カール・マルクス 著『資本論 』第三巻 第一篇 第一章~第七章 読書メモ
カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第三巻 第一篇 第一章~第七章に目次をつけたものを再掲載します。
第三巻 資本主義的生産の総過程
第一篇 剰余価値の利潤への転化と剰余価値率へ転化
第一章 費用価格と利潤
この 第三 巻 の かかわる ところ は、この統一について、一般的反省を試みることではありえない。肝要なのは、むしろ、全体として見られた資本の運動過程から生ずる具体的な諸形態を発見し、説明することである。
その現実の運動においては、諸資本は、直接的生産過程における資本の態容と流通過程における資本の態容がただ特殊の因子として現われるにすぎないようは、具体的な諸形態において、相互に相対している。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.592). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本主義 的 に 生産 される各商品の価値Wは、定式W=c+v+mで示される。この生産物価値のうちから剰余価値mを引き去れば、諸生産要素に支出された資本価値c+vにたいする単なる等価または補填価値が商品にのうちに残る。
【c:生産で消費された不変資本表す価値部分 v:前貸可変資本
m:剰余価値】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.599). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
商品 が 資本家 にとって 要 費 する もの と、商品の生産そのものが要費するものとは、もちろん二つの全く異なる大いさである。商品価値のうち剰余価値から成る部分は、資本家にとっては何ものをも要費しない、というのは、それが労働者にとって、不払労働を要費するという、まさにそのゆえである。
とはいえ、資本主義的生産の基礎の上では、労働者そのものは、生産過程に入った後には、機能しつつあって資本家に属する生産資本の一つの成素をなすのであり、したがって、資本家は現実の商品生産者であるから、必然的に商品の費用価格が、彼にとっては商品そのものの現実の費用として現われる。
費用価格をkと名づければ、定式W=c+v+mは、定式W=k+mに、すなわち、商品価値=費用価格+剰余価値に転化される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.612). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本主義 的 生産様式 が 奴隷制 に 基づく 生産様式 から 区別 さ れる のは、なかんずく、労働力の価値または価格が、労働そのものの価格として、すなわち労働賃金として、表示されるということによってである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.726-727). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
前貸し さ れ た 資本 の 種々 の 価値 構成 部分 が、素材的に異なる諸生産の要素に、すなわち、労働手段、原料および補助材料、労働に、支出されているという事情は、商品の費用価格が、これらの素材的に異なる生産要素を再び買い戻さねばならないことを規制するだけである。
これに反して費用価格そのものの形成にかんしては、ただ一つの区別だけが、固定資本と流動資本との区別だけが、意味をもつ。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.785). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
か よう に 前貸し さ れ た 総資本 の 所産 と 観念されたものとしては、剰余価値は、利潤という転化された形態を与えられる。したがって、一価値額が資本であるのは、それが利潤を産むために投ぜられるからである、ということになり、あるいは、利潤が出てくるのは、一価値額が資本として充用されるかれである、ということになる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.895). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
一方 の 極 で、 労働力 の 価格 が 労働 賃金 という 転化 さ れ た 形態 で 現われるのであるから、反対極で、剰余価値が利潤という転化された形態で現われるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.908). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
