母の期待に答えたかった
はじめまして。花子と申します。
SNSで自分の死にたい気持ちを投稿していたらあるときこのサイトを知り書いてみたいと思い、始めてみました。文章を読むのは好きですが、書くのは初めてなので読みにくいところもあると思います。同じように悩んでいる誰かに届いたらいいなと思って自分のことを書きます。
私は昔から親の希望に答えられるいい子だったと思います。中高はなんとなく生きて、やりたいことがなかったため、母に看護師が似合うよと言われ、看護の学校に行き、3年間で卒業し、国家試験も無事合格し、今年の春に新卒で看護師として大学病院に就職しました。このとき思ったことはお母さんがなってほしい看護師になることができた!のただ1つでした。母も祖母も周りにうちの子どもは看護師になったのよと話して回るくらい私のことを誇りに思ってくれていました。
就職してからは覚えることがたくさんあり、激務と変速業務になれず、いつしかいつ辞めようかなと同期に対して笑って冗談のように話すようになりました。けど看護師は3年間働いて1人前だって言われる暗黙の了解というものがあるので、辞める気はなく、辞めたいといいながらもずっと働き続けるものだと自分でも思っていました。
そんな中ある時から朝の通勤電車で動悸、震え、吐き気が止まらなくなり、パニック状態になるようになってしまい、人生で初めての精神科に受診することになりました。診断は「適応障害」でした。先生から今後どうしていきたいかと聞かれ、私は迷わず休職はしたくないです。不安に効く薬をくれれば働けます。と話し、薬だけ処方してもらい終わりました。私は休職をすることで親の期待を裏切りたくなかったんです。親の期待を裏切るくらいなら自分の身体なんてどうだっていい。
薬を飲んで出勤するようになって一週間たった日、ついに朝、不安で涙が止まらず化粧することができず、服に着替えることもできず、外に出るのが怖く毛布を頭まで被って、泣きながら電話をし、お休みを頂く形になりました。
その後上司と相談した上で有給を使いながら一週間は休んでくれと言ってくださり、少しばかりの休暇を頂くことができました。
休暇中、母に相談をしました。「このまま看護師は続けらないかもしれない。看護師はもう辞めたい。休職を考えてるんだよね。」と。そしたら、母からは「仕事なんて全部辛いんだよ。そんなこと言ったらママだって仕事辞めたいわ。」私は黙って頷くことしか出来ませんでした。私は母が仕事が辛いなら辞めてもいいと思っていました。そして私も限界なら辞めてもいいよって大好きな母に言ってほしかったんだと思います。
頂いた休暇の最終日に再度精神科に行き、先生に「あなたはすでに働ける状態じゃない、休職をしなさい。」と言われ、診断書をもらい、後日職場に提出し、休職しました。
休職が決まった日、帰る前に母に電話をしたら「ポテトあげてあげようか??!!」って嬉しそうに私の大好物を作ろうとしていて、そんな中で「ごめんね。休職することになっちゃったよ。」と言ったら、ただ「そう。」と冷たく一言言われました。こんな子どもで申し訳なく思い、その日は閉店するギリギリまでカフェ過ごし、母が寝た頃にこっそり帰りました。
母のことを恨んでいるわけでも、母が悪いっていうわけでもありません。私は母のことが大好きです。小さい頃から大切に育てられていました。だからこそ、母の希望に答えられなかった自分を許すことができません。
他にもたくさん書きたいことはあるし、ここに書いたことが私の全てではありません。
生きづらさを抱えてる誰かといつか幸せな夢を見ることができますように。