カール・マルクス 著『資本論 』第三巻 第七篇 第四十八章~第五十ニ章 読書メモ(最終回)
カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第三巻 第七篇 第四十八章~第五十二章に目次をつけたものを再掲載します。
第三巻 資本主義的生産の総過程
第七篇 諸収入とその諸源泉
第四十八章 三位一体の定式
資本 ー-- 利潤( 企業 者 利得 プラス 利子)、 土地 ー--地代、 労働 ─ 労働 賃金、 これ は、 社会的 生産過程 の 一切 の 秘密 を ひそめ て いる 三位一体 の 形態 で ある。
さらに、 前〔 第二 三章〕に 示さ れ た よう に、 利子 は 資本 の 本来 の 特徴 的 な 生産 物 として 現われ、 企業 者 利得 は、 これ との 対立 において、 資本 から 独立 な 労働 賃金 として 現われる ので ある から、 かの 三位一体 の 形態 は、もっと仔細に見れば次の形態に帰着する。
資本ー利子、土地ー地代、労働ー労働賃金。
ここでは、資本主義的生産様式を特殊的に特徴づける剰余価値形態である利潤は、幸いにも除かれている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.47). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
しかし 資本 は 物 では なく、 一定 の、 社会的 な、 一定 の 歴史的 社会構造 に 属する 生産関係 で あっ て、 それ が 一つ の 物 において 表示 さ れ、 そして この 物 に 一つ の 特殊 な 社会的性格 を 与える ので ある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.57). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本は、社会 の 一定 部分 によって 独占 さ れ た 生産手段 で あり、 生き た 労働力 に 対立 し て 独立 化 さ れ た、 この 同じ 労働力 の 生産 物 および 活動 諸 条件 で あっ て、 これら の もの が、 この 対立 によって 資本 において人格化されるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.60). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
土地が、そのものとしての無機的自然が、全く 野生 の まま の rudis indigestaque moles〔 粗雑 な 天然 の 団塊〕 が、 ある。 価値 は 労働 で ある。 ゆえに 剰余価値 は 土 では あり え ない。
土地 の 絶対的 豊 度 は、 一定 量 の 労働 が、 土地 の 自然的 豊 度 によって条件づけられた一定の生産物をもたらす、ということ以外には何事も生じさせない。
土地の豊 度 における 差 は、 同じ 量 の 労働 と 資本 が、 したがって 同じ 価値 が、 相 異なる 量 の 土地 生産 物 において表現されるということを、したがって、これらの生産物が相異なる個別的価値を有するということを生じさせる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.74). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
一体 中 の 第三 位 として、 単なる 幽霊 労働「 なる もの」 が ある。 これ は 一つ の 抽象 以外 の 何もの でも なく、 また それ 自体 として 見れ ば、 そもそも 存在 し ては い ない もの で ある。(中略)
一切の社会的な形態を剝ぎ取られているのみではなく、それ自体その単なる自然存在において、社会から独立に、一切の社会から切り離さ れ て、 そして 生命 の 発現 と 生命 の 実証 として、 一般 に まだ 社会的 で ない 人間 にも なんらかの 仕方 で 社会的 に 規定 さ れ た 人間 にも 共通 で ある、 人間 と 自然 との 物質代謝 を 媒介 する 人間 の 生産的活動一般である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.84). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本 ─ 利子。 土地 所有、 地球 の 私的 所有、 しかも 近代的 な、 資本主義 的 生産様式 に 対応 する それ ─ 地代。 賃金労働 ─ 労働 賃金。 すなわち この 形態 において、 収 入 の 諸 源泉 の あいだ の 関連 は 存するというのである。
資本 と 同じく、 賃金労働 および 土地 所有 も、 歴史的 に 規定 さ れ た 社会的 形態 で ある。 一 は 労働 の、 他 は 独占 さ れ た 地球 の、 それ で あり、 しかも 両者 ともに、 資本 に 対応 する、 そして同じ経済的社会に属する形態である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.95). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本ー利子、土地 ─ 地代、 労働 ─ 労働 賃金 という 定式 において は、 資本、 土地、 労働 は、 それぞれ、 その 生産 物 で あり果実である利子(利潤ではなく)、地代、労働賃金の源泉として現われる。
前者は理由、後者は帰結、前者は原因、後者は結果である。しかも、各個の源泉が、それから突き放されたもの、産み出されたものとして、その生産物に関係させられているというふうに、である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.106). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本主義 的 生産過程 が、 社会的 生産過程一般の歴史的に規定された一形態であることは、われわれのすでに見たところである。この社会的生産過程は、人間生活の物質的存在条件の生産過程であるとともに、特殊の歴史的・経済的生産諸関係のもとに行われるこの生産諸関係そのものを、したがってまたこの過程の担い手を、彼らの物質的存在条件と彼らの相互的諸関係を、すなわち彼らの特定の経済的社会的形態を、生産し、再生産する一過程である。