商品 の 販売 価格 の 最低 限界 は、 商品の費用価格によって与えられている。商品がその費用価格以下で売られるならば、生産資本の支出された構成部分は、販売価格によって、完全には補填されない。この過程が続けば、前貸しされた資本価値は消失する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.936). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第二章 利潤率
資本 の 一般 定式 は、 G ─ W ─ G’ で ある。すなわち、ある価値額が、より大きい価値額を流通から引き出すために、流通に投ぜられる。この大きい価値額を産み出す過程は、資本主義的生産である。
それを実現する過程は、資本の流通である。資本家が商品を生産するのは、その商品自体のためではなく、その商品の使用価値、またはこの使用価値の個人的消費のためではない。
資本家にとって実際に問題となる生産物は、手につかめる生産物そのものではなく、生産物のうちに消費されている資本の価値を超える生産物の価値超過分である。
資本家は総資本を、その諸構成部分が剰余価値の生産において演ずる種々の役割を顧慮することなく、前貸しする。彼はこれらの構成部分すべてを、前貸しされた資本を再生産するためのみではなく、この資本を超える価値超過分を生産するために、一様に前貸しする可変資本の価値を、それと生きた労働との交換によってのみ、生きた労働の搾取によってのみ、より高い価値に転化しうる。
しかし、彼が労働を搾取しうるのは、彼が同時に、この労働の実現のための諸条件を、労働手段と労働対象、機械装置と原料を、前貸しすることによってのみである、すなわち、彼の所有する生産諸条件の形態に転化することによってのみである。
同じく、そもそも彼が資本家であり、そもそも労働の搾取過程を行いうるのは、彼が、単なる労働所持者としての労働者に、労働条件の所有者として対立するからにほかならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1015). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本 の 可変 部分 のみ が、 剰余価値 を 作り出す のでは ある が、それが剰余価値を作り出すのは、他の諸部分も、労働の生産諸条件も、前貸しされるという条件のもとにおいてのみである。
資本家は、不変資本の前貸しによってのみ、労働を搾取しうるのであるから、また彼は可変資本の前貸しによってのみ、不変資本を価値増殖しうるのであるから、彼にとっては、これら観念においては、すべて一様に同じこととなるのであり、またさらに、彼の利得の現実の度合は、可変資本にたいする比率によってではなく、総資本にたいする比率によって、剰余価値率によってではなく、後に見るように、それ自身は同一でありながら種々に異なる剰余価値率を表現しうる利潤率によって、規定されているので、ますますそうなるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1038). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本家 の 利潤 は、彼の支払っていない売るべき何ものかを、彼がもっていることから生ずる。剰余価値または利潤は、まさに、商品の費用価格を超える商品価値の超過分に、すなわち、商品に含まれる支払労働量を超える商品に含まれる総労働量に超過分にある。
したがって剰余価値は、それがどこから生ずるにせよ、前貸しされた総資本を超える超過分である。したがって、この超過分は総資本にたいして、m/cなる分数で表現される比率をなす。このcは総資本を意味するものである。かくしてわれわれは、剰余価値率m/vと区別して、利潤率m/c=m/(c+v)を得るのである。
可変資本で測られた剰余価値の率は、剰余価値率と呼ばれる。総資本で測られた剰余価値の率は、利潤率と呼ばれる。(中略)
剰余価値率の利潤率への転化から、剰余価値の利潤への転化が導き出されるべきで、その逆ではない。そして実際にも利潤率は、歴史的にそこから出発される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1053). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
利潤率は 剰余価値 率 とは 数的 に 異なっ て おり、他方剰余価値と利潤とは、事実上同じもので、数的にも等しいものであるにもかかわらず、利潤は剰余価値の一転化形態であり、それにおいては剰余価値の根源とその存在の秘密とが隠蔽され抹消されている形態である。
実際には、剰余価値の現象形態であり、後者は、分析によって初めて前者からむき出されねばならない。剰余価値においては、資本と労働との関係が露呈されている。
資本と利潤との関係、すなわち、資本と、一面では流通過程で実現された商品の費用価格を超える超過分として現われ、他面では総資本にたいするその比率によってより精細に規定された超過分として現われる剰余価値との関係においては、資本は、自己自身にたいする関係として、そこでは資本が本源的価値額としてそれ自身によって産み出された新価値から区別される関係として、現われる。
