小説家が推奨する積読を確実に消化できる方法とは?
欲しくて買ったはずなのに。読みたくて買ったはずなのに。
気づけば、買ったはいいものの、本棚を圧迫し、溢れだし、縦に積まれていく積読の山。
上のバナー画像は別人の写真ながら、置かれていた状況は似たようなものだった。2m近い高さの本棚が壁一面に並べられ、その数4個。カラーボックスにもビッチリと隙間なく本が詰められ(並びではない)あらゆる棚の上には本が積もっている。
山だ。この山をどうにか、解消しなくてはならない。
たくさんの未消化の本が溜まることで、心を圧迫されるのが嫌だった。
どうして読みたいと思った本に、魅力を感じなくなるのだろう。
どうして、欲しいはずだった、素敵な本に後ろめたさを感じなくてはならないのだろう。
「決めた! 積読を、確実に消化するんじゃない、楽しんで読んでやる!」
私が積読の崩し方を模索しはじめたのは、このような経緯からだった。
本が魅力的じゃなくなる理由
私は本が好きだった。
子どもの頃は『ヘンリーとりゅう』に夢中になった。
小学校の図書館では巨匠手塚治虫の『三つ目がとおる』『ブラックジャック』『火の鳥』をくり返し読んだ。高学年ぐらいからは小説『ダレンシャン』『ゲド戦記』『ネシャン・サーガ』とちゃくちゃくとランクアップしていった。『ハリーポッター』も読んだ。
中学生では西村京太郎にハマり、高校では田中芳樹と出会った。吉川英治や池波正太郎と出会ったのもこの頃だっただろうか。
今では歴史書やビジネス書、小説の資料のために各専門分野の教科書まで読むようになった。いわゆる濫読派と呼ばれる存在だ。
だが一番の悩みは、積読の存在だった。
毎月、いや、毎週のように発売される魅力的な新刊。
古本屋で出会う、これまで出会ったことのない古書。
KindleやBookwalkerで思わず手を出すセール。
どんどんと読みたい本が手に入る環境。
学生の頃はお小遣いの関係から、月に5冊も新刊が買えれば御の字だった。
週末は図書館を利用して、リュックサックをパンパンに詰め行き帰りをしたものだ。制限の中で、とても充実していた。
今は「小説家だから」という体(てい)のいい言いわけができてしまったために、本を買うのに歯止めが効かなくなった。そうして次々と本を買い、リアルでもクラウド上でも未読の本が溢れるようになって……。なんだかどんどん本を買うのが心苦しくなった。
なんだか本から、早く読んでくれ、いつまで放っておくのだ、と声が聞こえてきそうだった。目を逸らし耳をふさぐのも、限界だった。
ある日、とても今読みたい本があって、購入後すぐに読んだ。そのときに、ふっと我に返った。買った直後に読んだ本が素敵なのに、その横で何年も積まれている本がある。
あれだけキラキラと輝いて、読みたくて仕方がないと思って購入した本の数々が、どこか色あせて、魅力を失っている。
こんなはずじゃなかった。本当にだ。こんなはずじゃなかったのだ。
とても素敵でキラキラしたもの、刺激的でワクワクとするものに囲まれて、幸せな気持ちでいれるはずだった。
どうも調べてみると、人は手に入らないもの、まだ持っていないものについては、自分が自分で思っている以上に高い価値を見積もってしまうのが分かった。
・持っていないものは高価値。
・手に入れたものは低価値。
脳の仕組みとして、そう捉えてしまうのだ。
本の価値はいつだって変わらないのに。
時間が経つほど、記憶が薄れるほど、接点がなくなるほど魅力は減る
積読の崩し方に気付いたのは、ほんの些細な心の変化だった。ある日、私はいつものようにECサイトで本を漁っていた。その時、すでに購入した本が関連本のおススメとしてレコメンドされた。
「ああ、この本はもう持ってるんだけどな」
そう思いながらも、私はなぜかクリックした。どこか、なにかが惹かれる思いがあったからだ。そしてタイトル、著者、あらすじ、他の人の感想を読むうちに、ふつふつと読みたい、という意欲が高まるのを感じ始めた。
積まれた本の中身を、具体的に覚えておくことは難しい。
特に積まれてしまえば、目に入る情報は背の部分、つまりほぼタイトルと著者名だけになる。
本を購入するときの動機は、タイトルだけではない。
表紙のイラスト、あらすじ、立ち読みできるなら冒頭部分、読者のレビュー。noteやTwitterでの感想文。そういった、もろもろの情報に興味がかき立てられて購入する。
なら、それを再現すれば良い。
私は本棚を見た。かつて読みたかった本。今は積まれ、埋もれ、いつか手に取られることを静かに待っている数々。そのうちの一冊を無造作に検索した。
やはり刺激的だった。なんだったら要約まで読んだ。良いこと言ってるじゃん。面白そうじゃん。そうそう。だから買ったんだった。どうしてこんな素敵そうな本を放っておいたんだろう?
読んだ。
読んで、次の本を調べ、また読んだ。
繰り返した。なんども、なんども。飽きることなく、倦むことなく。
山となって積まれたたくさんの本の数々が、
少しずつゆっくりと崩されていき、
確実に高さを減らしていき、
心の圧迫感がなくなり、
本棚が空いた。
想像以上に面白い本があり、想像よりも面白くない本もあった。
でも良いのだ。
読まなくては、そんな感想すら抱けなかった。
私は本が好きだと改めて確信できた。
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