なぜならば、この生産の担い手たちが、自然および彼ら相互にたいして置かれてある、彼らがそのもとで生産する、これらの諸関係の全体、まさにこの全体こそ、その経済的構造から見た社会なのであるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.161). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本 は ー--そして 資本家 は 人格化 さ れ た 資本 で ある に すぎ ず、 生産過程 において は ただ 資本 の 担い手 として のみ機能するー--、かくして資本は、それに対応する社会的生産過程において、一定量の剰余価値を直接生産者または労働者から汲み出す。
剰余労働、 それ は 資本 が 等価 なし に 受取る もの で あり、また、いかにそれが自由な契約的な合意の結果として現れようとも、その本質からすれば、依然として強制労働である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.172). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
自由 の 国 は、 実際、 窮迫 と 外的 合目的性 と によって 規定 さ れ た 労働 が なくなる ところ で 初めて 始まる。 したがって、 それ は、 事柄の性質上、本来の物質的生産の領域の彼方にある。
未開人が、彼の欲望を充たすために、彼の生活を維持しまた再生産するために、自然を闘わねばならないように、文明人もそうせねばならず、しかも、いかなる 社会 形態 において も、 可能 な いかなる 生産様式 の もと において も、 そう せ ね ば なら ない。
文明 人 が 発展 する ほど、 この 自然必然性 の 国 は 拡大 さ れる。 諸 欲望 が 拡大 さ れる からで ある。しかし同時に、諸欲望を充たす生産諸力も拡大される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.195). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
すなわち、 社会化 さ れ た 人間、 結合 さ れ た 生産者 が、 この 自然 との 彼ら の 物質代謝 によって盲目的な力によるように支配されることをやめて、これを合理的に規制し、彼らの共同のもとに置くことを、これを、最小の力支出をもって、また彼らの人間性にもっとふさわしくもっとも適当な諸条件のもとに、行うこと、これである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.201). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
最後 に 労働者 は、 彼 自身 の 労働力 の 所有者 および 売り手 として、 労働 賃金 という 名 の もと に 生産物の一部分を受取る。この生産物部分に、彼の労働力のうちの、われわれが必要労働と名づける部分が表示される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.232). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本 は 年々 資本家 に 利潤 を もたらし、 土地 は 土地 所有者 に 地代 を、 労働力はーーー正常な諸関係のもとでは、そしてそれが依然として有用な労働者であるあいだはーーー労働者に労働賃金をもたらす。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.237). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本 は 資本家 にとって、 剰余労働 の 多年生 的 の汲出機 であり、土地は土地所有者にとって、資本によって汲み出された剰余価値の一部分を引寄せるための多年生的磁石であり、そして最後に労働は、労働者によって作り出された価値の一部分を、したがってまた社会的セ産物中の、この価値部分によって計量される一部分を、必要生活手段を労働賃金という名義のもとに獲得するための、たえず更新される条件であり、たえず更新される手段である、という意味において。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.252). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
少なくとも「 労働 ─ 労働 賃金」 において は、 一つ の 合理的 な 関係 が 言い表されているかのように見えるかもしれない。しかし、そうではないことは、「土地ー地代」におけると同様である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.277). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
労働 賃金 または 労働 の 価格 が、 労働力 の 価値 または 価格 の 不合理 な 一 表現であるにすぎない。そして、この労働力が売られる特定の社会的諸条件は、一般的生産能因としての労働とはなんの関係をもたないのである。労働は、労働賃金として労働力の価格を形成する商品価値構成部分においても、対象化される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.281). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
土地 が 生産 物 中 の 自己 に 属する 部分 を、 その 生産性 の 補 塡 と 増進とのために受取るのではなく、土地にかわって土地所有者が、この生産物の分け前を、掛値売りと浪費のために受取るのである。資本が賃金労働としての労働を前提することは、明らかである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.322). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
