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柄谷 行人著『 世界史の実験』読書メモ(再掲と追記)


第一部 実験の史学をめぐって

Ⅰ 柳田国男論と私

柳田国男の学問は、雑多な領域、文学、農政学、民俗学、人類学、宗教学、言語学などの領域に及ぶ。それは体系的ではないし、体系化することも難しい。(中略)それに対して、吉本隆明は、こう批判しました。《柳田国男の方法を、どこまでたどっても「抽象」というものの本質的な意味は、けっして生まれてこない。珠子玉と珠子玉を「勘」でつなぐ空間的な拡がりが続くだけである》(「無方法の方法」)。そして彼は柳田国男の『遠野物語』を材料にして、『共同体幻想論』を書いた。(中略)しかし、私が柳田国男試論を書こうと思ったのは、それに対して、意義があったからです。
(Kindle の位置No.65).株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この間、柳田国男に関しては、ほとんど書かなかった。柳田について再考し始めたのは、二〇一一年、東北大震災のあとです。私は大勢の死者が出たことに震撼させられた。それで、柳田が第二次大戦末期に書いた『先祖の話』を読み返したのです。
(Kindle の位置No.108).株式会社 岩波書店. Kindle 版.

私が震災後に柳田について全面的に再考しようとしたのは、前年に、『世界史の構造』を出版したからだと思います。つまり、そこで確立した観点から、柳田の考えたことを見直すようになった。例えば、柳田がいう「山人」を、”原遊動民”として見ることができるのです。
(Kindle の位置No.122). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

Ⅱ 実験の文学批評

i 島崎藤村

柳田国男のいう「実験の史学」、あるいは、歴史の自然実験とは、多くの面で類似しているが、その一部が顕著に異なるような複数のシステムを比較することによって、その違いが及ぼした影響を分析するものです。実は、柳田の仕事を見るときにも、この考えは役立ちます。その場合、私は、島崎藤村と比較するのがよいと思うのです。言うなれば、これは「実験の文学批評」です。
(Kindle の位置No.432). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

《東京へ帰ってから、そのころ島崎藤村が近所に住んでたものだから、帰って来るなり直ぐ私はその話をした。そしたら「君、その話を僕にくれ給えよ、誰にもいわずにくれ給え」ということになった。明治二十八年か九年か、ちょっとはっきりしないが、まだ大学にいるころだった》(『故郷七十年』朝日選書)。そのあと、藤村が書いたのが、「椰子の実」という詩です。
(Kindle の位置No.452). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ii 柳田国男

「根の国」に関して、柳田はつぎのように考えた。  宣長がネの国を地底と見なしたのは、ネに根という漢字を当てたためにすぎない生じた誤解にすぎない。例えば、ネは、沖縄ではニライと呼ばれるものに対応し、海の向こうの世界を意味します。ところが、ネを漢字で根と記述した結果、地底の世界だと考えられるようになってしまった。

そうでないことを知るためには、民間の経験を調べなければならない。柳田が、宣長が「文献」だけに頼り、「実験」しなかったと批判したのは、この意味です。そして、そのために、柳田は民俗学を実験の手段としたといえます。
(Kindle の位置No.780).株式会社 岩波書店. Kindle 版.

柳田 の 考え では、 外地 で 死ん だ 若者 たち の 霊 には 行く ところ が ない。 いわば、 裏山 の よう な 場所 が ない からです。 彼ら が、 国家神道 が 作っ た 靖国神社 の よう な 空疎 な 所 に 行く はず が ない のは 当然 です。 そこで、 柳田は、 子孫 を もうける こと なく 死ん だ 若者 たち の 養子 と なる こと を 提案 し て い ます。 彼ら を 先祖 に する ためです。  