資本が生産過程と流通過程を経るその運動中に、この新価値を産みだすこと、それは意識されている。しかし、いかにしてそれが行われるかは、いまや神秘化されて、資本自体に属する隠れた性質に由来するもののように見える。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1190). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第三章 剰余価値率にたいする利潤率の関係
利潤 が 量的 に 剰余価値と等値されるかぎりでは、利潤の大いさとは、各個のばあいにあたえられているか、または規定されうる単純な数的大いさの諸関係によって、規定されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1214). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
総資本 C は、 不変資本 c と 可変資本 v とに 分かれ、 剰余価値 m を 生産 する。この剰余価値の前貸し可変資本にたいする比率、すなわち、m/vを、われわれは剰余比率と名づけ、これをm’で表す。
したがってm/v=m’、よって、m=m’vである。この剰余価値あ、可変資本にたいしてではなく総資本にたいして関係づけられるならば、それは利潤(p)と呼ばれ、総資本Cにたいする剰余価値mの比率、すなわちm/Cは、利潤率p’と呼ばれる。
したがって、p’=m’v/c=m’v/(c+v)
よって p’:m’=v:Cとなる。
剰余価値率にたいする利潤率の比は、総資本にたいする可変資本の比に等しい。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1218). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
c、 v、 および m の 大 い さに 規定 的 に 影響 を及ぼし、したがって簡単に言及されねばならない一連の他の諸要因が考慮される。
貨幣の価値
われわれはこれをすべてのばあいに、不変と仮定することができる。回転
この要因を、われわれはしばらく全然考慮しない、というのは、利潤率にたいするその影響は、後の一章で特別に取扱うからである。 (ここでは、前もって次の一点だけを注意しておく。
すなわち、p’=m’v/Cなる定式は、可変資本の一回転期間についてのみ、厳密に正しいということ、しかしわれわれは、単純な剰余価値率m’に剰余価値の年率m’nを代置することによって、これを年回転についても正しいものすること。ここではnは、一年間の可変資本の回転数である。)労働の生産性。
一個別資本が社会的平均的生産性よりも大きい生産性をもって作業し、その生産物を同じ商品の社会的平均価値よりも低い価値で作り出し、かくして、特別利潤を実現するばあいがそれである。(中略)
したがって、われわれはすべての個々のばあいに労働の生産性は不変である、という仮定から出発する。実際、一産業部門で投下された資本の価値組成、すなわち不変資本にたいする可変資本の一定の比率は、どのばあいにも、労働の生産性を表現する。
したがってわれわれは、c、v、mなる諸要因について生ずる諸変化が、同時に労働の生産性における諸変化を含んでいることを、きわめて、しばしば見出すであろう。
同じことは、なお残る三つの要因、労働日の長さ、労働の強度、労働賃金についても言える。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1252). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
われわれ は、 c または C にたいする v の 比率 における、いかに些少な変化でも、同様に利潤率をも変化させるに足るものであるから、剰余価値率が不変のばあいにも、利潤率はあるいは低下し、あるいは不変であり、あるいは上昇しうるのを見た。
さらに、vの変動するばあいにはつねに、m’の不変が経済的に不可能となるような一つの限界が現われる、ということが示された。
cの一方的変動も、すべて同様に、vがもはや不変ではありえないような一つの限界に達せざるをえないのであるから、v/Cのあらゆる可能な変動にとってそれを超えればm’もまた可変とならざるをえない諸限界が置かれている、ということは明らかである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2017). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
剰余価値 率 の 大 い さの 変動 が、 利潤率 に 及ぼす 影響 からは、 次 の よう な ば あいが生ずる。
v/Cが不変のばあいには、p’はm’と同じ割合で増減する。
v/Cがm’と同じ方向に運動するばあい、すなわち、m’が増加すれば増加し、m’が減少すれば減少するばあいには、p’はm’よりも大きい割合で上下する。
v/Cがm’と反対の方向に、しかしより小さい割合で、変化するばあいには、p’はm’よりも小さい割合で上下する。
v/Cがm’と反対の方向に、m’よりも大きい割合で、変動するばあいには、p’はm’が下がっても上がり、m’が上がっても下がる。