目的 に 添う た 生産的 活動 として の その 単純 な 性質 の、そのものとしての労働は、その社会的形態規定をもった生産手段にではなく、その素材的実体における、労働の材料と手段としての生産手段に関係する。
かかるものとしての生産手段は、やはりただ素材的にのみ、使用価値として、すなわち土地は生産されたのではない労働手段として、その他のものは生産された労働手段として、相互に区別される。かくして、労働が賃金労働と一致するならば、労働諸条件がいまや労働に対立してとる特定の社会的形態もまた、その素材的存在と一致する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.331). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
賃金労働者 の 彼 自身 の ため の 労働 が、 彼 の 収益 として、 彼 の 収 入 として、 表示 される生産物は、ただ労働賃金であるにすぎず、価値のうちの(したがってまたこの価値によって計量される社会的生産物のうち)彼の労働賃金を表示する部分であるにすぎない、と。
かくして、 賃金労働と労働一般とが一致するならば、労働賃金も労働の生産物と一致し、また労働賃金が表示する価値部分も、労働によって作り出された価値一般と一致する。
しかし、このことによって、他の価値部分である利潤と地代も、同様に独立して労働賃金に相対することになる。そしてそれらは、労働とは特殊的に異なり、また労働からは独立した固有の源泉から生ずるものでなければならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.350). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
土地 所有、 資本、 労働 賃金 は、 次 の よう な 意味 における 収 入 の 源泉 から、 すなわち、資本は、資本家に彼が労働から抽出する剰余価値の一部を利潤の形態で引寄せ、土地の独占は、土地所有者に他の一部を地代の形態で引寄せ、労働は、労働者に最後のなお処分可能な価値部分を労働賃金の形態であてがう、という意味における源泉、それを介して価値の一部は利潤の形態に、第二の一部は地代の形態に、第三の一部は労働賃金の形態に転化されるという源泉から、次のような現実の源泉に、すなわち、そこからこれらの価値部分と、これらの価値部分が存在するかまたは変えられうるその生産物諸部分そのものとが生ずる源泉に、したがって生産物の価値そのものが生ずる究極の源泉に、転化される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.361). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
労働 の 社会的 生産 諸 力 が ともに 発展 する、 本来 の 特殊 資本主義 的 生産様式 における 相対的剰余価値の発展につれて、直接的労働過程における労働の、この生産諸力と社会的諸関連とは、労働から資本に移されたものとして現われる。
それとともに、資本はすでに一つのきわめて神秘的なものとなる、というのは、労働の一切の社会的生産諸力が、労働そのものにではなく、資本に属しまた資本自身の胎内から生まれ出る諸力として、現われるからである。
次いで流通過程が介入してきて、この過程の物質代謝と形態転換に、資本の一切の部分が、農業資本さえもの一切の部分が、特殊資本主義的生産様式が発展するのと同じ程度において、取入れられる。
これこそは、元来に価値生産の諸関係が全く背景に退いてしまう一部面である。すでに直接的生産過程において、資本家は同時に商品生産者として、商品生産者の指揮者として、活動する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.388). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
流通 期間 は、 価値 形成 および 剰余価値 形成 の 消極的 制限 として機能するにすぎないのではあるが、しかし、労働そのものと同様に積極的な一原因であるかのような、また資本の性質から生じ労働からは独立な一規定をもちこむかのような、外観をもつ。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.402). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
剰余価値 の 利潤 への 転化 は、 われわれ が 見 た よう に、 生産過程 によって 規定 さ れ て いる と同様に、流通過程によって規定されている。剰余価値は、利潤の形態においては、もはや、それが生ずる、労働に支出された資本部分には関係させられないで、総資本に関係させられる。
利潤率は固有の諸法則によって調節され、そしてこの諸法則は、剰余価値率が不変なばあいにも利潤率に変動を許し、またこの変動を必至にさえもする。すべてこれらのことは、剰余価値の真の性質を、したがってまた資本の現実の起動装置を、ますます隠蔽する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.413). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
諸 商品 の 相対的 平均 価格 を その 価値 から 切り離し、 また 種々 の 生産 部面 における平均利潤(各特殊生産部面における個別的諸資本投下のことは、全く問わないで)を、特殊の諸資本による労働の現実の搾取から切り離してしまう過程である。
単にそう見えるだけではまく、ここでは実際に諸商品の平均価格は、それらの商品とは異なっており、したがってそれらの商品において実現されている労働とは異なっており、また特殊な一資本の平均利潤は、この資本がその使用する労働者から抽出した剰余価値とは異なっている。
