傷物語(2024年)|映画を見た感想
ことわり:
日記です。
筆者は15年近く前に小説の傷物語を読んでいます。
アニメは恋物語まで視聴。つい先週~先日までに化物語1~15話を振り返り視聴していました。
傷物語三部作の方は見ていません。
この記事は傷物語(2024年)の映画をあまり褒めていません。
傷物語
・鏡
始まりがさ、ちょっと勿体なかったよね。
俺は気づけなかったんだけど、あれは阿良々木くんが鏡に映るはずの自分が映らなくて動揺していたらしい。なるほど。
もう少し分かりやすくてもよかったんじゃ?
ここが学習塾跡だってこと、冒頭だと分かりにくいよね~。
・初対面
羽川って初対面の男の子にあんなに話しちゃう子だったっけ?
いや、羽川ってキャラが異常すぎて実際のところが分からなくなってきているんだけど、原作ではどうだったんだっけね。
・電信柱
キスショットが倒れていたのって原作だと夜道の電信柱って感じだったよな……?
記憶違いかなと思って(一緒に見た)友人に確認したらやっぱりそうだったわ。
別に変えたっていいけどさ、地下鉄である理由が分からないのよ……。電信柱(街灯)にしないと化物語のつばさキャットとリンクしてこないじゃん。
・学習塾跡
学習塾跡は良かったね。
なんていうか、アニメの学習塾跡の方はその荒んだ廃墟感のせいで(忍野が)単に寝床として選んだだけって感じがしたんだけど、映画の学習塾跡はその整ったところがキスショットの美貌や冷淡さとマッチしていたと思う。
それと、学習塾跡が『学習塾』であり『跡』であるところが阿良々木くんの抱える問題とマッチしていたんだなって、やっと気づいたわけで。
今までの学習塾跡よりもそこにメッセージ性がはっきりと乗りやすくなったんだなって思いました。単なる寝床じゃなかったんだね。
……怪異ってのはもともと"在って"、触れた者はそれに沿うようにしか為らないって話。
阿良々木くんはただの一般人だったのに、噂話を聞いて、自分も血を吸われたいって思ったから、だから吸血鬼に引き合ったってことでいいんだよね。
阿良々木くんがそんなにも『勉強』に思い悩んで、死にたい(※)とまで思っていたなんて、原作を読んでアニメまで見たのに一度も考えたことなかったよ。
そんな阿良々木くんの勉強を中心とした悩みがまよいマイマイ(母の日)に繋がるんだなぁ。
※実際は『植物のようになりたい』くらいが正しい
傷物語とは何なのか? 前編(西尾維新 構造解析視点)にて小説版のあらすじを確認させて頂いた。
・ドラマツルギー
映画の話に戻って。
ドラマツルギー戦はさ、もっと派手にしてもよかったのにと思ったよ。なんというか、あまりにも肉弾戦が過ぎない?
野球描写も、球速が肉体を抉るくらいはあってもよかったのにな。もっと戦闘描写の表現を盛ってくれた方が嬉しかったんだけど。
原作も別にすごい戦闘描写ってわけじゃないから強くは言えないんだけど、せっかくアニメシリーズから離れて映画にしたんだからさ、力を入れるべきなのは間違いなくここじゃん?
うーん、もっとくれ!
・エピソード
エピソード戦は、実はかなり良かった。くそでか十字架を肩に持ってぶん回しているところはアニメーションとして見たかったところだよね。
しかし別のところで不満があった。
エピソード戦のときに、いきなり羽川がぴょこっと姿を現すのである。で、右脇腹を十字架で抉られる。
羽川描写があまりにも無さすぎたせいで、いわゆるよくある『顔だけ出して出しゃばったせいで主人公の足を引っ張るただの不快ヒロイン』になってしまっていた。
あれ~?
羽川ってこんなだったっけ?
小説を読んだときにはそんな記憶は一切無かったんだけどな。
と思って映画が終わったあとに友人に確認したら、やっぱり描写が省かれていたと。そうだよな、食料とか持ってきてくれた話、あったよな、たしか。
そこ、削る? 超大事なところじゃね?
俺、この映画は羽川50%戦闘20%キスショット30%で見に来てるんだけど。羽川シーンを削るな。
羽川の存在『=恩人という設定』って化物語本編、特につばさキャットや猫物語に色濃く受け継がれていく設定だから、ここを蔑ろにしたらまずいんじゃないかな~。現に、俺という視聴者にとっては相当まずかった。
羽川の恩人感が無さすぎたね。
・ギロチンカッター
ギロチンカッター戦。
いやね、
マジでこいつのことを忘れていたレベル。
ま、原作でもあまりにもあっさりとしていたようだけれど。
盛りようがないのは分かるんだけど、寂しいね。小説のときは印象が無さすぎてそれで終わりでよかったけど、映画だとなまじ映像があるせいで哀れみを感じた。
・忍野メメ
で。
うーん。
ここから違和感。
というのは、この映画があまりにも『忍野メメ』に触れてこなさすぎる。
小説では分かりにくかった(というより読んだのが昔すぎて覚えていなかった)
『忍野メメが吸血鬼ハンター三人の攻撃を一度に止める』シーンを映画ではあんなにも強そうに描いているのに、阿良々木くんが忍野という存在について疑問を抱かなさすぎるのだ。
で、ここで俺はうろ覚えながらあるキーワードを思い出す。
『心臓』
心臓はどうしたんだ? 四肢と、もう一つ、あったよな?
鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼であり、怪異の王である不死身のその体が、四肢を斬られた程度で死にかけるのか?
そんなわけはない。
だから。
心臓、無いんだよな?
と、昔読んだ話を思い出しながら推測するように映画を見ていたのだが。
忍野のその正体について深堀せずに話がどんどん進んでいく。
あれ?
あれ?
記憶違いか?
なにせ原作を読んだのが15年くらい前だもの。記憶が薄くなってしまっていても無理はない。
……なんで心臓の話、省いたんだろうなぁ。
・終幕/総評
そこから先の暦VSキスショットはなかなか良かったし、半ば忘れていた『バッドエンドの物語』を映画を見ながら思い出せたのは良かった。
三方向の勢力が不幸を分かち合うことによって物語を落とす。このやり方が結構好きだった。そのことを、また思い出せて本当に良かった。
というわけで。
総評として、傷物語の映画は
『面白かったけど勿体なかった映画』
ということで落ち着いたな。
144分も見せるくせに、間延びしたシーンは削らない、必要なシーンをカットじゃ不満はあるに決まってる。
もともとの三部作版にはそれらのシーンがあるようだけど。
切り貼りするとしたら羽川のシーンをもう二場面程度と心臓の話を差し込むくらいで、間延びした描写や冒頭~地下鉄の吸血鬼までの描写を短くすれば余裕で120分に収まる映画に出来ていたって感覚はあるなぁ。
友人との最終結論は『編集が悪い』で落ち着きましたとさ。