すぐに見返したくなるであろう東京の日常詰め合わせ。
最近、ふとメモをあけて
書き留めたものたち、勝手に大放出大会。
オチもなければ起承転結もない、ただのぼやき。
日々渦巻く楽しいもの、苦しいもの、
よくわからないものの詰め合わせ。
ある日のふーちん
[2023.08.22 AM2:27]
お決まりの原宿の安っちい飲み屋。
チャーハンが好きで、同期と通い詰めた。
ある日は、値上げに苦情を言い、ある日は恋愛話を延々とした。
その日も、また自然とその店に足が向かった。
Kが電話してるのを横目に行くよーと言って、二人でふーちんに行った。途中でMと合流して、3人で飲んでたら、Hが途中から来て私大興奮。10日ぶりに会うのがとても嬉しかった。
そんなこんなでミックスベジタブルとシーフードミックスの違いを語ったり、Mが白餡やホワイトチョコが苦手な話について力説したりと、なんともどうでもいい話を聞いては盛り上がった。
帰りになぜか、Mがピザ窯作ろって言ってきた日には笑い転げた。箸が転げても笑える年頃。馬鹿みたいに笑った。
ねずみの集まる溜まり場「ネズミーランド」を目指して、馬鹿笑いしながら原宿の坂を登って、タバコ臭さを髪に纏いながら、帰りの電車でクスッと笑いながら上機嫌に帰る。
足取りは軽くて、「あーなんでもないけど、楽しかったな」と思いながら布団に潜る瞬間が幸せだったなと。
わかる人にはわかる、なんでもない日常の話。
終電前後に電車に漂う好意の気配
[2023.08.22 AM2:18]
終電前後の電車に乗っていると、
よく別れの挨拶をしている中年の男女を目にする。
それがなんとも微笑ましく、そのすこしよそよそしい距離感が可愛いなと思ったりする。
ちらっと見た時に、あーまた次に誘うんだろうなとか、この時間まで飲んで楽しかったんだろうなとか、表情や声色を確認すればわかる。
お互いへの好意が感じられる柔らかい丁寧な別れの挨拶と、何かはじまりそうな予感に心躍る私がいる。
頑張れ大人たちよ。
遠くて近い大事な存在
[2023.09.02 AM3:06]
出会った時から、ふとした時にあーどうしてるかなって考えたりするちょっと遠い人。
どんな時も、心のどこかにいて、ちょっぴりエネルギーを分けてもらってる気がする。前を向こうって思わせてくれる存在。
私はそんな彼を心底尊敬してるんだと思う。
それは、彼がどれだけ怠惰な時でも、どんなに頑張ってなくとも、生きてるだけで尊敬できるし、ああ私ものびのびいこうって思わせてくれるマイペースだけど、大事な存在だから。
これまでの恋人たちとも、これまで出会った誰とも違う感情で、「もっと頑張れば?」とか思わずに、ただただ応援できる。
少し似たところがあるなと感じているからなのか、すごくよくできるのに一般的な評価にすがらず、社会の目を掻い潜っているからなのか、自分の意思で動いているからなのか。
彼の目を通して見る世界が好き。
多分本人は少し引け目を感じているであろうところまでも、素敵だなと思ってしまう彼への感情は、恋心ではないけど、ちょっと特別な存在。
友達リストの中でも、彼のために特別席を用意してあげてるような感覚。
遠くて近い大事な存在。
『普通』の暴力
[2023.09.06 PM7:35]
なぜ、私は普通であれないのか。
普通であるべきとも、思っていないけれど、いつかのタイミングで私は根っこもろとも価値観が変わってしまったのかもしれないと思った。
この前、友人と話していてふと違和感を感じたことがあった。憧れや目指す姿について、何気ない会話をしていたときだ。
その友人は表参道に行くと、綺麗に着飾っている人が多くて、シャキッとしてしまうと言った。そして、それを見るたびに私ももっと稼いで綺麗になってブランドものとかを纏いたいし、そのために仕事を頑張りたいと言っていた。
それが、どうも私にはピンと来なかったのだ。
より多くの人にモテたいとか、より綺麗になりたいとか、より多くのお金を手に入れて綺麗な洋服をたくさん買いたいとか、当然思っていた時期は私にもあったはずだったが、今は理解ができなくなってしまった。
それが人生の喜びなのだろうか?と。
それを目指して仕事を頑張れるのだろうか?と。
そうであれたら、幸せなのかもしれないなとさえぼんやり思う。本来、それが「普通」なのだから。
でも、私は天地がひっくり返ってもそれを求めることはできないと思う。それよりも経験や出会いを大事にしたい。
地球がおわってしまったら、住む場所を追われてしまったら、一生懸命しがみついたモノたちなんて、何にもならないのだから。
意図しない循環
[2023.08.30 PM7:21]
見返りを求めない循環や思いやりを必要としない仕組みづくりがしたい。
リスが、自分の蓄えのために埋めた実が繁殖に貢献していたり、蜂が蜜を集める過程で受粉を促進して多くの動物の生命に寄与していたり、動物の糞が作物の肥料になったり。