諸商品の価値が直接に現われるのは、もはや、労働の生産力が生産価格の最終限界にではなく、その低下と上昇に、その運動に、及ぼす影響において見られるにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.420). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
「 資本 ─ 利子」 という 形態 は、「 土地 ─ 地代」および「労働ー労働賃金」にたいする第三のものとしては、「資本ー利潤」よりもはるかに首尾一貫的でもある、というのは、利潤においては、やはりまだその起源の思い出が残っているが、それが利子においては、単に刑し去られているのみでゃなく、この起源にたいする確乎たる反対に形態に置かれているからである。
最後に、剰余価値の独立の源泉としての資本の傍らに、土地所有が、平均利潤の制限として現われる。そして、みずから労働するわけもなく、労働者を直接に搾取するでもなく。また利子付資本のように、たとえば資本の貸出しにおける危険や犠牲というような、道徳的に心を慰める理由をこねまわしうるのでもない一階級の手に、剰余価値の一部を移すものとして、現われる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.440). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本 ─ 利潤、 または より 適切 には 資本 ─ 利子、 土地 ─ 地代、 労働 ─ 労働賃金、この、価値および富一般の諸構成部分とその諸源泉との関連としての経済的三位一体において、資本主義的生産様式の神秘化、社会的諸関係の物化、素材的生産諸関係とその歴史的社会的規定性との直接的合生は、完成されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.451). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
生産 諸 関係 の 物化 と 生産当事者たちにたいするその独立化の説明においては、われわれは、世界市場、その諸景況、市場価格の運動、信用の期間、産業および商業の循環、繁栄と恐慌との交替を通じて、いかに諸関連が彼らにたいして、圧倒的な、彼らを無意識的に支配する自然法則として現れ、彼らに対立して自己を盲目な必然として貫徹するか、という仕方には立入らない。
なぜ立入らないかといえば、競争の現実の運動はわれわれの計画の外にあるもので、われわれはただ資本主義的生産様式の内的組織を、いわばその理想的平均において、説明しさえすればよいのだからである。
【私見:マルクスさえ、立入らないのだから、恐慌が頻繁に起こるのは当然だ。「資本主義的生産様式の内的組織を、いわばその理想的平均」の説明だけでは、現実の資本主義世界で起こっていることを解決することができない。
柄谷氏によると、資本論を論理として読むか歴史として読むかの大論争となっていた、ということである。経済学者は論理だけでやりたがる、ということだが、説明だけということであれば、歴史として読むべきだろう。近代経済学も破綻しているのだから、論理としての経済学はもはや、成り立たないのでは、とも思う。
内田樹氏は、現在、高校生にもわかるように資本論を読解する著書を刊行している。彼によると、資本論には、34時間労働で1時間だけの休憩という過酷な労働の実体等の具体的なデータが満載されているので、「マルクスの身体感覚」に焦点を合わせて書く、ということであった。
これが正解のような気がしている。高校生だって、自分の身体が鎖に繋がれ、損壊され、矯正される感覚はリアルにわかるはずだとも述べていた。その通りだと思う。
現代物理科学書を読んでいたとき、研究者の一部のひとが、金融界に流れて、理論物理学を応用して、株の動きなどを、微分方程式などを駆使して、解析する金融工学なる分野で、大富豪になったということが書かれていた。
しかし、それも、リーマンショックで、理論の幼稚さが証明されたように感じる。理論物理学は、超ミクロか、大宇宙のように純粋な領域で成立するものであり、現実社会のように、複雑系で、予想不可能な因子が絡んでくる領域では、成立しないのだろう、と思う。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.472). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第四十九章 生産過程の分析のために
かくして、 一 日間 または 一 年間 に 付加 さ れる 労働者 の 総 労働が、実現される商品価値部分の総体、この労働が作り出す年生産物の総価値は、労働賃金の価値、利潤、地代に分かれる。
なぜならば、この総労働は、労働者が彼自身に支払われる生産物価部分、したがって労働賃金を作り出す必要労働と、剰余価値を表示しまた後に利潤と地代とに分かれる生産物の価値部分を彼が作り出す不払剰余労働とに、分かれるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.537). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
かくして、 年々 の 商品生産 物 の 価値 は、 特殊 な 一 資本 投下 の 商品生産 物 の 価値 と全く同様に、また各個の商品の価値と同様に、二つの価値構成部分に分解される。
すなわち、前貸不変資本の価値を補填する一方にAと、収入の形態において、労働賃金、利潤、地代として表示されるBとに。
後の方の価値部分Bは、前者Aにたいして一つの対立をなす。すなわち他の事情が不変ならば、Aは、(1)決して収入の形態をとらず、(2)つねに資本の形態、しかも不変資本の形態において還流するというかぎりにおいて。
しかし他方の構成部分Bは、さらにそれ自身のうちにも対立を含んでいる。利潤と地代は、労働賃金とのあいだに、それらが三つともすべて収入形態をなうという点を共通している。
それにもかかわらず、それらは、利潤と地代においては剰余価値が、したがって不払労働が表示され、労働賃金においては支払労働が表示されるということによって、本質的に区別されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.667).株式会社 岩波書店. Kindle 版.
