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宿命の九州人―セイチョウVSキヨハル(シラス投稿文の抜粋)

✑セイチョウVSキヨハル(小説『砂の器』の私小説性)

私は、これは今回読み直す前から、小説『砂の器』の私小説性について考えていました。以下のURLは、松本清張のお父さんの実家の地域図書館のものです。私は直接その町の図書館か公民館に行ったことがありますが、松本清張コーナーがつくられていました。https://www2.town.nichinan.lg.jp/jinbutu/matumoto-seicho/
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鳥取県は「因幡國」と「伯耆國」、島根県は「出雲國」と「石見國」と「隠岐國」に分かれているのですが、伯耆と出雲は似た方言で、四捨五入するとほぼ同じと言ってもいいと思います。私は、この番組でも触れられた短編『父系の指』或いは『半生の記』と、小説『砂の器』には同じようなモチーフが重低音のように流れているのを感じるのです。

表層意識≒標準語:和賀英良≒清張(セイチョウ)
↓愛着と同時に恥じ、時に憎くすら感じて消そうとする
深層意識≒父, 方言:本浦秀夫≒清張(キヨハル)

また、小説『点と線』では刑事側だった標準語方言二重構造の活用(私小説性)が、小説『砂の器』では犯人側に「深化」していると、私には思われます。
(この、現代日本人が土着的な土俗性を恥じるテーマが、『球形の荒野』に連なっていると、私には思われます。)

◎私の松本清張
父:伯耆の方言(清張)/父:出雲の方言(私)
母:広島の方言(清張)/母:石見の方言(私)
そして:九州の方言(清張)/九州の方言体験(私)

出雲の方言は伯耆の方言は似ているのですが、石見の方言の基本は「しんさい、きんさい」―例:「やめときんさいやぁ」と言ったりして広島や山口の方言と似ています。(石見銀山地域の一部は少しだけ違いますが。)そしてさらに、九州の方言。「ばってん荒川、知らんとか!」と言われた、九州の方言体験。言われるまで、知りませんでした。九州の方、すみませんでした。
m(_ _)m

私が松本清張に不思議な共感を覚えるのは、このような方言環境の類似によります。因みに、「ばってん荒川」というのは、いじわるばあさんのような格好をして「心配せんでよか~♪帰らんちゃよか~♬」という歌を唱っていたローカルタレント、演歌歌手、舞台役者の方です。
(略)
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能登半島地震もあって、『ゼロの焦点』を読んでいます。昨年からのシラス配信における、司馬遼太郎回とこの松本清張回で、司馬遼太郎記念館友の会に復帰し、松本清張記念館友の会には初入会することにしました。『日本の黒い霧』『昭和史発掘』『神々の乱心』、また時代小説『無宿人別帳』『西海道談綺』や歴史小説『山中鹿之助』などは、ゆっくり時間をかけて咀嚼したいと思います。
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(略)
P.S.
大切な指摘を忘れていました。松本清張が描いた人間典型、「はじめ過剰に好かれて後で過剰に嫌われる、宿命の九州人」です。宮部みゆき編『松本清張傑作短篇コレクション』上中下(文春文庫)を熟読し発見しました。○〇エモン氏や元M県知事など、完全にその典型にはまります。その問題意識から、以下の整理を行いました。

☯陰:明治前の日本_対:中印文明
①鎮西(海外直入)→②近畿(日本化事始)→③鎌倉(その完成:型)
①九州(海外直入)→②上方(日本化事始)→③江戸(その完成:型)
☟≒海外文明・外来文化が日本列島に入ってくる方向が逆
☯陽:明治後の日本_対:欧米文明
③ヤポネシア(その完成?)←②京阪神(日本化/東洋好き)←①東京(型/西洋好き)
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