【大学生が語るHLAB体験談】サマースクールをつくることと、カレッジで暮らすこと両方から考えるHLABでの学び
HLAB GUNMA 2023で実行委員長を務めた鳥取大学3年の有賀春桜美です。
この記事では、3年間にわたってサマースクールづくりに携わり、最後は実行委員長として「学びの場づくり」に全力で取り組んだ私が、SHIMOKITA COLLEGEという、同じHLABがつくるレジデンシャルな学びの場での暮らしと学びを経験して感じたこと考えたことをまとめてみます。
今ではHLABの2本柱であるSummer SchoolとResidential Collegeに共通するエッセンスは何か、それぞれに独特なものは何かを私なりに考えました。
メールに書かれた「あなたをHLAB GUNMA 2023 実行委員長として採用します」の一文
2022年9月、私はHLAB GUNMA 2023の実行委員長になりました。メールの文面の【採用】の文字は今でも忘れられません。
HLABのサマースクールには高校生の時に参加し、運営委員として2年間関わった上で、実行委員長という大役を任されることになりました。委員長をやろうと思った理由は、端的にいうと、2年間実行委員としてサマースクール運営をする中で「私の中のやりたいサマースクール像」があることに気がついたからでした。
HLABで3年関わることが、私の人生経験の質を高めるために重要だった
毎年ほとんどの人が入れ替わるこの組織で、3年継続する人はさほど多くはありません。そんな中、私が3年目も続けたいと思った理由には主に2つありました。
1つ目は、HLABは関われば関わるほど面白い場所で、2年目で既にかなりのめり込んでいたからです。1年目の時には知るよしもありませんでしたが、2年目、3年目と年数を重ねるごとに見える物の多さとその範囲、視座がアップデートされることが、私がこの組織に対してワクワクしたところでした。
2つ目は、当時、HLABにいることが自分自身を成長させる鍵だと信じていたからです。HLABをやめて、他に新しいことを始めるという選択肢もありましたし、実際にそういう人は多いです。しかし、私はひとつの場所で年数を重ねることでしか得られない経験があると考え、別の経験という「量」を選ぶことよりも、HLABでもう1年という「質」を選ぶことにしました。
自分の環境への危機感から運営委員へのチャレンジを決意
私は大学2年生から運営委員になりましたが、応募しようと思った理由は、自分がいた環境に危機感を抱いたからでした。大学に進学したものの、大学生活には自分が期待したほどの刺激はなく、ゆったりと時間が流れていて、「この環境にこれからもう2年、3年と浸っていて本当に良いのだろうか。」という疑問が頭をよぎりました。そこで大学外の活動を探していたところ、過去に参加したHLAB Summer Schoolに大学生運営委員の募集があることを思い出しました。締切まで1週間だったので、必死にエッセイを書いて応募しました。
私がHLABを通じて学んだ主体性と雑多さの大切さを、今の高校生へ
さて、少し話がそれますが、本題に入る前に私のバックグラウンドを少しだけお話しさせてください。
私は長野県で生まれ、転勤族で転々とし、徳島県に一番長く住んでいました。贔屓目に見ても栄えているとは言えません。いわゆる「田舎」というようなところです。
また、私は小学校から高校までずっと学校に馴染めない人間でした。日本の、出た杭は打たれるような、画一的で無個性な空間がとても苦手でした。公立の学校に通っていたので、ごく普通な教育環境にいたと思いますし、私が感じていたものと同じような苦手意識を持つ方も特別少ないわけではないかと思います。
そんな私ですが、小学3年から6年の4年間だけは、オルタナティブスクールに通っていました。そこは、「遊びが学び」という考えがあり、毎日朝から夕方まで全力で遊んで過ごす学校でした。当時はとても珍しがられましたが、私はその4年間で人生にとって大切なことをたくさん教えてもらいました。また、私の教育観の根本もほぼその4年間にあります。