再生産 に際して 労働 賃金 に、 労働者 にとって の 収入 に、 転化されるように定められている生産物の価値部分は、まず資本家の手に資本の形態で、詳しは可変資本の形態で、還流する。
それがこの形態で還流することは、労働が賃金労働としえ、生産手段が資本として、そして生産過程そのものが資本主義的生産過程として、たえず新たに再生産されるための、本質的な一条件である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.690). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
個々 の 資本家 の 立場 から 見れ ば、 純 所得 は 総 所得 から 区別 さ れる。 なぜ なら ば、 後者 は 労働賃金を含み、前者はそれを排除するからである。
全社会の所得を見れば、国民所得は、労働賃金プラス利潤プラス地代から、したがって総所得から、成っている。しかし全社会は、資本主義的生産の基礎の上では、資本家的立場に立ち、したがって、利潤と地代とに分解される所得のみが純所得と見られるというかぎりでは、前述の区別もまた抽象である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.712). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
再生産 の 正常 な 状態 を 考察 する なら ば、 新た に 追加 さ れる 労働 の ただ 一部分 のみ が 不変資本 の 生産 に、したがってまたその補填に、使用される。
すなわち収入の素材的諸要素の生産において費消された不変資本を補填する部分のみが使用される。このこととは、この不変部分が第二部類にとってはなんらの追加労働をも要費しないということによって、相殺される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.902). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第五十章 競争の外観
そこでわれわれが、不変価値部分を考慮外に置くならば、次のように言うのは正しい。
すなわち、商品 の 価値 は、 かくして、 それ が 新た に 付加 さ れ た 労働 を 表示するかぎりでは、つねに、三つの収入形態をなす三つの部分に、労働賃金、利潤、地代に、分解され、これら三つのそれぞれの価値の大いさ、すなわちそれらが総価値のうちに占める諸可除部分は、相異なる特有の以前に展開された諸法則によって、規定される、と。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1048). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
可変資本 または 労働 賃金 の 価値 の 増加 または 減少 が、諸商品の騰貴または価格低落の、すなわち、この資本投下において充用される労働の生産性の低下または上昇の、結果であるならば、これは生産物の価値に作用する。しかし労働賃金の上昇または低下は、ここでは原因ではなく、結果であるにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1178). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
節約その他による不変資本の支出 の 減少 が、 労働者 の 消費 に 入る 諸生 産物 を 生産 する 諸 生産 部門 において 生ずる なら ば、 この こと は、 労働者の生活手段の低廉化を招くので、充用される労働そのものの生産性の直接的増大と同様に、労働賃金の低減を招きえ、したがってまた剰余価値の増大を招きうるであろう。
かくして利潤率は、ここでは二重の原因から増大するであろう。すなわち一面では、不変資本の価値が減少するから、そして他面では、剰余価値が増加するから。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1190). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
かくして、 新た に 追加 さ れる 労働 によって 生産手段または不変資本部分に年々新たに付加される価値の、労働賃金、利潤、地代という相異なる諸収入形態への区分および分解は、価値そのものの限界には、これらの相異なる諸範疇のあいだに分配される価値総額には、なんらの変化をも生じさせない。
それはちょうど、これらの個々の部分相互間の比率における変動が、それらの総額を、この与えられた価値の大いさを、変化させえないのと同様である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1201). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
労働賃金は、一面から見れ ば、 一つ の 自然法則 によって 調節 さ れ て いる。 その 最低 限界 は、 労働者 が 彼 の 労働力 を 維持 し 再生産 するために得ねばならない生活手段の肉体的最低限によって、したがって一定量の諸商品によって、与えられている。
その諸商品の価値は、それらの再生産に必要な労働時間によって規定されている。したがって、生活手段に新たに付加される労働のうちの、あるいは労働日のうちの、労働者がこの必要生活手段の価値にたいする生産および再生産のために必要とする部分、によって規定されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1217). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
