は この 利子 を 受取る ため には 労働 せ ねなら ない という こと で あり、 第二 は、 労働者 は、 その 労働力 の 資本 価値 を 移転 によって は 貨幣 化 し え ない という こと で ある。
むしろ、 彼 の 労働力 の 年 価値 は、 彼の 年 平均賃金 に 等しい ので あり、 そして 彼 が 労働力 の 買い手 の ため に 彼 の 労働 によって 補 塡 せ ね ば なら ない もの は、 この 価値 自体 に、 その 増殖 分 なる 剰余価値 を加えたものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3826). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
債務 証券 有価証券 が 国債 の ば あい の ように純粋に幻想的な資本を表すのではないばあいにも、この証券の資本価値は純粋に幻想的である。エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3851). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
銀行 の 予備 基金 は、発達した資本主義的生産の諸国では、つねに平均的には、退蔵貨幣として現存する貨幣の大いさを表現し、そしてこの退蔵貨幣の一部は、それ自体また証券から、単なる金の支払指図券ではあるがなんら自己価値ではない証券から、成っている。
それゆえ、銀行業者資本の最大部分は、純粋に仮想的なもので、債券(手形)、国債証券(過去の資本を代表するもの)および株式(将来の収益の支払指図券)から成っている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3923). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第三十章 貨幣資本と現実資本Ⅰ
信用制度にかんして、われわれがこれから近づこうとするただ一つの困難な困難な問題は、次のものである。
第一:本来の貨幣資本の蓄積
それはどの程度まで、現実の資本蓄積の、すなわち拡大された規模における再生産の指標であるか、またどの程度までそうでないか?
いわゆる資本の過多、つねに利子付資本すなわち貨幣資本についてのみ用いられるこの表現は、産業上に過剰生産を表現する特殊の仕方にすぎないのであるか、それともそれとは別に特殊の一現象をなすのであるか?
貨幣資本のこの過多、この過剰供給は、停滞する貨幣量(金地金・金貨幣および銀行券)の現存と一致するか、したがって現実貨幣のこの過剰は、かの貸付資本の過多の表現であり現象形態であるか?
第二:貨幣逼迫、すなわち貸付資本 の 不足 は、 どの 程度 まで 現実 資本( 商品 資本 と 生産資本) の 不足 を 表現 する か? 他面 では、 それ は どの 程度 まで 貨幣 そのもの の 不足、 流通手段 の 不足 と一致するか?
われわれが、これまで貨幣資本や貨幣財産一般の蓄積の特有な形態を考察したかぎりでは、それは、労働にたいする所有の請求権の蓄積に帰着した。
国債 という 資本 の 蓄積 は、 すでに 示さ れ た よう に、 租税 額 について 一定 額 を 先取り する 権利 を 与え られ た 国家 の 債権者 という 一階 級 の 増大 以外の何ものを意味しない。債務の蓄積さえもが、資本の蓄積として現れうるというこれらの事実において、信用制度のもとに生ずる歪曲の完成が示される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4076). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
当面 の 問題 をより 狭い 限界 内 に 引 戻せ ば、 国債 も 株式 その他 の 各種 有価証券 も、貸付可能資本の、利子を産むべく予定されている資本の、投下部面である。これらの有価証券はこの資本を貸出す形態である。しかし、それらの形態で投下される貸付資本なのではない。
他面、信用が再生産過程において直接の役割を演ずるかぎりでは、産業家や商人が手形割引、または貸付を受けたいと思うとき、彼が必要とするのは、株式でも国債証券でもない。彼が必要とするものは、貨幣である。したがって、ほかに貨幣の調達のしようがなければ、彼はかの有価証券を質入れまたは売却する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4141). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
かくして、 再生産 過程 の この 膨脹 に 攪乱 が 生ずれ ば、 あるいは ただ その 正常 な 緊張 に 攪乱 が 生じ た だけでも、 それ とともに、また信用の欠乏も現れる。商品を信用で入手することはより困難となる。
しかしとくに現金支払いの要求と信用販売の警戒とは、産業循環中の崩壊に続く段階にとって特徴的である。恐慌の最中には各人が売るべきものをもちながら売りえず、しかも支払いをなすためには売らねばならないのであるから、投下されるべき非運用資本の量ではなく、その再生産過程において阻止されている資本の量が最大であるのは、まさに、信用欠乏も最大であるとき(したがって、銀行業者信用にあっては割引率が最高であるとき)においてである。
そのときには、すでに投下された資本が、実際には大量的に遊休している、というのは、再生産過程が停滞しているからである。工場は休止し、原料は堆積され、完成生産物は、商品として市場に溢れる。
だから、かかる状態を、生産資本の欠乏に起因するものとするよりも甚だしい間違いはない。むしろ、まさにかかるときこそ、一部は正常ではあるが一時的に縮小された再生産規模との関連において、一部は麻痺した消費との関連において、生産資本過剰が存するのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4259). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
したがって、 全体 として 見れ ば、 利子率において表現されるような貸付資本の運動は、産業資本の運動とは反対の方向に進行する。低いとはいえ最低限度以上に立つ利子率が、恐慌後の「好転」および信任増大と一致する段階、またとくに、利子率がその平均の高さに、その最低限度と最高限度とから等距離にある中位点に、達する段階、ただこの両段階のみが、豊富な貸付資本と産業資本の大膨張との一致を表現する。
しかし、産業循環の初めには、低い利子率が産業資本と収縮と、そして循環の終わりには、高い利子率が産業資本の過多と一致する。「好転」に伴う低い利子率は、商業信用がまだ自分の足で立っているので、僅かな度合でしか銀行信用を必要としない。