田舎に生まれ育ち、学校は居場所とは思えず、でもどこかに揺るぎない信念のようなものを持っていた私は、高校1年生の時にHLABに出会いました。参加したサマースクールは、退屈な高校生活を吹っ飛ばしてくれるような、斬新で非日常な1週間でした。サマースクールでの出会いと経験は、その後の人生に幅をもたらし、大学生で運営委員になってからはさらに世界が広く見えるようになりました。
HLABは、私が夢中になれる場所で、次第にその中核を担いたいと思うようになりました。実行委員長という役職は、私がその時にいちばん憧れたものだったのかもしれません。
自分自身がこれまでの人生で見てきたものと、サマースクールに参加した時の経験と、運営委員で持った目線を踏まえて、サマースクールを作ってみたいと思いました。
そして大学2年生になったとき、はじめてHLAB Summer Schoolの運営チームの一員になりました。2年間運営に携わる中で、自分の中で「私のつくりたいサマースクール像」が見えてきました。その「やりたい」をカタチにすべく、最後の1年間は実行委員長としてサマースクールをつくる中核を担うことになりました。
私が想い描いた「つくりたいサマースクール像」には、2つの軸がありました。それは、「主体性」と「雑多さ」です。今を生きる高校生に、この2つが担保された空間を全力で用意したいと思いました。
自ら本気で考え、自分で決める経験をつくる(主体性)
私は、高校生が自ら本気で考え、自分で決める環境をつくりたかった。また、そうできる空間を担保したかった。これが1つ目の軸です。
高校生を取り巻く環境は、何もかも決められた枠組みの中にありすぎるというのが、私の考えです。そういう環境にいては、クリエイティビティや自分らしさは見いだせませんし、本当に何がやりたいのかということを考える余地も素地もありません。こういう場所に身を置きながら、3年間でやりたいことを見つけ進路を選べというのは、あまりに酷です。
サマースクールでは、プログラムがこの空間づくりを支えてくれます。全ての企画で、参加する高校生は頭がパンクしそうになるほどたくさんのことを考えます。様々な場面で、自分の意見を伝えることや、ディスカッション等を通して自分のスタンスをとることを求められます。こういった、自分で考え、自分で決める体験が高校生には必要です。
多様な人たちと雑多に、ランダムに交わり合う場をつくる(雑多さ)
とにかくたくさんの世界に出会える空間を担保したいと思いました。これが軸の2つ目です。
これは主体性に通ずるものがありますが、日常で出会うものが綺麗にしつらえられすぎている、と私は考えています。言い換えると、彼らは出会うものですら守られすぎています。用意されたものにしか出会うことができない。そこには想像を超えるようなエキサイティングな出会いは極めて少なく、かつ多様さにも欠けます。
自身の向き不向きや好き嫌い、得手不得手を知るために、人はたくさんのもの(この「もの」を私のチームは「世界」と呼んでいました)に出会う必要がありますが、そういった機会があまりに少ないと思うのです。
これは、サマースクールで出会う「人」が主に支えてくれます。サマースクールには全国から集まる同世代の高校生、国内外の多様なバックグラウンドを持つ大学生、一世代上の様々な分野で活躍するゲストがいます。彼らは十人十色のバックグラウンドを持ち、それぞれの未来を描いています。そういった、サマースクールに集う多様な人たちと雑多に、ランダムに交わり合うことで、想像を超える出会いや気づきや世界の広がりを生み出しました。
サマースクールを超えるほどの主体性と雑多さに溢れるカレッジへ
HLABの活動ではサマースクールへの参加と、運営チームへの参画が中心だったのですが、活動に携わる中でSHIMOKITA COLLEGEに住むチャンスをもらいました。「レジデンシャル研修」と名づけられたそのプログラムは、HLAB Summer Schoolの運営委員を対象にしたプログラムで、私は結果的に合計2回、カレッジで暮らしながら学ぶ機会に恵まれました。1回目は実行委員長をやる前に2週間(2022年)、2回目は実行委員長をやりきった後に1ヶ月(2023年)のカレッジ滞在でした。
同じHLABが運営しているとはいえ、サマースクールとカレッジは私にとってはまるで違うもののように感じられました。