労働日にうちの、労働者 が 彼 の 賃金 の 価値 を 再生産 する ため に 必要 と する 部分 が、 彼 の 賃金 の 肉体的 最低限 において その 最後の限界をもつとすれば、労働日のうちの、彼の剰余労働が表示される他方の部分は、したがって剰余価値を表現する価値部分も、労働日の肉体的最高限において、すなわち、労働者が彼の労働力を維持し再生産しながら、一般に与えうる日々の労働時間の総量において、その限界をもっている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1232). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
最後 に、 種々 の 生産 部面 における 剰余価値 の 平均 利潤 への 均等 化 が、 人為的 または 自然的 諸 独占 に、 またとくに土地所有の独占に一障害を見出し、したがって独占の影響を受ける諸商品の生産価格を超え価値を超えるような独占価格が可能になるとしても、諸商品の価値によって与えられる限界が、これによって廃棄されることにはならないであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1273). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
労働 賃金、 利潤、 地代 が 商品 の 価格 を 構成 する もの とすれば、このことは、商品価値の不変部分についても、可変資本と剰余価値とが表示される他の部分についてと同じく当てはまるということは、まず第一に明らかである。
したがって、この不変部分は、ここでは全く無視されうる、というのは、この不変部分をなす諸商品の価値も、やはり労働賃金、利潤、地代の価値の総額に帰着するであろうからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1313). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
しかし、 貨幣 とは 何 か? 貨幣 は、 物 では なく、 価値 の 一定 の 形態 で あり、 したがって、再び価値を前提する。そこでわれわれは、一定量の金または銀が、かの諸生産要素に支払われる、または、かの諸生産要素が頭の中でこの量に等置される、と言いたい。
しかし金銀は(そして啓蒙された経済学者はこの認識を誇る)すべての他の商品と同じそれ自身商品である。したがって、金銀の価格も労働賃金、利潤、地代によって規定されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1320). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
したがって、 労働 賃金、 利潤、 地代 の 価値 は、 それら が 一定 量 の 金銀 に 等しい こと に 存する、 と 説く のは、ただ、それらは一定量の労働賃金、利潤、地代に等しいと説くことにすぎないのである。
まず労働賃金をとってみよう。なぜならば、この見解にあっても、労働から出発されねばならないからである。そこで、労働賃金の調節的価格は、いかにして規定されるか?すなわち労働賃金の市場価格の振動の中心となる価格は?
われわれは、労働力の需要供給によって、と言いたい。しかし、労働力のどんな需要を言うのか?
資本による需要。そこで労働にたいする需要は、資本の供給に等しい。資本の供給について語るたえには、われわれは何よりもまず、資本とは何かを知れねばならない。資本とは何から成るか?
そのもっとも単純な現象をとってみれば、貨幣と諸商品とから。しかし貨幣は、ただ商品の一形態であるにすぎない。そこで、諸商品から。
しかし諸商品の価値は、前提によれば、まず第一に、それを生産する労働の価格によって、労働賃金によって、規定されている。
労働賃金は、ここでは諸商品の価格の構成要素として前提され、そしてかかるものとして取扱われる。この価格が、いまや資本にたいする供給労働の比率によって規定される、というわけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1327). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
かくして、 資本 そのもの の 価値 が、労働賃金によって規定されているのであるから、われわれは労働賃金を規定するために資本を前提することはできない。
なおまた、ここに競争を持ち出しても、われわれの役には立たない。競争は労働の市場価格を、上昇または低下させる。しかし、労働の需要と供給とが一致すると仮定すれば、そのばあいには、労働賃金は何によって規定されるのか?競争によって。
しかし、競争が規定するのをやめたこと、その相反する二つの力の均衡によってその作用を解消させたこと、はいま前提されたばかりである。われわれが見出そうと思うは、まさに、労働賃金の自然価格、すなわち、競争によって調整されるのではなく、逆に競争を調整する労働の価格なのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1344). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
競争はただ次のことを生ぜしめうるにすぎない。すなわち、同じ 生産 部面 内 の 生産者 たち は、 彼ら の 商品 を 均等 な 価格 で 売る という こと、 また 相 異なる 諸 生産部面 の 内部 では、 彼ら に 同じ 利潤 を 与える 価格 で、 すなわち、 すでに 一部 的 には 労働 賃金 によって 規定さ れ て いる 商品 価格 への 同じ 比率 的 付加 を 与える 価格 で、 彼ら の 商品 を 売る という こと、 に すぎない。それゆえ競争はただ利潤率における不等を均等化しうるにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1366-1369). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