この産業循環は、ひとたび最初の衝撃が与えられた後には、同じ循環が周期的再生産されざるをえないというようになっている。弛緩の状態にあっては、生産は、それが以前の循環において到達した、そしていまやその技術的基礎を与えられている規模以下に低下する。
繁栄期ー--中位期ー--には、生産はこの基礎の上で、さらに発展する。過剰生産と思惑との時期には、生産は生産諸力を極度まで緊張させて、生産過程の資本主義的限界を超えさせるまでに至る。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4393). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
恐慌 期 には 支 払 手段 が 不足 する という こと は 自明 で ある。 手形 の 貨幣 転化 が 商品 自体 の 変態 に 代わってしまい、そしてまさにかような時期には、一部の商社がただ信用のみによって営業するにつれて、ますますそうなる。
再生産過程の全関連が信用の上に立っているような生産体制にあっては、信用が突然停止されて現金払いしか通用しなくなれば、一見して明らかに、一つの恐慌が、支払手段への殺到が、現われざるをえない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4430). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
非 生産 階級 と 固定 所得 によって 生活 する 諸 階級 の 収入 は、過剰生産と過度投機と相伴う価格膨張の時期には、大部分は静止的である。それゆえ、彼らの消費能力は相対的に減少し、またそれとともに、総再生産のうち、正常ならば彼らの消費に入るべき部分を補填する彼らの能力も、相対的に減少する。彼らの需要が名目的には同じままであるばあいにも、現実にはそれは減少する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4457). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
商品 資本 は、 潜勢 的 貨幣資本 を 表示するというその属性を、恐慌期と一般に不況期には大きな程度において失う。ということが知られる。
空資本、利子付証券についても、それら自身が、貨幣資本として取引所で流通するかぎりでは、同じことが言える。利子が高くなるにつれて、これらの証券の価格は低落する。この価格は、さらに、証券所有者が貨幣を調達するために市場で証券を大量に売り放つことを余儀なくする一般的な信用欠乏によって、低落する。
最後に株式のばあいには。その価格は、一部は、その株式を支払指図券とする収入の減少の結果、一部は充分にしばしばその株式によって代表されている企業の山師的性格の結果低落する。
空貨幣資本は、恐慌期には甚だしく減少し、またそれとともに、その所有者がそれをもって市場で貨幣を調達する力も減少する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4516). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第三十一章 貨幣資本と現実資本Ⅱ
貸付 可能 な 貨幣資本 への 貨幣 の 転化 は、 生産資本への貨幣の転化よりもはるかに簡単な事柄である、しかし、われわれはここでは、二つのことを区別せねばならない。
貸付資本への貨幣の単なる転化。
貸付け資本に転化される貨幣への、資本または収入への転化。
産業資本に現実の蓄積と関連する、積極的な貸付資本蓄積を含みうるのは、ただ後者でけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4530). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第一節 貸付資本への貨幣の転化
生産的 蓄積 と 逆比例 する かぎり において のみ、これと関連する貸付資本の堆積、その過剰豊富が生じうることは、われわれのすでに見たところである。こういうばあいは、産業循環の二つの段階で生ずる。すなわち第一は、産業資本とのいずれの形態においても収縮している時期、したがって、恐慌後の循環開始期である。第二は、好転が始まってはいるが商業信用が銀行信用をまだ僅かしか要求しない時期である。
第一のばあいには、以前には生産と商業に充用されていた貨幣資本が、運用されていない貸付資本として現われる。第二のばあいは、それが次第により多く充用されるようになるが、しかし、この時は産業資本家と商業資本が、貨幣資本家に条件を指定するのであるから、きわめて低い利子率で充用される。
貸付資本の過剰は、第一のばあいには産業資本の停滞を表現し、第二のばあいには、還流の流動性、信用の短期、自己資本による営業の量的優勢ひ基づく、銀行信用から商業信用に相対的独立を表現する。他人の信用資本をあてにする投機師は、まだ出動していない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4537). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
地方 の 預金 者 は、 ただ その 取引 銀行 業者 に のみ 預金 す べきものと思い込み、さらにまたその銀行業者が貸出すばあいには、その知合いの私人にたいして貸出しがなされるものと思い込んでいる。彼の預金をこの銀行業者にもいささかも自分の操作を監督されることのないロンドンの手形仲買人に用立てようとは、彼には思いもよらないのである。
大公共企業、たとえば鉄道建設のばあい、払込まれた金額が現実に使用されるようになるまでつねに一定期間は銀行の手中にあって利用されうるということによって、それがいかに一時的には、貸付資本を増加させうるかは、われわれのすでに見たところである。
なおまた、貸付資本の量は、通貨の量とは全く異なるものである。われわれがここで通貨の量というのは、一国の存する一切の流通銀行券と、貴金属地金を含めて一切の硬貨との総額のことである。この量の一部分は、その大きさから見てたえず変動しつつある諸銀行の準備をなす。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4648). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
