【悪徳の栄え】偏差値70の悪徳と偏差値30の美徳!どっちを信じる?
新型肺炎事情により秩序が失われ、混沌状態になった地域もあると思います。
法律や宗教やモラルがあるから、人は従順にそれに従います。しかし混沌状態になると人は行動が常識から逸脱します。日本でも不要な買い占めが行われたり、ウィルスを撒き散らすような行為も発生しましたね。今回紹介するのは『悪徳の栄え』(マルキ・ド・サド)です。
美徳と悪徳はコインの裏表
サドはフランス革命前後に生きた貴族である。まさに混沌としたフランスを生きた人間なのである。
モラルや宗教を超えて、己の欲望を最大まで夢想して書いたのが『悪徳の栄え』である。日本で渋澤龍彦が翻訳したら、あまりに不謹慎な内容から裁判になり発禁処分になったのは有名な話である。(発禁処分やむ無しな内容なので内容は書けない)
ただし全体通して言えることがある。美徳と悪徳はコインの裏表であり、美徳があるから悪徳もある。ではあなたたちの美徳にはどれほどの価値があるかと問いかけたときになんと答えるだろうか。
仮に偏差値70の悪徳と偏差値30の美徳があったら、どちらを信じるだろうか。○○してはいけないと思考停止にも似た美徳には対して、カリスマ的な美しい悪徳を提示されたとき、あなたはどちらに傾くだろうか。腐敗した貴族が跋扈する当時のフランスに偏差値70の美徳はなかったと思う。
法律がない世界で悪徳を咎めることができるか?
ほかにも道徳と倫理の問題がある。道徳は社会的に求められる基準であり、外部的圧力の要素があるが、倫理は内なる基準である。
ものをなぜ盗んだらいけないか、人をなぜ殺めてはいけないか。法律がない、なんでもありの世界だったら、その問いになんと答えられるだろうか。
「自分がやられて嫌なことはやめようぜ」
これは道徳的な意見である。社会がそこにある。悪徳の栄えは内なる倫理を解放した小説と言える。常軌を逸脱した小説を書き続けたサドはナポレオンにより逮捕され、バスティーユ牢獄に投獄されたまま一生を終えた。
こういうふうに書くと大変おぞましい小説のように思えるんですが、所詮妄想の域に過ぎない。個人的には、2015年に発表された柚木麻子の『ナイルパーチの女子会』のほうが大変生々しく、おぞましさでいえばサドを超えてます。