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日本のどこにでも存在するタテ社会①
日々の暮らしの中で感じる、
生きづらさはどこからくるのだろう、
と考えるなかで、以前、下記の記事のなかで、
私が思う生きづらさの正体を3つ挙げました。
①世間と空気
②タテ社会
③教育(義務教育)
昨日までは、世間と空気について記事を書いて
きました。
次に、タテ社会について書いてみます。
生きづらさを感じさせるものの正体を探る中で、
"タテ社会の人間関係 単一社会の理論
(中根千枝 講談社現代新書)"という本と
出会いました。
![](https://assets.st-note.com/img/1738117279-QeyoSRBblZfD7K4v1a2A9uFz.jpg?width=1200)
今では当たり前のように使われる、「タテ社会」
という言葉を使ったのが、著者の中根千枝氏です。
私はこの、「タテ社会」という言葉が気に
なり、どんなものか知りたいと思いました。
タテ社会というと、野球部など、体育会系の
上下関係や、芸能界などの先輩と後輩の上下関係、
警察や軍隊などの組織の指揮者と部下の関係などが
思い浮かぶと思います。
私は今までの経験上、タテ社会というものに
いいイメージを持てませんでした。
むしろ嫌ってさえいます。
ただ相手が1年違うというだけで、先輩として
敬われ、後輩という立場の人間は、まるで奴隷の
ようにこき使われ、おかしいと思っても、意見を
することは許されず、まして批判などしようもの
なら、"先輩にたてついた"、"あいつは生意気だ"、
"調子に乗っている"、など、あらゆることを口実にして、"かわいがり"、"指導"と称した、暴力や
いじめが行われる。
やがて、後輩の立場であり、嫌な思いをしたはずの人間たちが、自分たちが先輩の立場になると、
かつて理不尽な振る舞いをしていた先代の先輩と
呼ばれる存在と同じような行動を、まるで自分たちが今までされてきた恨みつらみをぶつけるかのように、当たり前のように行い、それが代々再生産
され、繰り返される。
そんな光景を目にしてきたり、耳にしてきたり
したため、タテ社会からなるべく離れたいと思って
いました。
しかし、学校を卒業して社会に出ても、
会社という組織にもタテ社会が存在します。
なるべく体育会系的な、あの暑苦しく息苦しい
雰囲気の少ない会社を選ぼうとしても、結局入ってみれば、体育会系的な独特の暑苦しさはなくとも、
上司部下、入社年次などで、いわゆる、"立場をわきまえろ"、ということが求められる。
以前の私は、時代も少し変わり、タテ社会ではないような組織、関係というものがあるのではないか、という幻想を抱いていました。
しかし、日本では、どんな組織だろうと、
業界が変わろうと、どこまでいってもタテ社会
なのです。
そのことを知ったのは、先ほど紹介した中根氏の
著書でした。
この記事では、タテ社会の特徴について書いて
みます。
1.「資格」よりも「場」を優先
2.「ヨコ」のつながりよりも「タテ」のつながり
3.人間平等主義
1.「資格」より「場」を優先
まずは、「資格」と「場」について定義します。
「資格」=一定の個人を他から区別しうる属性
「場」=資格の相違をとわない一定の枠
「資格」の例としては、鈴木、佐藤などの氏(うじ)、
老若男女、学歴、地位、職業、経営者、労働者
など、生まれ持ったものや、後天的に身につけた
ものまで様々あります。
「場」の例は、大学、会社、団体、行政機関などを指します。
日本では、「場」という名の枠を優先した社会
となっているのです。
※今までの記事で、日本に社会はなく、
あるのは世間だ、という記事を書きましたが、
ややこしくなるので、ここでは、社会として
書き進めていきます。
私たちが誰かと会う時、特にビジネスの場では、
名刺交換が行われます。
名刺交換はなんのためにするのか。それは相手の「場」を確認するためなのです。
相手がどんな人物か、どんな「資格」をもっているかよりも、どこの会社の、どの部署に属していて、
部署の中でどの程度の位置にいるのか、部長などの肩書きはあるのかなどを見ているのです。
そして、この「場」をもとにして、同じ場に属している人を「ウチ」、場に属していない人を
「ソト」、あるいは「ヨソ」といったりするの
です。
"ウチの会社では"、"ウチの方があそこの製品よりも優れている"、"そんなことではヨソでは通用
しない"、"所詮ヨソ者にウチのことはわからない"、
などで、よく使われているのではないでしょうか。
2.「ヨコ」のつながりよりも「タテ」のつながり
先ほどの、「資格」や「場」に当てはまると、
「資格」=「ヨコ」、「場」=「タテ」となります。
たとえば、会社において、同じ"大卒"、"高卒"など学歴があっても、同じ学歴でのつながりよりも、
入社年次、年齢などの差をつけたつながりが優先
されます。
「場」は異なっていたとしても、同じ「資格」を
持っていれば、同列に扱われるわけではなく、
あくまで「場」のなかで、上下の差をつけよう
とするのです。
たとえば、弁護士、という資格を持っていても、
弁護士で構成される団体は、同じ資格を持つものが、対等で同列ではなく、年齢、資格者取得年次、年齢、所属している弁護士事務所の規模などで、
それぞれの位置関係、上下関係を決めようとする
のです。
3.人間平等主義
能力差、資格の差を認めず、"みんな一緒である"という考えのことです。
みんな一緒、という安心感を与える一方で、
"出る杭は打たれる"という言葉があるように、
個人の違いを認めない、少しでも違うようなことがあれば叩き、叩いてもどうにもならないレベルまで相手が突き抜けてしまうと、今度は、あいつは
みんなとは違うから、俺たちを見捨てた、自分たちよりも上にいったのだから、我々のような下のものに施しをすべき、などの、妬み嫉み、要求をする
など、どこかで見たり聞いたりしたことはない
でしょうかはないでしょうか。
時間やお金をかけて、医者や弁護士、あるいは、
一線で活躍するスポーツ選手や芸術家などになった
としても、それぞれの個人の背景にある労力や努力のことは無視され、"みんな一緒"だから、
一緒じゃないやつは引きずりおろそう、という方に力が働くのです。
能力差、資格の差を認めないことは、人間で
あれば、みんな同じだから、同じ努力をすれば、
みんないい思いができる。
だからみんなで努力しよう、という、努力信仰の
ようなものを生じさせるのではないでしょうか。
もちろん、後天的に努力して身につけるものも
あれば、差を縮めることができるものもあると
思います。
しかし、私たちは、生まれながらに、男女、得意
不得意、好き嫌い、興味の向き不向きなど、
1人1人が異なり、差を持って生まれてきます。
その差を考えず、みんな一緒、と考えることは、
果たして本当によいことなのでしょうか。
少し私情が入り、文章が長くなりましたが、
まずは、タテ社会の特徴について書いてきました。
聞いたことはあり、なんとなく上下関係のことかなと思っていた方に、タテ社会について少し知って
いただけたらうれしいです。
色々な場面を通じて、もう少しタテ社会について
みていきたいと考えています。
ここまでお読みいただきありがとうございます。