現実 資本 すなわち 生産資本 と 商品 資本の蓄積については、輸出入統計が一つの尺度を与える。そしてそこではつねに、10年の周期をもって運動するイギリス産業の発展期(1815~1870年)については、毎回恐慌前の最後の繁栄期の最高額が、次に繁栄期の最低額として再現し、次にまたはるかにより高い新たな最高額に上昇することが示される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4700). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第二節 貸付資本に転化される貨幣への、資本または収入の転化
すべて の 貨幣 貸付資本家の蓄積は、言うまでもなく、つねに直接に貨幣形態で行われるが、すでにわれわれの見たように、産業資本家の現実の蓄積は、通則として再生産資本の諸要素自体の増加によって行われる。
したがって、信用制度の発達と、諸大銀行の手における貨幣貸付業の巨大な集積とは、それ自体としてもすでに、貸付可能な資本の蓄積を、現実の蓄積とは異なる一形態として、促進せざるをえない。それゆえ、貸付資本の急速な発展は現実の蓄積の一結果である。
なぜならば、それは再生産過程の発展の結果であり、また、これらの貨幣資本家の蓄積源泉をなす利潤は、再生産資本家が打出す剰余価値からの一控除分である(と同時に他人の貯蓄の利子の一部分の所得である)にすぎないからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4731). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
ある 紡績 業者 が 彼 の 糸 を 綿花 と 交換 し、 収 入 を なす 部分 を 貨幣 と 交換 し た と すれ ば、 彼 の産業資本の現実の存在は、織物業者またはばあいによっては私的消費者の手に移った糸であり、そしてこの糸はー--再生産に向けられる消費に向けられるとを問わずー--それに含まれている資本価値の在り様でもあれば、剰余価値の在り様でもある。
貨幣に転化される剰余価値の大いさは、糸に含まれている剰余価値に大いさにかかる。しかし糸が貨幣に転化されるや否や、この貨幣は、ただこの剰余価値に価値存在であるにすぎない。
そして、かかるものとして、この貨幣は貸付資本の要素となる。そうなるためには、もしすでにその所有者自身によって貸出されていないならば、預金に転化されること以外には、何も必要ではない。
これに反して、生産資本に再転化されるためには、それはすでに一定のl最小限界に達していなけらばならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4778). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第三十ニ章 貨幣資本と現実資本Ⅲ(結)
こうして 資本 に 再転 化 さ れる べき 貨幣の量は、大量再生産過程の結果ではあるが、しかし、それだけとして見れば、貸付可能な貨幣資本としては、それ自体で再生産資本の量なのではない。
これまで展開されたことのうちもっとも重要なことは、収入のうちから消費に向けられる部分の拡大が(労働者の収入は可変資本に等しいのであるから、そこでは労働者は問題外とされる)差当りまず貨幣資本の蓄積として現われるということである。
すなわち、貨幣資本の蓄積には、産業資本の現実の蓄積とは本質的に異なる一要素が入る。なぜならば、年生産物のうちから消費に向けられる部分は、決して資本にはならないからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4792). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
収入を代表し、 単なる 消費 媒介者 として 役立つ その 同じ 貨幣 が、通則として、ある期間は貸付可能な貨幣資本に転化される。この貨幣が労働賃金を表示するかぎりでは、それは同時に可変資本の貨幣形態である。
そして、消費手段の生産者の不変資本を補填するかぎりでは、それは、彼らの不変資本が一時的にとる貨幣形態であって、彼らの補填されるべき不変資本の現物要素の購入に役立つ。
この二つの形態のいずれにおいても、この貨幣自体は蓄積を表現しないー--その量は再生産過程に大いさとともに増大するのであるが。しかしそれは一時的には、貸出されうる貨幣の、したがって貨幣資本の、機能を行なう。
かくして、この面からすれば、貨幣資本の蓄積は、つねに、現実に存するよりも大きい資本蓄積を反映せねばならない。
というのは、個人的消費の拡大が貨幣によって媒介され、そして現実の蓄積のために、新たな投資を開始する貨幣のために、貨幣形態を供給するのであるから、貨幣資本の蓄積として現われるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4804). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
実際、商業信用に基礎の上では、ある者が他の者に、彼が再生産過程で必要とする貨幣を貸すのである。しかし、いまやこのことが次のような形態をとる。
再生産 者 の 一部 から 貨幣 を 借りる 銀行 業者 が、 再生産 者 の 他 の 部分 に貨幣を貸し、そこでは銀行業者が福の神として現われ、そして同時に、この資本の処分権は仲介者なる銀行業者の手に握られてしまう、という形態である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4818). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
ところで 利潤 の うち の 他方 の 部分、 収 入 として 消費 さ れる よう に 定め られていない部分について言えば、それは、それが作り出された生産部面における事業拡張に直接に充用されないばあいにのみ、貨幣資本に転化される。このことは二つの理由から生じうる。
その一つは、この部面が資本で飽和していることである。二つには、この特定の事業における新たな資本の投下の数量関係に応じて、蓄積が、資本として機能しうるためには、まず一定の大いさに達していなければならないということである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4836). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
一方では、産業資本 家 の 資本 は、 彼 自身 によって「 貯蓄」 さ れる のでは なく、 彼 は その 資本 の 大 い さに 比例 し て、 他人 の 貯蓄を支配するのである。
他方では、貨幣資本家は他人の貯蓄を自分の資本となし、再生産資本家が相互に与え合う信用と公衆が彼らに与える信用を、自己の私的致富源泉となすのである。資本が、自分の労働と貯蓄の仔であるかのように考える資本主義体制の最後の幻想は、これによって雲散する。
