3つの尖りを磨こう

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


前回の記事では、「100万人に1人の教師を目指そう」ということを書きました。今回はその続きです。より具体的に考えてみたいと思います。


100万人に1人の教師になるためには、100人に1人の割合である自分の特徴を、3つ掛け合わせる必要があります。これは言うほど簡単なことではありません。


そこで今回は、僕自身ができていることというより、概念的なものとして述べていきます。事例は具体的に書こうと考えていますが、100万人に1人になれるかどうかは自信ありません(笑)ただ、きっと何かのヒントにはなると考えていますので、最後までお付き合いください。


あなたには、周りが驚くことだけど、自分にとっては当たり前のようにできてしまえることはありますか?


例えば、毎日部屋中を掃除して片付けしないといられないとか、シューティングゲームをすると、全面クリアが楽勝にできる、といった感じのものです。自分だけのときにはそれが当たり前なので気づけませんが、人に話したり実際に目の当たりにされたりすると、驚愕されることがあります。

このようなものが、あなたの素質や資質だと考えられます。そして今回活用する「尖り」とは、この「当たり前にできてしまえること」に要素が詰まっています。


僕の場合、1つの尖りと考えられることが、「文章を書くこと」です。僕の周りの同僚を見ても、2日に一回ブログを書き続けている人はいません。それも毎回2000字以上ともなると、ほぼ皆無と言ってよいでしょう。

このことを同僚に伝えても、僕の場合まったく驚愕されることはありませんが(笑)、自分では結構すごいことだと考えていますけど。

文章を書くことにこだわりを持っているので、学級通信は毎週末必ず出していますし、子どもたちの宿題にも作文を取り入れています。文章を書くことは苦にならないし、むしろ書かないことの方がもはや落ち着かないようになっています。

これが僕の最も強い尖りと言えるでしょう。


次に尖りとして考えられることが、「毎日Voicyを聞いている」ということです。いや、聞いてるだけかよ(笑)と思われますよね。どういうことかと言うと、インプットを欠かさず行っているということです。


日々の忙しさのなかで、「本を読む」というのは僕にはハードルが高いものです。これが最も良質なインプットだと考えていますが、本を読むことはあまり得意ではありません。


約2年前に、知人からVoicyを紹介されて、この面白さにハマりました。僕にとって、良質な情報を耳から得ていくということが、自分の性にも生活スタイルにも合っていることに気づきました。


こうして、約2年間、様々なパーソナリティの方々から学びを得ていきました。その情報は、これまで職場や家庭で得ていていたものとはまるで異なるものでした。これまで考えたこともないようなことを考えたり、自分とは異なる考え方に触れたりしながら、自分をアップデートし続けています。


僕のように毎日何かしらの学びを続けている人は、周りにあまり多くいません。100人に1人という程ではありませんが、学び続ける点に関して、僕は1つの尖りをもっています。


3つ目の尖りとして挙げられるのが、「哲学」です。アドラー心理学やセルフ・コンパッションをベースとして、僕は自分の人生をより豊かなものにするために、哲学を大切にしています。

哲学とは、熊本大学の苫野一徳先生の言葉を借りるならば、「本質洞察に基づく原理の提示」ということになります。ただ僕の考える哲学とは、「原理の提示」まではいかないまでも、物事の本質を問い続けることと定義しています。


常に本質洞察を行っているので、クラスの子どもたちに語る言葉も他の教員とは違うと思っています。もちろん教員一人ひとり個性が違うので、それぞれ違うわけですが、僕が言いたいことは、子どもたちに語るときには本質を考えた上でのものだということです。

例えば、他者に悪口を言うことがなぜいけないことなのかを、回りくどく説明します。「相手が傷つくから言ってはダメ」みたいな指導をしません。悪口を言うことによって、巡り巡って自分に跳ね返ってくることを、事例をもとに語るのです。

そして「そういうことを続ければ、あなたの周りには良い人がどんどんいなくなる。あなたの人生だから私はもう何も言わない。けれど、これ以上他者を傷つけるのならば、オレが許さない」と脅し文句を最後に述べるわけです。

