Profile
Prologue
おぎゃ〜と泣きながら産まれたかは覚えていないが反抗期だったようで逆子で産まれたらしい。そしてその時から僕の人生はほとんど決まっていたようだ。
祖父が民謡教室の先生をしていてその跡継ぎとして小さい頃から育てられた。幼稚園くらいから祖父に唄と三味線を教わる。学校が終わったらお稽古のため2駅離れた祖父の家に電車で通う日々。
10歳くらいからは篠笛と尺八を目黒の師匠に教わるため電車を乗り継ぎ2時間かけて月3回通った。小学生だったから電車に乗って外でご飯食べられてちょっとした遠足気分。こちらの師匠には大変お世話になったな〜
演奏家としての始まり
高校入学を機に新たに細棹と津軽三味線の師匠に通い演奏家としての本格的な活動を始める。
「将来のための修行と思ってやりなさい」とお膳立てされた道ではあるが、学校へ通いながら4名の師匠につき活動をしていくのはかなり大変だった。
始発に乗って終電で帰ってくるなんてのはまだいい。終電にも間に合わないこともしばしば。ブラックな高校生時代。。。
祖父との別れ
20代中ばで祖父が他界し二代目として教室を引継ぐことに。この頃には忙しさと身内のゴタゴタで他の師匠とは疎遠になっていた。
プレッシャーはあった。でもやるしかなかった。
この頃から演歌の伴奏をする機会が増え、2人の歌手の専属として伴奏させてもらった。
現場での演奏に教室の運営。リズム感をつける練習と五線譜の勉強に明け暮れたな〜
Efren Reyesとの出会い
20代前半知り合いに誘われビリヤードを始めた。
なかなか面白く夢中になりそこでEfren Reyesというプレイヤーを知った。
実際に会ったことはないがプレイしているビデオテープ(当時はDVDとかYouTubeとかまだなかった時代。。。)を借りて観たら秒でファンになった。
Q. なぜ手球があんな動きをするの?
Q. なぜそこのラインを簡単に通すの??
Q. その想像力の源は???
Q. プレッシャーって言葉知っていますか????
などあげたらキリがないほど。
(ビリヤードを知らない方には意味がわからないと思います・・・すみません。。。)
強くて上手い。
両方持ち合わせているプレイヤーはビリヤードに限らずなかなかいない。
「Reyesが撞くと時が止まる」
と言われていたり
「The Magician」
と言われることがよくわかる。
そんなEfren Reyesから学んだことは芸にも活かせた。
人とは違うアイデアを持つ重要性、それをチャレンジできるメンタルとスキル、リカバリー。
そしてどんな時も楽しんでプレイする。
数々の伝説を残してきているEfren Reyesだが、特に有名なのがEarl StricklandとのSands Regency Classic1995決勝戦、最終ラックでのWクッション「Zショット」はいつ観ても感動するし勇気をもらえる。
人は想像を超えるものを観たり聴いたりした時は笑うことしかできないのだと知った。
だから僕はこれからどんどん笑われる人になろうと思った。
ちなみに撥を持つ右手の手首の使い方はEfren Reyesを参考にしている。
Hans Zimmerとの出会い
と言ってもEfren Reyes同様会った事はないが、THE PACIFICという海外ドラマを観た時に流れていた音楽が気になり調べたらHans Zimmerが音楽を担当していた。
当時は全く知らなかったが調べてみたら聴いたことがある曲がたくさんあり僕の中に染みた。
和楽器の世界ではこういう音楽家に出会ったことがなかった。というより今の和楽器界の性質では今後も現れないと思う。
10代後半から自分でも曲を作っていたがHans Zimmerの曲を聴いてからは曲の作り方が変わった。
僕の音楽の師匠はHans Zimmerであると勝手に思っている。。。
家業=好きな仕事ではない
「好きなことを仕事に出来ていいよね」とよく言われる。いやいやちょっと待ってください。僕からしたらこの仕事は家業としてやっているだけですけど。。。
だからといって適当な仕事をしているわけでもない。
プロとしての責任感と自覚をもってしっかり活動している。
この家業にも昔からトラブルがあった。もともと仲の良い身内ではなかったので”僕に跡継ぎを”と言って後押ししてくれていた祖父や親が亡くなり、僕を跡継ぎと認めない身内もいる中でやっていくのはなかなか大変。
最終的には裁判にまでなり身内から「今まで築いてきた地位も名誉も全て奪ってやりたい」と聞き、この時に跡継ぎは辞めようと決意。
応援してくれとは言わないが邪魔はしてほしくなかった。
生徒さんに事情を説明し祖父が築き上げてきた55年続いた会を解散。
けれど生徒さんから「私達を見捨てないでください。どんな形でもいいから続けてほしい」と言われさすがに僕も見捨てられない。僕がまだ幼稚園生の頃から通っている人もいる。
そこで「HKStyle」を立ち上げることになる。
またそのゴタゴタの最中にさらなる不運。
バイク事故に遭い約半年まともに動けなくなった。さらに更に、不幸中の幸いと言えるのかちょうど演奏家活動のオファーも全くなかった。
もう僕は現場には必要ではないのかもしれない。
普段の生活や演奏にはあまり支障はないが事故での後遺障害もあり、何より身内からの言葉に心が折れ演奏家としての活動を辞めることにした。
HK Style
事故での怪我の療養中時間だけはたっぷりとあったので今後の事を見据えて色々動いてみた。
就職も考え活動してみたが40過ぎの職歴なしのオッサンに届くのは不採用の通知ばかり。面接まで行けばまだいい方。書類選考でほぼ終わる。
時間の無駄だと思いHK Styleを活用しフリーで様々な活動をしていこうと思い教室を運営しながらギクワークで軽貨物ドライバーを始めた。
そしてもっと身近に、気軽に、民謡や三味線、津軽三味線、篠笛、尺八を学べるスペースは作れないかと考えDiscord(アメリカ発のチャットサービス)を利用したオンライン教室HK Style Musicを開講。
さらに発表会やライブなどのイベントを開催したいけどどのようにしたらいいかわからないといったお悩みの方もいるかと思い、そういったサポートのコンサルティングを始めた。
民謡カラオケやサンプル動画がありますのでご覧下さい。https://www.youtube.com/channel/UCIhJdP3eW7jFRUffPnre2bg
またHPでも僕のプロフィールなどの情報を公開しているので入会希望やご質問等はHPのコンタクトからお問い合わせください。
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