読書の記憶〜ドリトル先生シリーズ その2
子どもの頃に繰り返し読んでいた岩波書店のドリトル先生シリーズ。
正月に実家で探してみたけれど、ずいぶん前に誰かにあげてしまったそうで、仕方なく電子書籍をダウンロードした。
読み返そうと思ったきっかけは「月の猫」のエピソードが読みたくなったから。
様々な動物と暮らしているドリトル先生だけれど、いわゆるペット猫は家族にいない。飼うつもりも無かったのに月の猫から「地球に連れて行ってほしい」と頼まれた先生は、植物標本の中に猫を隠し、助手のトミーに世話させる。
ドリトル先生と暮らしている動物たち(猟犬、豚、アヒル、白ネズミ、フクロウ、サル、オウム)はその事を知るや、思い込みと憶測だけですさまじい拒絶反応を示す。気絶するもの、追い出そうとするもの、逆に自分が出ていくと宣言するもの等々。最終的にはトミーの説得(月から地球へやって来た勇気は素晴らしいじゃないか云々)を動物たちは受け入れ、月の猫はドリトル先生の家で暮らすようになる…のだが。
なぜこの話を読みたくなったのかと言うと、最近の多様性重視といった雰囲気に微妙な違和感を感じるから。「多様性のある社会は結構、ただし自分に関係しないところでやってくれ」と言わんばかりの人が多すぎるのだ。
今回、読み直してみて本当にこれは良いテキストだと思った。「反人間」で一致しているはずの動物達が姿も見ていない「猫」に振り回される場面はかなり滑稽だ。時間が経つにつれ月の猫はドリトル先生の家族に馴染んでいくのだけれど、それはこの猫がそれなりに賢く、自分の意志を持った存在だったことが大きい。暖炉の前で団欒する動物たちを前に、テーブルの下でこっそり喉を鳴らす度胸まであるのだ。
残念ながら月の猫が登場するエピソードは思っていた以上に少なくて、参考になるような情報は得られなかった。でも既得権益を持っている人は容易にそれを手放さないという事、彼らの考えを変えるのは「あんた達だってそんなに大したもんじゃないでしょ、あの子達だってあの子達なりに価値があるのよ」と、ある程度強引に、話をまとめる事なのかもしれない。
あ〜、課題山積、先は長いわ…。