v/Cがm’と反対の方向に、しかし精確に同じ割合で、その大いさを変ずるばあいには、m’が上下しても不変のままである。
かくして、これら五つのばあいのすべてから、上昇する利潤率が、低下または上昇する剰余価値率に、低下する利潤率が、上昇または低下する剰余価値率に、不変の利潤率が、上昇または低下する剰余価値率に、対応しうる、ということがわかる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2366). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
かくして、 利潤率 は、 二つ の 主要 要因、 すなわち、剰余価値率と資本の価値組成とによって、規定される。(中略)
二つの資本の利潤理知、または二つの相継ぎ相異なる状態における同一資本の利潤率は、次のばあいに相等しい。
両資本の百分比組成が等しく、剰余価値率が等しいばあい。
百分比組成が等しからず、剰余価値率も等しくないときは、剰余価値率と百分比可変資本部分との(m’とvとの)積、すなわち、総資本にたいして百分比で計算された剰余価値量(m=m’v)が等しいばあい、いいかえれば、両資本において、m’とvという二要素が反比例するばあい。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2551). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
利潤率 は 次 の ば あい には 等しく ない。
百分比組成が等しいときは、剰余価値率が等しくないばあい。このばあいには、利潤率間の比は剰余価値率間の比に等しい。
剰余価値率が等しく、百分比組成が等しくないばあい。このばあいには利潤率間の比は、可変資本部分間の比に等しい。
剰余価値率が等しからず、百分比組成も等しくないばあい。このばあいには、利潤率間の比はm’vなる積のあいだの比に、すなわち、総資本にたいして百分比で計算された剰余価値量間の比に等しい。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2564). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
【私見:こうして、資本論をメモ書きしていて、細かすぎるほどにデータを分析していることに、ほとほと感心するとともに、沼に入りこんでしまって、全体としての方向性が見えなくなってくる。
以前読んだ、資本論関連書では、剰余価値と利潤とは違うということが書かれていて、ハテナマークがついたままになっていた。ところが、この第三巻、第一遍では、その違いを、これでもかとばかりに、その詳細が投げつけられていて、いささか、食傷気味となっている。
以後、第七編まで、利潤や利子についての講釈が延々と続く。柄谷行人は、東大の経済学部の出身者であり、資本論を読むのが、仕事みたいなものだから、当然のように、第三巻まで読んでいたが、彼が言うには、ほとんどの人は、第一巻までしか読んでいなくて、マルクスを語っているということらしいです。
確かに、共産革命だと、叫んでいただけの人たちなら、利潤率だの利子だのと、細かい経済の講釈などは、見たくも聞くたくもないことだろうと思う。
そうしたわけで、過去に、読みそびれていた、村上春樹著『ねじまき鳥クロニクル』の文庫版を近所の古本屋で購入し、気分転換用として、並行して読んでいる。
ついでに、どうして、この小説を読むつもりになったかという理由について追記します。先日、弁護士との面談を終えて、ふと壁際に沿って鎮座している書棚に目をやると、法律関連書から離れた最下段の棚に、漱石全集とともに、この小説が含まれていたことが、契機となったからです。
弁護士に、春樹の最新の小説を読んだことを、伝えると、どんな感想だったかと尋ねられた。さっきまで、法律上の硬い話しをしていただけに、この会話で、一気に距離が縮まったように感じた。】
第四章 回転の利潤率に及ぼす影響
総資本 の 回転 が 利潤率 に 及ぼす 影響 を、純粋に説明するためには、われわれは、比較されるべき二つの資本において、他のすべての事情が等しいものと仮定せねばならない。したがって、剰余価値率と労働日とのほかに、とくにまた百分比組成も等しいものとされる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2621). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
百分比 組成 を 等しく する 諸 資本 に あっ ては、剰余価値率が等しく労働日が等しいばあいには、二つの資本の利潤率の比は、それらの回転期間の比の逆である。
比較された二つのばあいにおいて、組成か剰余価値率か労働日か労働賃金かの、どれかが等しくないならば、もちろん、それによってさらに利潤率における差異がもたらされる。しかしそれらは回転には関係がなく、したがってここでは、われわれにとって問題にならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2649). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第五章 不変資本の充用における節約