競争 は 利潤 を 作り出し は し ない。 競争 は、 均等 化 が 行なわ れ た とき に 現われる 水準 を 高くしたり低くしたはするが、これを作り出しはしない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1370). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
競争 が われわれ に 語る 唯一 の こと は、 この 利潤率 は、 一つ の 与え られ た 大 い さで なけれ ば なら ない という こと で ある。 しかし これ は、 われわれ が 前 から、 一般的 利潤率 と 利潤 の「 必要 価格」 と について 語っ た とき から、 知っ て い た こと で ある。
この ばかげ た 手続き を、地代 について 改めて くどく ど述べ 立てる こと は、 全く 不要 で ある。 そんな こと を し なく ても、 この 手続き が、 なんとか 首尾一貫 し て 遂行 さ れ た ば あい、 利潤 と 地代 を、 まず 第一 に、 労働 賃金 によって 規定された商品価格への不可解な法則によって定められる単なる価格付加として現れさせられるということは、わかっている。
要するに、経済学者たちが競争を説明せねばならないのに、逆に競争の方が、経済学者たちのあらゆる概念喪失を説明する労をとらねばならないというわけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1383). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本主義 的 生産様式 は、 他 の 生産様式 が いずれ も そうであるように、たえず物質的生産物を再生産するのみではなく、この生産物形成の社会的経済的諸関係を、その経済的形態規定性を、再生産するということである。
それゆえに、その諸前提がその諸結果として現われるのと同様に、つねにその結果が、それに前提されたものとして現われるのである。そして、個々の資本家が、自明的として、疑いえない事実として、予想するのは、この、同じ諸関係の不断の再生産なのである。
資本主義的生産がそのものとして存続するかぎり、新たに追加される労働の一部分はたえず労働賃金に、他の一部分は利潤(利子および企業者利得)に、そして第三の部分は地代に、分解される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1533). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第五十一章 分配諸関係と生産諸関係
かくして、 年々 新た に 追加 さ れる 労働 によって、 新た に 追加される価値はーーーしたがって、この価値を表示する、そして総収益から抽出され分離されうる、年生産物の部分もーーー三つの異なる収入形態をとる三つの部分に分かれる。
すなわち、この価値に一部分を労働力に所有者に、一部分を資本の所有者に、そして第三に一部分を土地所有者に、所属または帰属するものとして表現する諸形態に分かれる。したがって、これらは分配に諸関係である。
なぜならば、それらは、新たに生産された総価値が種々の生産能因の所有者のあいだに分配される諸関係を表現するからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1660). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
種々 の 分配 様式 の 同一性 は、 それら の 諸 区別 と 特殊 の 諸 形態 とから 抽象 し て、 それら の 差別 に 対立 する それらにおける統一性のみを固執するならば、それらは同じである、ということに帰着する。
とはいえ、もっと教養のある、より批判的な意識は、分配諸関係の歴史的に発展した性格を承認するのであるが、しかしそのかわりに、生産諸関係そのものの、不変のままな、人間的自然から生ずる、したがって一切の歴史的発展から独立した性格を、ますます固執する。
これに反して、資本主義的生産様式の科学的分析は、逆に次のことを証明する。
資本主義的生産様式は、特別な種類の、特殊の歴史的規定性をもつ、一生産様式であるということ。それは、他のすべての特定の生産様式と同様に、社会的生産諸力とその発展形態との与えられた一段階を、自己の歴史的条件として、すなわち、それ自体が一つの先行過程の歴史的な成果であり、また新たな生産様式がそれを与えられた基礎として、そこから出発する一条件として、前提するということ。
この特殊な歴史的に規定された生産様式に対応する生産諸関係ーーー人間が、その社会的生活過程において、その社会的死活の生産において、入るところの諸関係ーーーは、一つの特殊な歴史亭な経過的な性格をもつということ。
そして最後に、分配諸関係は、この生産諸関係と本質的に同じであり、その裏面であって、したがって、両者は同じ歴史的経過的性格を分かつということ。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1680). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
生産 物 の 一方 の 部分 が 資本 に 転化 さ れ ない なら ば、 他 の 部分も労働賃金、利潤、地代という形態をとらないであろう。
他面、資本主義的生産様式が、生産諸条件のこの特定の社会的態容を前提とするとすれば、それはこの同じものを、たえず再生産する。
