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空海の名言

2024年6月2日に投稿した「般若心経」はにせもの? の記事以来、般若心経を唱え、写経することをルーチンとしています。ただ、どうしてもこの「にせもの?」にひっかかるものがある。それで、空海の最後の作品と推定されるもので、密教的解釈といえる『般若心経秘鍵』を読んでみて、つかえが取れた気がしています。

その中で、特に、気にいった空海の名言を一つ取り挙げます。

それは、「眼力が密教を見いだす」というものでした。

加藤精一氏による口語訳を記します。

また次のような疑問を持つ人があるでしょう。顕教と密教とは趣旨が全くかけ離れているとすれば、いまこの『心経』のような、いわゆる顕教の経典の文中に、密教の深旨が説かれているなどとする解釈は、不可能のはずではないか、と。  

それに対して私はこう答えましょう。医道にすぐれて詳しい医師が見れば、一般の人ではわからない道端の一草でも、それがなにに効く薬草であるかが見通せるし、宝石に詳しい人は、他の者が気づかない鉱石の中に、貴重な宝石がうもれていることが知れるのであります。

 このように、深い趣旨に気づくか気づかないかは、誰のせいでもない、その人の眼力に依るのであります。

空海. 空海「般若心経秘鍵」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫) (p.19). KADOKAWA / 角川学芸出版. Kindle 版.

空海は、自分の主張を密教とし、他の教えを顕教と呼んでいるのです。この二つのへだたりは、ひとえに、見る人の見方、眼力にかかっていることを示した名句であり、『般若心経秘鍵』の精神のすべてがこの句に凝結している、と加藤氏は述べており、その通りだと感じました。

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