「布施と托鉢の始まり」について
一時、大盛り上がりしていた統一教会を始めとして、宗教教団を運営していくためには布施が重要なのだろうということは、理解していた。
同時に、托鉢も同様と思われるが、日本では、托鉢する姿を見かけたことは、まったくない。タイやミャンマーでは今でも、托鉢していると聞いたことがある。
仏伝には、菩提樹も下で悟りを得た後の釈迦の様子を描いたエピソードがある。それが、「布施」と「托鉢」の起源である、と仏教学者佐々木閑氏はいうのです。
この仏伝のエピソードは、「誰かが厚意でくれたものを、鉢で受けて食べる」ということを示している。つまり、仏教僧団の経済的な運営基盤は、お布施であることを明確にしている。
自分を救うためにだけに修行に専念している人たちが、もっぱら人様の厚意を頼りにして食っていこうとするのは、随分と手前勝手な話ではある。
こんな虫のいい要求を受け容れてくれるためには、お寺は、必ずある程度栄えている町のそばに存在する必要があった。そして、その結果、町の経済や社会の構造に適合的となった。
僧侶は、布施として、貨幣をもらうことは禁止されているが、サンガ自体が組織としての基金を保有することは構わないというのです。
【何だか、政府交付金制度に似ているなぁ~】
しかもその基金を運用し、在家に貸付けて、利息を取るというころも奨励されている。さらに、ちゃんと証文も取り、担保も設定して、正当な金融業として営業してもオッケーだ、と佐々木氏はいう。
【これには、ビックリでした。仏教のイメージが、かなり変わりました。そういえば、去年亡くなった創価学会池田会長は、金融部門から、のし上がってきたということを聞いていた。この時は、どういうことかと、ハテナでしたが・・・・】