それは、物質的生産物を生産するのみではなく、物質的生産物が生産される生産諸関係を、たえず再生産し、したがってこれに対応する分配諸関係をもたえず再生産する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1705). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本家 が 資本 の 人格化 として 直接的 生産過程においてもつ権威、彼が生産の指揮者および支配者として行なう社会的機能は、奴隷、農奴等をもってする生産の基礎の上に立つ権威とは、本質的に異なるものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1756). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
賃金労働 として の 労働 の 形態 は、 全 過程 の 態 容 にとって も、生産そのものの特殊な様式にとっても、決定的であるとはいえ、賃金労働が価値規定的なのではない。価値規定において問題とされるのは、社会的労働時間一般であり、社会が一般に処理しうる、そして種々の生産物によるその相対的吸収が、いわば生産物それぞれの、社会的重みを規定する労働量である。
社会的労働時間が商品の価値において自己を規定者として貫徹する特定の形態は、もちろん、賃金労働としての労働の形態と、これに対応する資本としての生産手段の形態と、その基礎の上に商品生産が生産の一般的形態となるかぎり、相関連するものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1772). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
かくして、 いわゆる 分配 諸 関係 は、 生産過程 と、 人間 が 彼ら の 人間的 生活 の 再生産 過程 において 相互 に 結び 合う 諸 関係 との、 歴史的 に 規定 さ れ た 特殊的 に 社会的 な 諸 形態 に 対応 し、 また この 諸 形態 から 生ずる もの で ある。 この 分配 諸 関係 の 歴史的 性格は、生産関係の歴史的性格であって、分配諸関係は、生産諸関係のただ一面を表現するにすぎない。資本主義的分配は、他の生産様式か生ずる分配形態とは異なっている。そして、いかなる分配形態も、それが由来しそして対応する特定の生産形態とともに消滅する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1805). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
労働 過程 が、 ただ 人間 と 自然 との あいだ の 単なる 一 過程 で ある に すぎ ない かぎり、 労働 過程 の 単純 な 諸 要素 は、 依然として労働過程のすべての社会的発展形態に共通のものである。
しかし、この過程の特定な歴史的な各形態は、さらにこの過程の物質的基礎と社会的形態とを 発展 さ せる。 一定 の 成熟 段階 に 到達 すれ ば、 特定 の 歴史的 形態 は 脱ぎ 棄て られ て、 より 高い 一 形態 に 席 を 譲る。 か よう な 危機 の 瞬間 が 到来 し たこと は、 一方 における 分配 諸 関係、 したがって また これ に 対応 する 生産 諸 関係 の 特定 の 歴史的 態 容 と、 他方 における 生産 諸 力、 その 諸 能因 の 生産 能力およびその発展とのあいだの、矛盾と対立とが広さと深さとを増すに至るや否や、示される。そのとき、生産の物質的発展と生産の社会的形態とのあいだに衝突が起こる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1814). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第五十二章 諸階級
労働 賃金、 利潤、 地代 を 各自 の 所得 源泉 と する、 単なる 労働力の所有者、資本の所有者、土地所有者、すなわち賃金労働者、資本家、土地所有者は、近代の、資本主義的生産様式に立脚する社会の三大階級をなす。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1824). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
生産手段 を ますます労働 から 分離 し、 そして 分散 し た 生産手段 を ますます 大きな 群 に 集積 し、 かくして 労働 を 賃金労働 に、 生産手段 を 資本 に 転化 する こと が、 資本主義的生産様式の不断の傾向であり、発展法則であるということは、すでに見たところである。
そしてこの傾向には、他面では、資本と労働からの土地所有の独立分離が、または、資本主義的生産方式に対応する土地所有形態への一切の土地所有の転化が、対応する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1830). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
一見 し た ところ では、収 入 と 収入 源泉 の 同一性 で ある。 三つ の 大きな 社会 群 が あっ て、 その 構成 分子、 それ を 形成 する 諸 個人 は、 それぞれ、 労働 賃金、 利潤、 地代 によって、彼らの労働力の、彼らの資本の、彼らの土地所有の利用によって、生活している。
しかしながら、この立場からすれば、たとえば医者と役人も二つの階級を形成するであろう。なぜならば、彼らは二つの異なる社会群に属し、両郡の各一報の成員の収入は同じ源泉から流出するからである。
同じことは、社会的分業によって労働者ならびに資本家、土地所有者がさらに分かれるもろもろの利害関係や地位ーーーたとえば、土地所有者は葡萄 園 所有者、 耕地 所有者、 森林 所有者、 鉱山 所有者、 漁場 所有者 に 分かれるーーー の 無限 の 分裂 について も 言える で あろ う。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1843). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.