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思考と自分を切り離し、幸せの流れに乗るための話。
思考でこれ以上「どうにかしなきゃ!」「どうにかしよう!」を続けない為のサレンダー。
これについて、ざっくりと説明!
(・ω・)ゞ
サレンダーとはつまり、「切り替え」
思考で。自分で。→解決しようとすると、どうしても「思考の狭いやり方」だけに囚われることになる。
そうなってる状態だと、これまた、どうしたって、「それ以外の策」に気づけなくなる。受け入れなくなる。
それにより何が起こるかと言うと…狭い解決ルートしか思考が許さない。その結果、→「解決しない」が起こるってわけ。
そうならない為には、委ねる。任せる。
「とにかく!快適に楽に解決するならなんでもいいよ!」と、そんな軽さで任せる。
思考じゃ解決策がわからない。これを潔く認めるのもポイント。
思考は、わからないけど何とかしなきゃ!と、ずっとエンジン吹かせてるから…。
ここにいる限り、身動きが取れない。前にも後ろにも行けない。解決もしない。だからと言って何か解決策が見つかるわけでもなく、ただしんどい状況にずっと留まるだけになる。
これが思考に主導権を持たせた解決方法の害。
これを終了するために、サレンダーがある。
自分(人間の思考や自我)じゃわからないことを潔く認めて受け入れ、その上で、確実に分かるであろう「内なる自分」に、やってもらう。
もう全部を。全てを。任せてしまう。あずける。
だって、全部わかるはずだから、笑。
何で分かるかと言うと、内なる自分(宇宙、源)がこの人間の自分を生かし存在させてる大元だから。
人間の自分のこの物語や、起こること。お金や人間関係や健康や恋愛や出来事の全てを、「起こす」のはもうこの源だから。
そこには人間の思考は、関与できるわけがない領域。
人間の自分は、「起こす」ことは出来なくて…
何を「起こすのか?」の、選択をするだけ。
それは、意識を何に向けるか?何を「思考」で「思うか」で決まる。
思考で、「そうだ」「こうなんだ」「こうする」と「思う」ことが選択。思考がやることは、解決ざゃなくて選択だけ。
その後、その先。そこからの展開。
これが、内なる自分が思考にはわからない見えてない次元で、うまく、「起こす」ことがら。
だから、人間の、思考の私たちってのは、まず
「わからない」を、任せることが必要になる。
「わからない」から、「わかる」ようにしなきゃ!を、もう手放す。無理だ、って前向きに諦める。
わからない。わからない"けど"内なる自分にやってもらえるから、大丈夫だ。の「信頼」「委ね」の感覚を持つこと。
そこ、信頼が難しいわ、って思うかもだけど。
そんな時は、この自分の命。心臓の鼓動。肺の呼吸。血液の循環。それらのことを考えてみると良い。
これって、「自分」じゃ、そもそもやってないよね?笑。
こんな重要なことを、もう、委ねてるやん?
任せてる。関与してない。
これ、思考で自分がやれてるわけじゃないよね?
いつ、止まるかわからない。これってみんな、意識してないけど、1番委ねてる部分じゃない?
仮に、1時間後も、この心臓が鼓動してくれてる確信なんてないのに、
明日も普通に鼓動してると信頼して、明日の心配とかしてるんだから、笑。
その事実がわかると、、
どこまで行っても、この「自分」を牛耳ってる。仕切ってる。動かしてる。存在させてるのは「内なる自分」「源」であって、人間の機能としての「思考」ではない、ってこと。
これは、確実にはっきりわかるはず。
思考を使うのは、人間の自分を具体的に、この世界で動かす時だけなんだと思う。
物理的な作業をする時、だよね。
どう動くか。その時に思考で順序を考えればいい。
あと、何かを思考で「望む」時。
その望み自体が「違う場合」ってのが出てくる。その場合、「叶わない」が起きる。
それ、その望みの何が「違う」のか?と言うと…。
要は、この自分に「必要ではない」ってこと。
例えば。
草食動物のキリンが、仮に、「ライオンみたいになりたいと思って、肉が食べたい!」と、望むみたいなこと。
それって、そもそも、「キリン」はキリンで完成されこの世界に存在させられてるわけだから、その根本を「違うもの」に変えるような望みは、成されないと思うんよ。
人間のこの自分も、キリンと同じく、「この自分ですでに完成されてる」からね。
どんなに否定しても、それが真理。
そこを否定して別のものになるよう望むとか、自分に必要ないのに「欲しいんだ!」「必要なんだ!」と望むとか、、それは叶わないんだと思う。
そうやって外側の世界を見て、好き勝手に「望む」のが「思考」だから。
だから、大事なのは「自分に必要なことを、望む」ことじゃないか?と。
で、その「必要なこと」が、うまく内なる自分と一致すれば、1番いい道だよね。
その「必要なこと」を、自然に思考で望めるようになるには、まず、思考の暴走を鎮めることだし、思考自体を止めちゃうこと。
で、もう、任せる。内側から浮かぶものに任せる。それって、つまり…
「自分に必要なことを望める自分」の状態に整える。ってこと。
その時。内なる自分の計画と、思考の自分の望みがピッタリ重なって、叶うのでは?と思う。
思考でちゃんと必要なことを望むのが難しいとか、よくわからんや、って場合に、もう丸投げして全部任せる「サレンダー」が1番手っ取り早いんだろうな、と。
前提として、もう、「自分は大丈夫」「内なる自分居るし」「生かされてるし」「良いようになるっしょ?」の"穏やかな心"で居ることがポイント。
結局、何が起きても、「良い方にとらえて」大丈夫と、思うしかない。人間の私たちがやれるのはこれ。
でもこれ、ほとんどの人は悪い方にとらえるよね。
ほとんどの人、じゃなく。ほとんどの→思考はね。
思考に従う限り、思考を自分にして主導権持たせる限り、もう一生→「悪い方」に変換するし、問題にするし、失敗だし、ダメとするんよ。
ね?
これから、どう生きるか。
もう、結論出たんじゃないかな?
①この自分の全てを仕切ってるのは「内なる自分(宇宙/源)」
②前提としてもう「良い方に行く道」しか用意されてない。
③元々在る「良い方に行く道」に、抵抗するのが「思考」
だから、悪いように見える状況になった時。今はただ思考が抵抗してる「状況」なんだと気づくこと。思考の観察。
④「サレンダー」を思い出す。
内なる自分にぜ〜んぶやってもらう。
起きること全部「これが内なる自分のやり方かぁ、すげーな、サレンダー」って、「良い事に向かって事が起きてる」前提で、起きたことを解釈しとく。
⑤浮かんだアイデアは、とりあえずやってみる。とにかく行動を起こす。
失敗はない。思考で失敗した〜と思っても、どの道、全部を仕切ってる内なる自分がうまくカバーしてくれる。信頼のまま、ただ、「行動」していればいい。
⑤文字通り。
「大舟に乗ったつもりで」今を、あるがまま生きる。
実際「内なる自分/宇宙/源」と言う大船に乗ってるんだから。
以上が、
ざっくり、内なる自分と調和して生きる!
サレンダーのやり方。
スタンス。説明。でした。
(・ω・)ゞ
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