ガスコイン神父が散弾銃を使ってくる本当の理由
鈴原のBloodborne#2を見ていたんだが
今でも感動できるレベル。
すげー面白い。初見の醍醐味、ここに極まれり。
ガスコイン神父に初見で輸血液0、ミリ残しで負ける。
剣の狩人証のテキストより
聖職者こそがもっとも恐ろしい獣になる。
そして、
その瞬間をまさに目の当たりにさせるシナリオ。神がかっている。
【本題】
今回、ガスコイン神父がなぜ散弾銃を使ってくるのかがやっと分かった。
それは、
『敵が使えるのだから、プレイヤーも銃を使えるのでは?』
というプレイヤーへの気づきを与えるためなのだ。
プレイヤーに銃パリィの可能性を少しでも多く気づかせるために、両手斧状態になったあとでも銃を撃ってくる。
どうしてフロムはゲーム内の掟(=両手武器は銃を使えない)を破ってまでその演出をしたのか、ずっとずっと、ずっと疑問だった。
ボスだから特別、という演出以外の理由が今までどうしても思いつかなかった。
けれど、鈴原のおかげでやっと分かった。
そうだったんだな。銃パリィの可能性に繋げるための演出だったんだな。そこにプレイヤーへの確かな導線があったんだね。
Bloodborne、ずっと面白い。まだまだ発見があるだなんて。