第一節 概説
利潤率 を 高める。 不変資本 の 固定部分である工場建物、機械装置等の大いさは、作業がそれをもって16時間なされようと12時間なされようと、同じである。労働日の延長は、不変資本の、この最も高価な部分における、新たな支出を必要としない。
(中略)
ゆえに、近代的産業体制における固定資本増加の必要の不断の増大は、利潤狂いの資本家にとっては、労働日延長への一主要刺激だったのである。
労働日が不変なばあいには、同じ関係は生じない。このばあいには、より多量の労働を搾取するためには、一つには、労働量数を、それとともにある比率まで建物、機械装置等のような固定資本の量を、増加させることが必要である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2914). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
剰余価値 の 増大 には 不変資本 の 増大 が 伴い、 労働の搾取の増大には、労働搾取の手段である生産諸条件の価額増加が、すなわちより大きい資本支出が伴う。したがって、これによって利潤率は、他方で高められても、一方で低下させられる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2932). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
労働者 は、 彼 の 生活 の 最大 部分 を 生産過程で過ごすのであるから、生産過程の諸条件は、大部分は彼の能動的生活過程であり、彼の生活条件であって、この生活諸条件における節約は、利潤率を高める方法である。
それは過度労働が、すなわち労働者の役畜への転化が、資本の自己増殖を、剰余価値の生産を、促進する一方法であるのと、全く同様である。この節約は、資本家用語では建物の節約と言われる、狭い不健康な場所に労働者を溢れさせること、同じ場所に危険な機械装置を詰め込んで、危険にたいする防止手段を怠ること、その性質上健康に有害であるか、または鉱山におけるように危険を伴う生産過程において保安策を怠ること、等々に及んでいる。
労働者のために、生産過程を人間のそれらしくし、快適にし、またはせめて堪えられうるものとするための一切の設備を欠くことなどは、全く言うまでもない。
かようなことは、資本家的立場からすれば、全く無目的で無意味な浪費なのであろう。一般に資本主義的生産が、あらゆる吝嗇にもかかわらず、人間材料については全く浪費的であることは、他面ではそれが、商業によるその生産物の分配方法とその競争のやり方とのために、物質的手段を甚だしく浪費的に取扱い、そしてそれが一方で個々の資本家のために利得するものを、他方で社会のためには損失するのと、全く同様である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3142). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第二節 労働者を犠牲としてなされる労働諸条件の節約
資本主義 的 生産 は、 われわれ が これ を 個別 に 考察 し、 また流通の過程と競争の冗多とを考慮外に置けば、実現された、商品に対象化された労働については、極度に節約的にふるまう。
これに反して、それは、他のいかなる生産様式よりもはるかに甚だしく、人間の、生きた労働の、浪費者であり、血と肉との浪費者であるのみではなく、神経と脳髄との浪費者でもある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3197). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
【節約のために、資本家たちは、下記のように、あらゆる手段をこうじていることを記述している。
安全装置に関して定めた規定を無視。
労働者を狭い場所に詰め込み、かつ換気装置を設置しない。
大規模の機械装置の使用と生産手段の集積。
労働者に大規模機械を使用させ、狭い場所に多人数を集合させて労働する。】
第三節 動力生産、動力伝達および建物における節約 省略
第四節 生産廃物の利用
資本主義 的 生産様式 の 発達 とともに、生産上および消費上の廃物の利用が拡張される。われわれが生産上の廃物というのは、工場と農業における屑のことであり、消費上の廃物というのは、一部は、人間の自然的新陳代謝から出てくる廃物、一部は、消費対象が消費された後に残っている形態のことである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3510). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第五節 発明による節約
一般的 労働 と 共同 的 労働 とは、 区別 さ れ ね ば ならない。両者は、いずれも生産過程でその役割を演じ、互いに入りまじっているが、しかし両者のあいだには区別がある。一般的労働とは、すべての科学的労働、すべての発見、すべての発明である。