利潤が他人の労働の取得にあるのみではなく、この他人の労働を運動させて搾取するための資本も他人の所有から成るのであって、貨幣資本家は、これを産業資本家に用立て、そのかわりに今度は前者が後者を搾取するのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4867). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
一見して明らかに、貸付資本 は つねに 貨幣 の 形態 で 存在 し、 後 には 貨幣 にたいする 請求権 として 存在 する、 という のは、 貸付資本 の 元来 の 存在形態である貨幣は、いまや借り手の手にあって、現実の貨幣形態をもって存在しているからである。貸し手にとってそれは貨幣にたいする請求権に、一つの所有名義に、転化されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4895). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
労働力 にたいする 需要 は、 労働 の 搾取 が とくに 有利 な 事情 の もと で 行なわ れる という 理由 から、 増加しうるのであるが、しかし、労働力にたいする、したがって可変資本にたいする需要の増大は、それ自体としては利潤を増加させるもにではなく、むしろそれだけ利潤を縮小させるものである。
とはいえ、それとともに可変資本にたいする需要が増加しえ、したがって貨幣資本にたいする需要も増加しえ、そしてこれは利子率を高めうる。
そのばあいには労働力の市場価格は、その平均を超えて上昇し、平均数以上の労働者が雇傭され、そして同時に利子率が上昇する。なぜならば、かの諸事情とともに貨幣資本にたいする需要が増大するからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5039). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
利子率 の 市場 率 は( 貸付) 資本 の 供給 と 需要 と によって 規定 さ れ て いる という 平凡 な 命題 を、 オーヴァストーン は 狡猾 に、 貸付資本 は 資本 一般 と 同じ で ある と する 彼自身の仮定と混同し、そうすることによって、高利貸を唯一の資本家に、高利貸の資本を唯一の資本に、転化しようと試みるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5088). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
支払手段にたいする需要は、商人および生産者 が 確実 な 担保 を 提供 し うる かぎり では、 単なる、 貨幣 への 転化 の 可能性 にたいする 需要 で ある。
そう で ない かぎり では、 すなわち、 支 払 手段 の 前貸し が 彼ら に貨幣 形態 を 与える のみ では なく、 形態 の 如何 を 問わ ず 彼ら に 欠け て いる 支払い の ため の 等価 をも 与える かぎり では、 支 払 手段 にたいする 需要 は、 貨幣資本 にたいする需要である。これは、通説の両方の側が恐慌の判断において、正当でもあり不当でもある点である。
その判断において、単に支払手段の不足が存在するにすぎない、と言う人々は、ただ確実な担保の所有者のみを眼中に置いているか、または、紙片によってすべての破産した山師を支払能力のある堅実な資本家に転化することが銀行の義務であり力であるかのように信ずる愚人であるか、である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5096). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
貨幣 が 価値 の 独立 形態 として 商品 に 相対 する こと、 または、 交換価値 は 貨幣 において 独立 の 形態 を 与え られ ね ば なら ず、 そして この こと は、 一定 の 商品 が 材料となってその価値において他のすべての商品が測られるということによってのみ、可能になるということ、まさにこのことによってその商品が一般的商品に、すなわち他 の すべて の 商品 との 対立 における 絶対 商品 に、 なる という こと、 これ は 資本主義 的 生産 の 基礎 で ある。
この こと は、 二つ の 点 において 現われ ざる を え ない のであっ て、 ことに、 一面 では 信用 操作 によって、 他面 では 信用貨幣 によって、 著しい 程度 に 貨幣 の 代用 をさ せ て いる 資本主義 的 に 発達 し た 諸 国民 の もと では、 そうである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5110). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
商品 の 価値 が 貨幣価値 として 確保 さ れ て いる のは、 一般に ただ、 貨幣 が確保されているあいだだけである。それゆえに、わずか数百万の貨幣のために、幾百万もの商品が犠牲に供されねばならない。これは、資本主義的生産においては不可避であるとともに、その美点の一つをなすものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5129). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
労働 の 社会的性格 が、 商品 の 貨幣 存在 として、 したがって 現実 の 生産 の 外 に ある 一つ の 物 として、現われるかぎり、貨幣恐慌は、現実の恐慌とは独立に、またはそれの激化として、不可避である。
他面、一銀行の信用が動揺するに至っていないかぎり、その銀行は、かようなばあいには信用貨幣の増加によって恐慌を緩和するが、信用貨幣の回収は、かえって恐慌を助長する、ということは明らかである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5133). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
ところで、恐慌のなすところは、支払差額と貿易差額のあいだの差異を、 一つ の 短期間 に 圧縮 する こと で ある。 そして、 恐慌 に 襲わ れ、 したがって 支 払 期限 に 当面 し て いる 国民 の もと で 展開 さ れる よう な 特定 の 諸 状態 ーーーこれら の諸状態が、すでにかような決済期間の短縮を伴うのである。
