「物語的自己同一性」について
今回も、放送大学の教材の『現代フランス哲学に学ぶ』内で杉村靖彦氏が解説するポール・リクールについて学びます。
リクールは、『時間と物語』で結論として、「物語的自己同一性」の概念を提示した。
今回は、それが、どういうものかを見ることにします。
リクールの第一の論点
自己同一性を同一性と自己性に区別したことである。
ふつう自己同一性というのは何かが「同一」であることを、たとえば、花をさして、「これは何か」と尋ねると、「これは花です」というように答えることができるので、「同一」であることを確認できます。これを、リクールは同一性と呼んでいます。
ところが、「お前は誰か」と尋ねられたときは次のようになる。
これをリクールは「自己同一性」と呼んでいる。「私は誰か」と尋ねられたら、自分の過去を物語的に語らねければならない。だから「物語的自己同一性」を追求するということになる。
さらに、自己が幼児期のころについては、両親や親戚、さらに近しい人々の他者が語るというのが加わってくる。
人間の自己同一性は、同一性と自己性という統一不可能な二極の間に 張り渡されている。
物語性が時間性のアポリアへの応答であったように、「物語的自己同一性」とは、人間の自己同一性のアポリアへの応答である、ということになる。
リクールの第二の論点
自己を語るときは、先述したように無数の他者も乱入してくるので、「自己性」と「他者性」の弁証法がリクールの論点となる。
また、物語がアポリ アに対する実践的応答への媒介であったことを思い起こせば、リクール が自己性という語でとらえる自己再帰は、「行為し受苦する自己」の 「行為と受苦」の次元で確認されるはずである。その場合、自己の内な る他者性ともいうべき身体性も関わってくるだろう。