さらに、 柳田 が いう「 新た な 社会組織」 は、 この よう な 戦争 を 二度と 起こさ ないよう な もの に する こと を 意味 し て い ます。 柳田 が 敗戦 の 三日 前 に《 いよいよ はたらか ね ば なら ぬ 世 になりぬ》 と 書い た とき、 長く 封印 し て き た「 実験」 の 時 が 到来 し た こと を 感じ て い た はず です。
(Kindle の位置No.1003). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

占領軍 の 総司令官 マッカーサー 将軍 は、 のち の 回顧録 で、 九条 を 提案 し た のは 幣 原 首相 だ と 書い て い ます。幣 原 は かつて 外交官 として パリ 不戦条約 に 立ち会っ た 人 です。 しかし、 実際 には、 九条 を 推進 し た のはのは 米 占領軍 内 の 左派( ニュー ディーラー) たち です。 彼ら は、 パリ 不戦条約 の 精神 だけで なく、 文言そのもの を 九条 で 用い て い ます。 ただ、 彼ら は 朝鮮戦争 が 始まる 時期 に パージ さ れ て しまい まし た。
(Kindle の位置No.1012). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二部 山人から見る世界史

つまり、「 一つ 目 小僧」 などの 妖怪 は、 仏教に 追わ れ て 隠れ た 古来 の 神 々 だ という ので ある。  

柳田 は 各地 で 山人 を 探索 しよ う と し た が、 見出し たのは、 天狗 や 妖怪 の よう な 伝承 だけで あっ た。 ゆえに、 それら は 村人 の「 共同 幻想」 として 片づけ られ た。しかし、 柳田 は そこ に こそ、 山人、 あるいは 固有 信仰 を 見よ う と し た ので ある。
(Kindle の位置No.1181). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

柳田 にとって、 靖国神社 などは、 明治 の 国家神道に もとづく 虚構 でしか なかっ た。 要するに、 柳田 は この よう な 侵略 戦争 は 固有 信仰 に 反する と 考え て い たのである。
(Kindle の位置No.1277). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

人々 は「 不平等」 が 生じる こと を 避ける ため に、 意識的 に 贈与 の 互 酬 原理 を 設定 し た のでは ない。それ は 彼ら の 意志 を 超え て 強迫 的 に 到来 し た ので ある。 フロイト は その 強迫 性 を「 原 父 殺し」 から 説明しよ う と し た の だ が、 では、「 原 父」 を 否定 する と し たら、 それ を どう 説明 すれ ば よい のか。

実は この 難問 は、 フロイト自身 が その後 に 得 た 省察 に もとづく こと によって 解決 できる、 と 私 は 考える。 それ は「 快感 原則 の 彼岸」(一 九 二 〇 年) と 題する 論文 で 提起 さ れ た、「 死 の 欲 動」 の 理論 で ある。
(Kindle の位置No.1355). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

フロイト に よれ ば、 死 の 欲 動 とは、 有機体 が 無機質 で あっ た 状態 に 戻ろ う と する衝迫 で あり、 それ が 外 に 向け られ た のが 攻撃 欲 動 で ある。 つぎ に この 攻撃 欲 動 が 内 に 向け られ た とき、 それは「 超自我」 となり、 攻撃 欲 動 を 自ら 抑える よう に なる。 その 意味 で 自律 的 で ある。
(Kindle の位置No.1393). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

例えば、「 武士道 とは 死ぬ こと と 見つけ たり」(『 葉隠』) というような考えが出てきたのは、徳川時代に武士が都市に住み、戦いもしなくなってからの話にすぎない。要するに武士道とは、武士が不用となった時代に生まれた観念でしかなかった。
(Kindle の位置No.1526). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

通常、 先祖 信仰 では、 死者 と 生者 の 関係 は 互 酬 的 で ある。 つまり、 生者 が 死者 を 弔う から 死者 は「 御霊」になるのであり、ゆえに、祖霊は生者にお返しをする。ところが、ここには、そにような互酬性がない。

祖霊は一方的に、つまり、無条件で子孫を愛することになっている。そして、柳田はそれを日本の固有信仰と見なした。その場合、それは日本にしかないという意味ではないことに注意すべきである。それはむしろ、人類固有信仰だというべきである。
(Kindle の位置No.1814). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

