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空海について

苫米地英人著『空海は、すごい』に基づいて、一般的には弘法大師という名で知られている空海について学びます。

空海は、延暦23年(803年)遣唐使として唐に渡り、密教の第七祖である長安青龍寺の和尚恵果に師事することで、密教の奥義を伝授された。
恵果は、インドから中国へ渡った中期密教の代表経典『大日経』と『金剛頂経』(胎蔵曼荼羅と金剛曼荼羅)を継承していました。 

恵果の教えを受けた空海は、『大日経』と『金剛頂経』の両系統の教えを融合、補完して、両部不二の思想体系を確立しました。両部不二とは、空海が独自に考えたもので、もともと何の関係性もなかった両経典を一つにまとめ、大きな密教体系に編集したのです。

苫米地英人. 空海は、すごい 超訳 弘法大師のことば . Cognitive Research Labs. Kindle 版.

空海の学んだ中期密教は、釈迦の教えからもっとも離れたものでしたが、空海という天才は、そのような中期密教を釈迦の教えに近いものに仕立てた、と苫米地氏は述べる。

空海と最澄は遣唐使として、同時に唐に渡たりました。最澄は、すでに桓武天皇の護持僧として確固たる地位を築いていて、国費で留学していたが、空海は無名でしたので私費でした。ところが、帰国後は、密教を完全な形で持ち帰ることができたのは空海でした。

帰国後の空海と最澄は、経典の貸し借りなどをしていましたが、『理趣経』という難解な密教経典の解説書を借りたいという最澄からの申し出を、空海は断ります。

なぜ空海が最澄の申し出を断ったのかという真偽は不明ですが、最澄はお経を書き写すばかりで、密教の本質を学ぼうとしないと空海が判断したからだと伝わっています。

同上

本書を読んでから、「空海」という映画(1984年公開)をアマゾンプライムで観ましたが、同様のことを空海(北大路欣也)が最澄(加藤剛)に伝えていた。密教の考え方では、法は、経典のなかにあるのではなく、人から人へしか伝わらないとされます。

密教といえば、難行・苦行というイメージがあります。たとえば滝に打たれる、火の上を歩く、汗まみれになって護摩を焚いているというイメージです。ところが、実際に密教には、実践としての呪的な部分はあるものの、本質はまるで違う、と述べています。密教の世界を見事に体系化した空海の思想は下記の通りです。

空海は、この世のすべてのものは「六大」によってできていると説きました。六大とは、宇宙の構成要素である地・水・火・風の四大に、空・識という二要素を加えたものです。従来の密教は、万物は地・水・火・風・空の五大からなるとしてきました。ここでいう「空」とは空間の意味です。 
この五大に「識」(意識)を加えたのが空海の独創です。「識」は五大の上にくるものです。いってみれば物理空間の上に情報空間をおいたわけです。

同上

まさに、空海は、現在のIT情報化の先駆けという形になっています。

空海の思想の中核をなす言葉として「即身成仏」というものがあります。
「即身成仏」とは「生きたまま仏」になるという意味ですので、「ミイラになる」という意味になるのかと誤解していました。そうした意味もあるが、本来の意味は「今ここで、大日如来を受け入れること」なのだというのです。つまり、「今ここで、涅槃に行ける」というわけなのです。

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