それは、一部は現存者との協業によって、一部は過去人の労働の利用によって、条件づけられている。共同的労働は、諸個人の直接的協業を前提とする。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3611). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
一般 に 新た な 諸 発明 に 基づく 事業 を 経営 する ため の 費用 は、その廃墟の上に、その遺骨から、興る後の諸事業のそれに比して、はるかにより大きいこと。この差異の大きいために、最初の企業者は、たいてい破産して、建物、機械装置等をより低廉に入手する後の企業家に至って、初めて繁栄するということになる。
それゆえ、人間精神の一般的労働と、結合労働によるその社会的応用との、一切の新たな発展から、最大に利潤を引出す者は、たいていは、もっともくだらない、もっともみじめな種類の貨幣資本家なのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3620). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
【私見:前章の第四章では、利潤率、剰余価値率の、細かい講釈に終始していたが、本章は、一転して、資本家批判となった。すでに、知られているように、『資本論』を、マルクスが作成したのは、第一巻のみであり、それ以降の巻は、マルクスが書き残したメモを、エンゲルスが、苦心惨憺して、解読し、編集したものだということである。そうした理由もあり、資本家への、舌鋒鋭い批判は、第一巻に譲るということになるのだろうか?】
第六章 価格変動の影響
第一節 原料の価格変動、それが利潤率に及ぼす直接の諸影響
原料 と 補助 材 科 の 価値 は、 それら の 消費 によって つくら れる 生産 物 の 価値 に、 全部 が 一度 に 入る ので ある が、固定資本諸要素の価値は、ただ固定資本の摩損の程度に応じてのみ、したがって、ただ漸次的にのみ、生産物に入る。
このことから、生産物の価格は、固定資本の価格によってよりもはるかに高い程度において、原料の価格によって影響される、ということになる。
もっとも、利潤率は、充用資本の幾何が消費され、幾何が消費されないかには拘わりなく、充用資本の総価値によって、規定されるのではあるが、しかし、ーーーわれわれは、ここではまだ諸商品がその価値どおりに売られることを前提し、したがって、競争によってもたらされる価格変動はここではまだわれわれには関係ないので、次のことは、だだついでに述べるだけであるがーーー市場の伸縮は個々の商品に価格にかかり、そしてこの価格の騰落に逆比例するということは、明らかである。
それゆえまた、製品の価格が、原料の価格の上昇と同じ割合で上昇せず、また原料の価格が低落するばあいに同じ割合では低落しないということが、現実には見出されるわけでもある。
したがって、利潤率は、諸商品がその価値どおりに売られるばあいに比して、一方のばあいにはより低く低下し、他方のばあいにはより高く上昇することになる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3705). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
原料 と 補助 材料 は、 労働 賃金 と 全く 同じ に、 流動資本 の 構成 部分 を なし、 したがって、 毎回 の 生産 物販売によってたえず全部が補填されねばならないが、機械装置の方は、摩損分だけが、しかもさしあたりは準備基金の形態で補填されればよいーーーその際各個の販売がその部分をこの準備基金に入れるか否かは、実際上決してそれほど重要ではなく、ただ一年間の全販売が、それ相当の一年分をこれに入れるものと前提されるだけであるーーーのであるから、ここでもまた、原料価値の上昇は、いかに全生産過程を縮減または阻止しうるかがしめされる、というのは、これによって商品販売から得られる価格が、商品の全要素を補填するに足りなくなるからであり、または、その価格が、過程をその技術的基礎に適合した規模で続行することを不可能にし、したがって機械装置の一部分しか使用されえなくなるか、または全機械装置が慣習上の時間の全部にわたって作業しえなくなるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3730). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第二節 資本の価値増大と価値減少、資本の解放と拘束
標題 に 記さ れ た 諸 現象 は、ここで一般的に取扱われうる。これらの現象は、第一には相互に関連をもち、第二には利潤の率にも量にも、関連をもっている。これらの現象は、またすでに次の理由から簡単に説明される必要がある。
すなわち、これらの現象によって、あたかも利潤の率のみではなく、その量ーーーそれは実際には剰余価値量と同じであるーーーもまた、剰余価値の運動から、その量なり率なりの運動から、独立に増減しうるかのような外観が、作り出されるからである。
一方における資本の解放と拘束、他方における価値増大と価値減少、これらは異なる現象と見られるべきであるか?