まず貴金属の送出。次いで委託商品の投売り。投売りのための、または国内でそれにたいする貨幣前貸を調達するための、諸商品の輸出。利子率の解約予告、有価証券の低落、外国有価証券の投売り、この減価した有価証券への投下のための外国資本の牽引、最後に一群の諸債権を清算する破産。
その際、恐慌の起きた国に、なおも金属が送られることがしばしばある、というのは、その国あての手形は不確実で、したがって、支払いは金属によってもっとも確実に行われるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5148). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
準備金 は、 営業 局 に 着目 さ れる かぎり では、 ただ 預金 の ため の 準備金 で ある。 オーヴァストーン 等 に よれ ば、 営業 局 は、「自動的」発券を顧慮することなく、ただ銀行業者としてのに行動すべきものである。
しかし、現実の逼迫の時期には、この銀行は、ただ銀行券のみから成る営業局の準備金の如何にかかわりなく、金属準備の上に非常に鋭い眼を向けるのである。
また、破産すまいと思えば、そうせざるをえないのである。なぜならば、金属準備が消失するのと同じ度合で、銀行券の準備も消失するからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5207). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第三十三章 信用制度のもとにおける流通手段
これ は 二重 に 解されねばならない。一面では、流通手段を節約するすべての方法は、信用を基礎としている。
しかし第二に、たとえば、一枚の500ポンド銀行券をとってみよう。Aはこれを今日ある手形の支払いのためにBに与える。Bは同じ日に彼の取引銀行業者に預金する。この銀行業者はその日のうちに、それをもってCのために手形を割引く。Cはそれを彼の銀行に支払い、銀行はそれを前貸しとして手形仲買人に渡し、さらに次に続く。
ここで銀行券が流通する速度、購買または支払いに役立つ速度は、それが、たえず再び預金の形態で誰かの手に帰りさらにまた借入金の形態で誰かの手に渡る速度によって、媒介されている。
流通手段の単なる節約は、手形交換所において、満期手形の単なる交換と、ただ残高のみを清算するための支払手段としての貨幣の機能の優勢とにおいて、最高の発展をとげて現われる。しかし、これらの手形の存在は、それ自身また、産業家や商人が相互に与え合う信用を基礎とする。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5215). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
流通 銀行券 の 量 は 取引 上 の 必要 によって 規制 さ れ、 すべての過剰な銀行券は、直ちにその発行者のもとに帰る。イングランドでは、イングランド銀行券だけが、法定支払手段として一般的に流通するのであるから、われわれは、ここでは地方銀行券の些少な単に地方的な流通を無視することができる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5294). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
いわゆる国立銀行およびそれを取巻く大きな貨幣貸付業者と高利貸をその中心とする信用制度は、一つの異常な集中であって、この寄生階級に、単に産業資本家を周期的に大減殺するのみでなく、危機極まる仕方で現実の生産に干渉する法外な力を与えるーーーしかも、この一味は生産のことは何も知らず、また生産とはなんの関係もない。
それでもなお、これらの尊敬すべき盗賊どもが国民的生産を搾取するのは、ただ生産および被搾取者自身の利益のためにほかならない、ということを疑う人があるならば、おそらく彼は、銀行業者に高い道徳的品位にかんする次のような付論によって蒙を啓かれるであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5921). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第三十四章 通貨主義と1844年のイギリス銀行立法
リカードによれば、貨幣---金属貨幣ーーーの価値は、それにおいて対象化されている労働時間によって規定されるのであるが、しかしそれは、貨幣の量が、取引されるべき商品の量と価格に対して正しい比率をなすかぎりにおいてのみのことである。
貨幣の量がこの比率以上に増大すれば、その価値は低下し、商品価格は上昇する。貨幣に量が正しい比率以下に減少すれば、その価値は上昇し、商品価格は低下するーーーその他の事情は不変なものとして第一のばあいには、この金の過剰が存する国は、その価値以下に下がった金を輸出して商品を輸入するであろう。
第二のばあいには、金は、それがその価値以上に評価される諸国に流れて行くであろう、と同時に、低く評価された商品はそこから、それが正常な価格を実現しうる他の諸市場に流れて行く。
これらの前提のもとでは、
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5941). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
このリカードの説の倒錯性に論証も同じ個所でなされているので、ここでは繰返す必要はない。われわれの興味をひくのは、ただ、前記のピールの銀行条例を口授した銀行理論家一派によって、リカードの諸教条が加工された仕方だけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6006). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
商品 価格 は 通貨 の 額 における 諸 変動 によって調節される、という主張が、いまや、割引率に諸変動は、貨幣資本から区別された現実の素材的資本にたいする需要の諸変動を表現する、という文句の下に隠蔽される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6054). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
しかし 実際 には、 金 量 の 増加 は 利子率 を 高く し、 その 減少 は これ を 低く する だけで ある。 そして、 これら の 利子率 変動が、費用価格の確定または需要供給の決定において計算に入らないとすれば、それらは商品価格には全然影響しないであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6063). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