自由の相互承認の考え方や、課題の分離等を活用して、このような言葉を選びます。かなり冷たく聞こえるとは思いますが、社会というのはそんなに甘くないと僕は考えているので、確信をもって伝えます。これは日々僕が本質洞察をしているので、自信をもって語れるわけです。



以上、僕なりの3つの尖りを説明しました。


この3つを持ったとて、100万人に1人の教師になれるかは疑問です。大切なことは、この3つを自覚して、「磨きをかけていくこと」です。


今はまだ小さく弱い尖りだったとしても、それを丹念に磨き続けていくのです。尖らせれば尖らせるほど、大きく鋭い尖りとなっていくからです。




ここからは、なぜ僕が「3つの尖り」と考えたのかを記していきます。


僕には他にも尖りになりそうなものがいくつかあります。例えば、僕は演劇台本を書くことが好きなので、自分で創作劇等を考えます。演劇指導も好きで、夢中でできます。また、運動もそこそこ得意で、何の運動でもある程度こなすことができます。さらには、ゲーム大会等の司会を行わせたら、まあまあ盛り上がることもできます。


3つと言わず、これらの尖りを磨き上げたら、唯一無二感が半端なくなるのですが、ここで1つの問題にぶち当たります。それは「時間がない」ということです。

いろんなことに磨きをかけられたら、引き手数多の存在になることができるかもしれません。しかし、全部に時間資本を費やすことはできないのです。

自分の気力体力と、生活スタイルを考慮すると、3つが限度です。この3つですらまともにできないこともありますから。これが僕が3つに絞った1つの理由です。


もう一つ理由があります。それは、1つや2つの尖りだけだと保険が利かないと考えたからです。


自分の尖りを1つだけ磨こうとする人がいます。それもありだと思いますが、僕はそれが怖くてできません。

まず、その1つが手詰まりになったときに、にっちもさっちもいかなくなるからです。

次に、1つに絞るとライバルが多くなるからです。例えば国語の研究を極めようと努力したとしても、その研究家はごまんといます。その中で唯一無二の存在になるのは、相当な努力と運が必要です。

では2つの尖りならばよいではないかと考えられます。でもこれもまた保険が利かないところが出てきます。

1つ目が潰れたときの補助の2つ目です。万が一その2つ目が何らかの理由で機能しなかった場合に、やはり手詰まりになってしまいます。

飛行機には必ず第二エンジンが付いていますが、もし第二エンジンまでも停止してしまったら、どうなってしまうでしょう。もしここに、第三のエンジン、つまり奥の手を残しておくことで、安心して2つの尖りを活用することができるのではないでしょうか。


また、3つ目の尖りは、全く専門外のことでもよいと思います。そうすることで視野が広がり、2つの尖りにより大きな恩恵をもたらすと考えられます。


僕が、教師には哲学が必要だと考えている理由がここにあります。3つ目の尖りである哲学は、本来の業務とは別のところにあります。しかしこの尖りのお陰で、僕は自信をもって本業にも取り組むことができているのです。


このような理由から、僕が3つの尖りを磨くことを提案しています。


尖りを見つけて、それを磨いていくためには、まず自分の無意識の性質に気づかなければなりません。それには、常に自分の状態に向き合っていく必要があります。

その気づきのヒントとなることが、最初に述べたように、「自分が当たり前だと思って行っている行動」に目を向けることです。


そしてそれをいくつか洗い出したら、今度はどれを武器にしていくのかを選ぶ段階に入ります。そのときに意識したいことが、時間資本をどれに費やしたいかです。

自分が苦もなくできることでなければ、それをずっと続けることは、相当難しいと僕は考えます。当たり前にできることで、かつ自分が磨きをかけたいことを選んでいきます。それを大体3つに絞って時間をかけていきましょう、というのが今回の提案です。


僕自身、まだまだ磨きが足りないのと、自分の未知なる尖りに気づいていないかもしれないのと、今はあまり上手くいっているとは思えませんが、自分の尖りを意識しながら日々を過ごしていきます。あなたにも必ず尖りが見つかります。お互い、それぞれの人生を豊かにしていきましょう。


最後までお読みくださりありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!