柳田 が いう 固有 信仰 の 特徴 は つぎ の 点 に ある。 第一 に、 死者 は、 血縁関係 の 遠近 に 関係 なく 平等 に 扱わ れる。養子による縁組であれ、あるいは、生きていたときの力や貢献度がどうであれ、その者が家に何らかの関係をもつのであれば、祖霊の中に入れられる。

第二に、死後の世界と生の世界の間は、往来は自由である。生者が祖霊を祀るとともに、祖霊も生者を見守る。霊が生まれ変わってくることもある。その場合、祖霊と生者の間には、無条件の信頼関係がある。
(Kindle の位置No.1828). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ただ、 日本 の 場合、 家族 システム は 均一 では ない が、 それほど 顕著 な 差異 が 存在 し ない ように見える。というのも、日本では根底に「双系的なもの」が強く残っているからだ。
(Kindle の位置No.1948). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

したがって、日本では、出自を重視しない養子制が広範に採用されたのである。家父長的な武士のイエでも、養子制が多く見られた。徳川時代 では、 大坂 だけで なく、 江戸 でも、 商家 は 男子 に 相続 さ せ ず、 代々 優秀 な番頭と婿にとるというやり方をした。このシステムは、現在でも歌舞伎や相撲の世界に残っている。
(Kindle の位置No.1959). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

「 野」 は「 里」 の 周縁 に ある が、 相互 補完 的 あるいは 相互 依存 的 な 関係 に ある。「野はむしろ里のために必要とされる場、里の生活が円満に運営されることを支えもする周縁の場所」である。
(Kindle の位置No.2038). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

例えば、山姥は里に対して関心がない。関心がないから、冷淡・冷酷なのかといえばそうではない。冷淡・冷酷はむしろ、里に対する愛着から来るのだ。山人・山姥は、平地世界に愛着や憧れをもたないがゆえに、怨恨も敵意もない。
(Kindle の位置No.2053). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

あらためていうと、原遊動性は定住以後に抑圧されるが、消えてしまうわけではない。それは執拗に残る。例えば、山男や山姥は村人の想像物ではない。「現実」なのだ。経験的には把握できない。ラカンが「現実界」と呼ぶのは、そのような実在である。柳田が山人は実在すると言い張ったのは、そのような意味においてである。
(Kindle の位置No.2085). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

丸山眞男はのちに、このような日本の思想の「伝統」を『古事記』の分析を通して、歴史認識の「古層」に見出そうとした。彼はそれを、「なる」「うむ」「つくる」という三つの軸から考えた。
(Kindle の位置No.2172). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ところで、私が丸山眞男の考察を今あらためてとりあげるのは、彼が「古層」として論じたことが、先に述べた双系制の問題とつながるのではないか、と考えたからである。父系であれ母系であれ、単系においては、始祖がいる。それは「うむ者」または「つくる」者がいるということである。

ところが、双系制の場合、系統は決定されていない。したがって、誰かが「うむ」や「つくる」のではなく、自然に「なる」というほかはない。つまり、双系制が残るところでは、「なる」の磁力が強いということができる。
(岩波新書) (Kindle の位置No.2214). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一方、日本における「なる」の優位は、生成の優位に似ているように見えるが、そうではない。日本では、作為・制作の優位が一度もなかったからだ。本居宣長は、彼のいう「古の道」が老壮思想と類似するといわれたとき、それを否定し、老壮も儒教も同じ「漢意」だといった。老壮の思想は、すでに作為が優位にあるところで、それに対抗する作為である。

だが、宣長が見出した「古の道」はそうではなく、自然である。つまり、たんに「なる」ことだ。別の観点からいうと、日本の「古の道」は、作為(父系)と生成(母系)の対抗が生じないような「双系制」であったということができる。
(Kindle の位置No.2231). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.


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