いかに イングランド銀行 券 の 信用 が すべて の 専門家 に 不動 と 見なさ れ て いる かは、 われわれ の 見 た ところ で ある。 それ にも かかわらず、銀行条例は、900万~1000万の金を銀行券の兌換可能性のために絶対的に固定させる。かくして退蔵貨幣の神聖さと不可侵とが、昔の貨幣退蔵者におけるとは全く異なる仕方で、貫徹される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6375). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第三十五章 貴金属と為替相場
第一節 金準備の運動
逼迫 期 における 銀行券の蓄蔵にかんしては社会のもっとも原初的な状態で不安の時期に現われるような、貴金属をもってする貨幣退蔵が、ここで繰返される、ということが注意されるべきである。
1844年の条例が、その効果において興味をひくのは、この条例は、国内にある一切の貴金属を流通手段に転化しようとするものだからである。それは、金の流出を流通手段の収縮と、金の流入を流通手段の膨張と、同一視しようとする。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6446). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
貴金属 の 流 出入 に かんし ては、 次に 述べる こと が 注意 さ れねばならない。
第一には、一方における金銀を産しない地域内の金属の往来移動と、他方における産地から他の諸国に及ぶ金銀の流動およびこれら諸国間のこの追加分の分配とのあいだに、区別がされねばならない。
第二に。金銀を生産しない諸国のあいだでは、貴金属がたえず流出入している。同じ国がたえずそれを輸入し、また同様にたえず輸出する。結局において流出が生じたか流入が生じたかを決定するものは、ただ、いずれの側への運動が優勢だったかということだけである。
なぜならば、単に振動的な、往々にして並行的な諸運動は、大部分相殺されてしまうからである。しかしそれゆえにまた、この結果を見ることによって、両運動の恒常性と大体において並行的な経過とが看過される、ということにもなるのである。第三に。輸入と輸出とのいずれが優勢であるかは、大体において、中央銀行にある金属準備の増減によって測られる。この測度器がどの程度まで正確であるかは、もちろん第一に、銀行業一般がどの程度まで集中されているか、にかかる。(中略)
この測度器は正確ではない、というのは、追加的輸入が、ある種の事情のもとでは、国内流通と金銀の奢侈的使用の増大とによって吸収されるからである。第四に。減少の運動が比較的長期間持続し、したがって減少が運動の傾向として表示され、そして中央銀行の金属準備がその中位の高さよりも著しく低く圧し下げられて、ついにはこの準備の中位的最低限度に達するに至る、というばあいには、金属輸出は流出という態容をとる。
第五に。いわゆる国立銀行の金属準備の使命ー--といっても、決してそれだけで単独に金属準備の大いさを規制するものではない、というわけは、金属準備は国内取引や対外取引の単なる麻痺によって増大しうるからであるー--は三重である。
(1)国際的支払いのための予備基金、一言でいえば世界貨幣の予備基金。
(2)交互的に膨張し収縮する国内金属流通のための予備基金。
(3)銀行機能と関連するものであって、単なる貨幣としての貨幣機能とはなんら関係ないもの、すなわち、預金支払いのためおよび銀行券の兌換性のための予備基金。第六に。1837年のようなことを除けば、現実の恐慌は、つねに為替相場に転回の後に、すなわち貴金属の輸入が再び輸出を凌駕したときに、初めて突発した。
第七に。一般的恐慌が終息するや否や、金銀は再びー--生産国からの新たな貴金属の流入は別としてー--諸国の別々の準備金として均衡を保って存在していた比率をもって、分配される。他の事情が不変のままならば、各国における金銀の相対的大いさは、世界市場における各国の役割によって、規定されているであろう。
第八に。金属流出は、たいていは、対外貿易の状態における一変化の徴候であり、そしてこの変化はまた、諸関係が再び恐慌へと成熟しつつあることの一前兆である。
第九に。支払差額は、アジアに順、ヨーロッパとアメリカは逆でありうる。
貴金属の輸入は、主として二つの時期に生ずる。一方では、恐慌に続く、そして生産縮小の表現である、利子率の低い第一段階においてである。そして次には利子率が上昇するが、まだその中位の高さには達していない第二段階においてである。
これは、還流が容易に行なわれ、商業信用が大きく、したがって貸付資本にたいする需要が生産の拡大に比例しては増大しない段階である。
貸付資本が比較的豊富なこの両段階では、金銀の形態で存在する、したがって差当りはただ貸付資本としてのみ機能しうる形態で存在する資本の過剰流入が、利子率に、したがってまた全事業の調子に、著しく影響せざるをえない。
他面では、入金がもはや円滑ではなくなり、市場が供給過剰となり、外観上の繁栄がただ信用によってのみ維持されるようになれば、かくしてすでに貸付資本にたいする著しく増大した需要が存在し、したがって利子率が少なくともすでにその中位の高さに達したならば、貴金属の流出が、その連続的な甚だしい輸出が、現われる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6456). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
生産 物 の 貨幣 形態 を、 何 か ただ 消 過 的 な もの として、 また 観念的 な もの として、 単なる 観念 として、 現われさせるものは、生産の社会的性格にたいする信頼である。
しかし、信用が動揺させられるや否やー--そして近代産業の循環においては、この段階はつねに必然的に出現するー--いまや一切の実在的な富が、現実に、そして突然に貨幣に、金銀に、転化さるべきことになる。それは一つの錯乱した要求であるとはいえ、制度そのものから必然的に生ずるものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6678). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