その違いとは、主に時間あたりの濃さにあると感じています。
HLAB Summer Schoolは1週間と期間が分かりやすく決まっているので、プログラムは朝から夜までぎっしりで、ひとつの時間で皆が同じことをして、あえて本気でぶつかります。そのため、同じ1時間を過ごしてもその時間の濃さはサマースクールの方が高く感じられます。
一方でResidential Collegeとなると、そのベースには暮らしがあり、日々の生活があります。そうなると、四六時中濃厚すぎる毎日を送るわけでなく、違う時間の過ごし方、学びの在り方がそこでは構築されていくわけです。
私は「主体性」と「雑多さ」に溢れるサマースクールを作りたくて、それを実現するために委員長になりましたが、実際に住んだSHIMOKITA COLLEGEは、私が想像していた以上に「主体性」と「雑多さ」で溢れていました。
カレッジは学校的な教育機関ではないので、従わなければならない決まりは少なく、極めて自由度が高い場所です。基本的に、どういうふうに時間を使うかはその人に委ねられています。また、カレッジではイベントや集まりが頻繁にありますが、それらに参加の義務はなく、自分で参加度を決めることもできます。それはひとつの「主体性」です。
「雑多さ」は、カレッジにいる人の多様さと、多さです。カレッジにいると、同じ時間に、同じ空間で皆それぞれ違うことをしています。寝てる人、本を読んでいる人、仕事をしている人、料理を作っている人、出かけている人、等々。日本国内かつ東京を拠点にしている人が多いとはいえ、本当にみんな色んな方向を向いていて、話を聞くたびに知らない世界と出会う感覚です。また、カレッジではサマースクールと違って、面白いと思った人と数週間、数ヶ月といった長期的にスパンで関わることができます。その人たちと関係性を深める中で聞ける話や見えるものがあります。カレッジを出てからも強い関係性が続くからこそ、ここでの出会いはサマースクールよりも濃く、強くなり得るのだと思います。
暮らしを共にするからこその、濃密な学びの時間
カレッジとサマースクールの相違点として、私は2つあると思っています。1つ目は、「SHIMOKITA COLLEGE」という拠点がいつもあるところ、2つ目は、人との出会いにおける質の高さと奥行きの深さです。
やはり、拠点が常にあって、帰ってくれば会える人がいる、というのはサマースクールの開催地とは似て非なるものです。カレッジに行った時に、知ってる人と話しても、たまたま知らない人と話しても、そこから学びや気づきや繋がりが生まれる。そんな場所はなかなかないですし、サマースクールとはまったく異なる力学の中に存在しているからこそできることです。
カレッジにおける人との出会いの質の高さと奥行きの深さは、サマースクールに参加して感動した人にもぜひ体験してほしいものです。やはりサマースクールの1週間というのは、物理的にも感覚的にもとても短く、たくさんの人と出会えはするけど、深い繋がりを持てたり、その人の人生に迫れるかというと、どこか物足りないまま終わってしまうことが少なくありません。カレッジでは、何度も時間を忘れて語ることがありましたが、そこで出てきた問いのインパクトや、語り相手の存在の大きさは、その後の私の人生にも大きく影響を与えています。尊敬する人、面白いと思う人と、1回や2回でなく、生活の中で何度も接点を持って気軽に関わりを持てるというのは、カレッジで生活をする際の魅力の一つだと思います。
さいごに
田舎に生まれ育った私は、HLABのサマースクールの体験を通して外の世界を知り、運営委員の経験を通して世界の広さを知りました。
サマースクールに参加し、運営に携わり、カレッジ居住も体験した私から見えるHLABは、日本にはまだないものを作ろうとしています。高校生の時にサマースクールに参加してから6年が経ちましたが、HLABなくしては今の私を語れません。
どちらが優れている、劣っているという話ではなく、私個人としてはどちらも全力で参加をおすすめしたいですし、欲張りなみなさんにはぜひサマースクールとカレッジの両方を体験してほしいです。
私自身、カレッジでの居住は短期間のものだったので、近い将来カレッジにどっぷり浸かれる日が来るといいなと思っています。