まず第一に、われわれの言う資本の解放と拘束とは何であるかが問題である。価値増大と価値減少とは自明である。これらの意味することは、何らかの一般的な経済事情の結果としてーーーというのは任意の一私資本の特殊の運命が問題とされるのではないからーーー現存資本の価値が増減すること、すなわち、生産に前貸しされた資本の価値が、その資本の充用する剰余労働による価値増殖とは別個に、増減すること、にほかならない。
われわれが資本の拘束というのは、生産が従来の規模で続行されるためには、生産物の総価値のうちから特定の与えられた割合が、新たに不変または可変資本の諸要素に再転化されねばならない、ということである。
われわれが資本の解放というのは、生産が従来の規模の範囲内で続行されるべきならば、生産物の総価値の一部分で、従来は不変資本か可変資本かに再転化されねばならなかったものが、随意に処理されうるものとなり、過剰なものとなる、ということである。ここにいう資本の解放または拘束は、収入の解放または拘束とは異なる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3779). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
機械 装置、 建築物 の設備、一般に固定資本が一定の成熟状態に達していて、したがって、少なくともその根本的構造においては、比較的長期間にわたって不変であるというばあいには、この固定資本の再生産の方法における諸改良の結果として、同様な価値減少が生ずる。
このばあいに機械装置等の価値が低下するのは、それがより新しいより生産的な機械装置等によって、急速に駆逐されるか、またはある程度の減価を受けるからではなく、それがいまではより低廉に再生産されうるからである。
このことは、何ゆえ大企業は、しばしば最初の所有者が破産した後に、二番目の手で初めて繁栄するに至るか、また、何ゆえその企業を安く買い取ったために、第二の所有者が、初めから彼の生産をより少ない資本支出で始めうるかの諸理由の一つである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3866). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本主義 的 生産 が 発展すればするほど、したがって、機械装置等から成る不変資本部分の突発的、持続的な増加の手段が大きければ大きいほど、蓄積が(ことに繁栄期のおけるように)急速であればあるほど、それだけ機械装置その他の固定資本の相対的過剰生産は大きく、そして植物的および動物的原料の相対的過小生産は頻繁であり、それだけ前述のこれらの原料の価格上昇と、それに対応する反動とは、甚だしくなる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4023). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
資本主義 体制 は、 合理的 農業 に 逆らう という こと、 または、 合理的 農業 は、 資本主義 体制 と 両立 し え ない もの で あっ て( 後者 は 前者 の技術的発達を促進するとはいえ)、みずから労働する小農民の手か、または結合された生産者による規制かを、必要とするということ。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4083). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
第三節 一般的例証ーーー1861~1865年の綿花恐慌 省略
第七章 補遺
本 篇で 想定 さ れ た よう に、 おのおの の 特殊 生産 部面 で 取得 さ れる利潤量は、その部面で投下された総資本によって産み出される剰余価値の総額に等しい、と仮定する。それでもなおブルジョアは利潤を、剰余価値と、すなわち不払剰余労働と、同じものとは考えないであろう。しかもそれは次の理由からである。
流通過程においては、ブルジョアは生産過程を忘れている。諸商品の価値の実現ーーーそれには諸商品の剰余価値の実現が含まれているーーーは、彼にとっては、この剰余価値の作出と見なされる。
同一の労働搾取度が前提されているばあいには、すでに示されたように、信用制度によって持ちこまれる一切の変更と、資本家相互間の一切の詐欺瞞着と、さらに一切の有利な市場の選択とを考慮外に置けば、利潤率は、原料の購入が安く行われるか、その際の専門知識がより多いかより少ないかに従って、また充用機械装置が生産的で、目的に合致して廉価であるか否かに従って、また生産過程の種々の全設備が、より完全であるかより不完全であるか、材料の浪費が除かれているか否か、指揮監督が簡単で、有効であるか否か、等々に従って、甚だしく異なりうるものでありうる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4551). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.