恐慌 では、 一切 の 手形、 有価証券、 商品 が、 一挙 に 同時に 銀行 貨幣 に 換え られ う べき で あり、 そして これら 一切 の 銀行貨幣は、さらに金に換えられうべきであるという要求が現われる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6695). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第ニ節 為替相場
対アジア為替相場
以下 の 諸点 は 次 の 理由 によって 重要 で ある。 すなわち、 一面 では それらの点は、イギリスの対アジア為替相場が不利であるとき、いかにイギリスは、イギリスの媒介によって自己のアジアからの輸入を支払う他の諸国によって、その埋合せをつけねばならないか、を示すからである。
第二には、ここでもまウィルスン氏は、貴金属の輸出が為替相場に及ぼす影響と資本一般の輸出がこの相場に及ぼす影響とを、支払手段または購買手段としての輸出ではなく投資としての輸出が問題であるばあいに前記の両者を、同一視するという愚かな試みをやっているからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6775). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
「 それ ゆえ、 諸 商品 が 過剰 に 存する なら ば、 貨幣 利子 は 低く なけれ ば なら ない」 と『 エコノミスト』 は 言う。 まさに逆のことが恐慌時には起きる。商品は過剰で、貨幣に換えられえず、したがって、利子率は高い。循環の他の一段階では、商品にたいする大きな需要があり、したがって還流は容易であるが、同時に商品価格の上昇が現われ、そして容易に還流が行なわれるから、利子率は低い。
「それら」(諸商品)「が稀少ならば、貨幣利子は高くなければならない」。再び逆のことが、恐慌後の弛緩期には起きる。商品は、需要に比してではなく、絶対的に言って、稀少である。そして利子率は低い。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7083). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
市場 が 輸入 商品 で 供給 過剰 に なっ て いる なら ば、 商品 を 市場 に 投げ出す 必要 を 避ける ため に 所有者 側 からの 貸付資本 需要 が 増大 する結果、利子率は上昇するかもしれない。また商業信用にたいする需要をなお相対的に低く保つという理由から、利子率は低下するかもしれない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7094). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
イギリスの貿易差額
インド だけでも「 善政」 にたいして 約 500万の貢物を、すなわちイギリス資本の利子や配当などを、支払わねばならないのであるが、これには、あるいは職員によって彼らの棒給からの貯蓄として、あるいはイギリス商人によって彼らの利潤のうちからイギリスで投下されるべき部分として、年々本国に送られる金額は全然加算されていない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7133). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
重金主義 は 本質的 に カトリック 的 で あり、 信用 主義 は 本質的 に プロテスタント 的 で ある。「スコットランド人は金を嫌う」。紙券としては、諸商品が貨幣として存在することは、一つの単に社会的な存在である。聖列に加わらしめるものは、信仰である。
商品の内在的霊魂としての貨幣価値にたいする信仰、生産様式とその予定秩序とにたいする信仰、自己自身を価値増殖する資本の単なる人格化としての、個々の生産担当者にたいする信仰。
しかし、プロテスタント教がカトリック教の基礎から解放されないように、信用主義は、重金主義の基礎から解放されない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7184). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第三十六章 資本主義以前
利子 付 資本、 または われわれ が その 古風 な 形態 に 名づけ ていう高利貸資本は、その双生の兄弟である商人資本とともに、久しい以前から資本主義的様式に先行しそしてきわめて種々に異なる経済的社会構造において見出される、資本の大洪水以前的諸形態に属する。
高利貸資本の存在は、諸生産物に少なくとも一部分が商品に転化され、商品取引と同時に貨幣が種々の機能において発展していること以外には、何ごとをも必要としない。
高利貸資本の発展は、商人資本の発展およびことに貨幣取引資本の発展につながる。古代ローマでは、工場手工業が古代の平均的発展よりもはるかに低い状態にあった共和制の最後の時代以来、商人資本、貨幣取引資本、高利貸資本はー--古代的形態の内部ではー--最高点まで発展していた。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7197). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
しかし、 資本主義 的 生産様式 以前 の 諸 時代 における 高利 貸 資本 が、 特徴 的 形態とあいて存在する仕方は、二様である。私は特徴的形態と言う。同じ形態は、資本主義的生産の基礎の上でも反復されるが、しかし単に副次的な形態としてである。
それらは、ここではもはや、利子付資本の性格を規定する形態ではない。この二つの形態というのは、第一には、浪費者的貴人への、主として土地所有者への、貨幣貸付けによる高利である。
第二には、自分自身の労働諸条件を所有している小生産者への貸付けによる高利である。この小生産者のうちには手工業者が含まれるが、しかしとくに農民が含まれる、というのは、一般に前資本主義的諸状態においては、それが小さな独立の個別生産者の存在を許すかぎりでは、農民階級が、その大多数をなさねばならないからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7219). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
ローマ貴族の高利が、ローマの平民を、小農民 を、 全く 破滅 さ せ て しまっ た とき、 この 搾取 形態 は 終わり を 告げ、 そして、 小 農民 経済 に かわっ て 純粋 の 奴隷 経済 が現われたのである。