生態系のバランスを保つべく、長い時間をかけて作り上げた数多くのモデル。それは意図されたものでも思いやりから来たものでもない。
そういう循環の形を人間も作りたい。
きっとそれは本来あったはずのものだった。
同情ではなく、自然への敬意を込めてしていたはずの
多くのことたちを私たちは資本主義の台頭とともに放棄してきた。
何百何千年の中で作り上げてきた動物たちの循環の形を、一瞬にして壊す力ももちろんあるけど、長い時間をかけて再生する力も人間にはきっとあるはず。
「気候変動?なんでそんなに必死なの?」から始まらない議論がしたいと思った。
[2023.08.18 PM8:14]
この一年、社会の波に揉まれて、一つ気づいたことがある。
今の私は伝える側の人間としては向いていないんだなということ。まだまだ伝える側ではなく、学び、考える側でいたいんだなということ。
誰にでも簡単に伝えられるようになるのって、すごく難しい。だから、説明が面倒になることがあったり、自分が正しく発信をしなきゃといいメッセージってなんだっけって考えたりをとてもよくしていた気がする。
過去自分が得た知識を、綺麗に整理して、いかにわかりやすく伝えるかばかりを考えていた。それって自分にとっては心地よいものでなかった。
特にこの領域は、知識量の幅が広い。
地球温暖化対策には打ち水だよねという人から、IPCCの報告書みて気候危機への脅威から何ができるか考えてるって人まで。知識の深さと幅には相当の個人差がある。(これにはいろんな要因があり、必ずしも個人の意識の問題でないことは重々承知である)
この問題の難しさってきっと、そういう人たちまで巻き込まないと一定解決できない問題だってことで、より多くの人により多くの情報を伝えたいという気持ちに嘘はなかった。
ただ、社会人になってからの1年間。
お客さんや社内メンバーの理解度を探りながら、
この話題に触れていいもんか、触れないべきか考えながら接してきて、、、正直疲れてしまった。
最終的には事業利益やトレンドの話に落ち着いてしまったり、ありもしない事業構想を聞かれたり、はたまた何でそれがしたいのかを延々深ぼられたり、進んでいるようで進んでいない違和感がどうしても拭えなかった。
押し付けられるサステナビリティではない、その枠を超えた、私の納得いく答えを追求したい。
だから、一回ビジネスとか度外視して、自由な発想で未来について考えたいと思った。
不特定多数に前提を伝えて回るのではなく、変わりゆく情報をキャッチアップして、未来の話がしたいと思った。
だから、私は大学院に行きたい、と思うようになったのだ。
説明のできない靄がいつもそこにある。
[2023.08.19 PM9:04]
久しぶりにシャイで泣き虫な自分と向き合う。
これは、一人で泣いた日のこと。
最近いろんな人に会うようになったのだが、よく言われる言葉がある。
「ひななら、なんか大丈夫な気がする」
たぶんそれは、しっかり者でちゃんと意思を持ってるから、心配いらないと思うということなんだと思う。
それが少しもやっとする。得体の知れないこの靄はきっと、誰かを納得させるための答えばかり用意していて、本当の気持ちがわからなくなったからなんだと思う。
時折それが苦しい。
私だって不安でたまらない時や、訳もわからず涙が止まらない日があるの。それは悲しいからではなく、何が何だかわからないから。
自分がどうしたいのか、
どうありたいのか、
どうあるべきなのか。
いろんな感情がごっちゃになって。
それをよく書き留めて匿名のnoteや、フォロワー0の鍵垢で吐く。
強く見える人はたいてい脆い。
私もいつか壊れてしまうのかもしれない。
亡き祖父を、想う夜
[2023.04.22 AM0:52]
よく考えたら、私は道を踏み外しまくってる。
研究者になりたかったのに文系に進み、
テニスと思いきや少林寺拳法をし、
絶対選ばないであろうコンサルを選んだ。
周りからの目や、損得勘定で
私の体は不思議と良く動く。
祖父は研究者だった。
当時日本を代表する研究者だ。
生涯を研究に捧げ、南極まで行った人。
そんな祖父が大好きだった。
そこから、小学生の時から私の夢は科学者だった。
祖父は気難しい人だったと聞いた。
NHKのニュースを見て、愚痴をこぼし、
よくクレームの電話をかけていたとか。
私の知ってる温厚なイメージの祖父からして
想像もできなかった。
彼のように後世に何かを残したい。
私は中学の時に、尊敬する人に祖父を選んだ。
ある時期、祖父のお墓を横切って
大学に自転車を走らせていたが、
その時決まって、「私も社会をよくするからね」
と唱えてた。
あれから、3年。
社会は何ら変わってない気がするけど、
それでも私の中には常に変化が渦巻いている。
私は知らないことばかりだ。
それを自分の目で見たい。
まだ私の旅は始まったばかり。