ここ では、 生産者 の 最 必需 生活 手段( 後 の 労働 賃金 に 相当 する 額) を 超える 一切 の 超 過分( 後 には 利潤 および地代として現われるもの)が、利子の形態のもとに、高利貸によって呑込まれうる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7241). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
高利は、生産手段が分散されているところで、貨幣財産を集中する。それは生産様式を変化させることなく、寄生虫としてこれに吸いつき、これを悲惨なものにする。
高利は生産様式から吸い上げ、これを衰弱させ、そして、再生産にたいして、ますますみすぼらしい条件のもとに行われることを強要する。
それゆえ、高利にたいする民衆の憎悪は、生産者による彼の生産諸条件の所有が同時に政治的諸関係の基礎であり、国民の独立性の基礎であった古代世界において、もっと甚だしかった。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7272). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
中世には、どの国でも一般的利子率なるものは行われなかった。教会は初めから一切の利子取引を禁止していた。法律も裁判も、ただ僅かに貸付けを保証したにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7288). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
しかしながら、貨幣の支払手段としての機能は、本来の、大きな、特有な、高利の地盤である。一定の支払期限を付された貨幣給付、借地料、年貢、租税等は、いずれも貨幣支払いの必要を伴う。それゆえに、大体において高利は、古代ローマから近代に至るまで、徴税請負人に付着する。
次いで、商業や商品生産の一般化とともに、買いと支払いとの時間的分離が発展する。貨幣は一定の期日に引渡されればよい。いかにこのことが、今日なお貨幣資本家と高利貸との区別が判然しないような状態に至らしめるうるかは、近代の貨幣恐慌がこれを証明する。
しかし、同じ高利は、支払手段としての貨幣の必要をさらに発達させる主要手段となる。なぜならば、それは生産者をますます深く負債の下に陥れ、利子負担で彼の規則的な再生産をさえ不可能にすることによって、普通の支払手段を彼から奪い去るからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7339). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
無財産の人物が産業家または商人として信用を受取るばあいでさえも、それは、借入れた資本をもって彼が資本家として機能し不払労働を取得するであろうという信頼感において行われるのである。潜勢的資本家として、彼に信用を与えられるのである。
そして、経済学的弁護論者によっていたく讃嘆されるこの事情、すなわち財産はないが、精力、堅実性、能力、事業知識を具えた一人物がかようにして一個の資本家に転化されうるーーー実際一般に資本主義的生産様式においては、各人の取引価値が多かれ少なかれ正しく評価されるーーーという事情、それは、既存の個々の資本家にたいしてはたえず一連の好ましからぬ射幸騎士を戦場に連れ出すとはいえ、資本自体の支配を強固にし、この支配の基礎を拡張し、またこの支配に、社会的下層からつねに新たな諸力をもって補充されるのを許すのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7370). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
高利 にたいする この 激しい 攻撃、 利子 付 資本 を 産業資本 に 従属 さ せる この 要求 は、 資本主義 的 生産のこれらの条件を近代的銀行制度において作り出す有機的創造の先駆であるにすぎない。
すなわち、この銀行制度は一面では一切の死蔵された貨幣貯備を集積して、貨幣市場に投げ出すことによって、高利貸資本からその独占を奪い、他面では信用貨幣の創造によって、貴金属の独占そのものを制限するのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7457). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
しかし、 忘れ て なら ない のは、 第一 には、 依然として 貨幣ー-- 貴金属 の 形態 におけるー-- は、 信用 制度 が 事柄 の 性質 上決して離脱しえない基礎であるということである。
第二には、信用制度は私人の手における社会的生産手段(資本および土地所有の形態における)の独占を前提するということ、それはそれ自身一面では資本主義的生産様式の内在的形態であり、他面ではその可能なかぎりの最高にして最終の形態に資本主義的生産様式を発展させる一推進力であるということ、である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7537). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
最後に、資本主義的生産様式から協同労働生産様式への移行に際して、信用制度が一つの強力な槓杆として役立つであろうことは、疑いを容れない。とはいえ、それはただ、それとは別の、生産様式そのものの大きな有機的な諸変革との関連において、一要素として役立つだけである。
これに反して、社会主義的意味における、信用制度と銀行制度の奇跡的な力にかんする幻想は、資本主義的生産とその諸形態の一つとしての信用制度にかんする完全な無知に起因するものである。
生産手段が資本に転化されることをやめてしまうや否や(それは私的土地所有の止揚も含まれる)、そのものとしての信用は、もはやなんの意味ももたないのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7562). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
貨幣 財産 が 特殊 の 財産 として 発展 する という こと は、 高利 貸 資本 に かんし ては、 それ が すべて の その 債権 を 貨幣 債権 の 形態で所有する、ということを意味する。
生産の量が現物給付等に、したがって使用価値に、局限されていればいるほど、ますます高利貸資本が一国において発展する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7634). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.