【月刊これ書いて 1】何もなくても【猫】
はじめに
どうも日和です。
これから毎月、寄せられたテーマをもとに文章を書くなどしてみたいと思います。〇〇について書いたものを見てみたい!なんかあればコメントやSNSからのDMでテーマをいただけるとありがたいです。なんせもらえるテーマが無くなると企画として成り立たなくなってしまいますからね。
どのような方向に進んでいくものかは自分でも分かりませんが、テーマをいただき、僕が形にし、そうやって共に育てていくように続けていくことができればいいですね。
それでは以下本編でございます。
何もなくても
神戸に住んでいた時、そのマンションから徒歩2分くらいのところにコンビニがあった。もっぱらコンビニ食で生活していた僕は毎日のようにそこに立ち寄っていたのだけれど、神戸に住んでいた6年の内の2年間くらい、そのコンビニに猫が住み着いていて、僕はその猫と仲良くしていた。
最近仕入れたウイスキーを味わっていると、訳もなく、ふとそんなことが思い出されていきます。
幼い頃、母方の実家に猫がいて、僕は物心着く前から猫が好きだった、というか執着していたらしい。しかし悲しいかな、僕は割と重度の猫アレルギー持ちだった。猫のことを触りたい、触りたい、と願えば願うほどアレルギーで気管支は狭まり、粘膜は腫れ上がり、全身が蕁麻疹に覆われる。これを悲劇と言わず何が悲劇と言えるだろうか。あまりの症状の酷さに(ヒューヒュー言ってたらしい)風呂に放り込まれた記憶もある。アレルギーで息絶えるか溺れ死ぬかの瀬戸際でした、が、それでも猫への執着は増すばかり。
どうしても猫が飼うことが出来ないなら、と道端で出会う猫に猫じゃらしを差し出す日々。そして猫の鳴き真似をして(まぁまぁ長い時間)野良猫に「え?」みたいな困惑の表情を向けられる日々。今思い返すと、なんとおぞましいことをしていたのかと身震いをしてしまいます。洒落にならん。
そんな経緯もあり、野良猫を見かけたらちょっかいをかけずにはいられない僕なのですが、まぁ、猫からしたらたまったもんじゃないですよね。
猫の本心なんか、僕は猫ではないので当然知る由もないし、何かを言葉で訴えられたとしても、彼らの扱う言語は僕の理解できないもの。そりゃあ気持ちよさそうだなとか、嬉しそうだなとか、めっちゃ怒ってるやんけとか、何となくなら少しは察することは出来るけれども。
神戸の市内から少し離れ、住宅街となったあたりを彼らは闊歩している。彼らはもちろん猫であり、これこそが猫だというような、猫たらしめる挙動をするわけなのだが、中には人間なんてちょろいものよ。と、意に介さずにすれ違う猫もいる。
ここで冒頭の場面に戻りますが、このコンビニで出会った猫はさらに違う性格をしていて、懐いてくるわけでもなく、逆に逃げるわけでもなく、まるでこの街、この店が俺のホームだぜと言わんばかりのくつろぎ具合でそこに居座っていた。
コンビニの自動ドアには決して反応しないがドアの前に居る、といった絶妙な距離感。出入りする人の流れに対して餌をせびる様子もなく、時折しっぽを揺らしては人を迎え入れ、そして眠い目をしながら人を見送る。この猫から感じる、言葉にできない暖かな安心感は一体何なのだろうか。
そんな奇妙な感情を覚えつつも距離を詰めることなく、僕と猫のただすれ違うだけの日々は続いていく。この距離を壊してしまうと、この猫はまた違う場所へと身を移してしまうような、そんな気がしていた。
しばらくの間は朝の出勤時間、帰宅する時間、夜中や休日の日中もほとんどその場所を占拠している彼(あるいは彼女)と目配せだけを送り合う日々が続いていた。
ある日、突然いつものようにコンビニ前で人待ちをしていると突然声を掛けられた。何に?と言われても文脈から察して欲しい。
いつもと違い、真っ直ぐ僕を見つめる。ただ、すり寄ってくるわけでもなく、立ち上がるわけでもなく、猫がただ僕を呼んでいる。何故か呼ばれていると感じた僕は、呼ばれるがまま傍らで静かに直る。これはなんと奇妙な光景だろうか。近頃の中学生のカップルなんかよりも初々しさを感じさせる雰囲気である。本当に一体何なのだ。
隣に僕を座らせた猫は満足気に僕を眺め、そして距離を詰めるわけでもなく再び顔を背け、いつものような雰囲気に戻っていた。何をしたいのか訳が分からないが、まぁこんなこともあるのかと、僕はコンビニで買ったコーヒーを片手に、ふーっと白い息を吐いた。
それから毎回ではないものの、たまにお呼ばれされては、隣でただしゃがみこんで時間を潰すようになった。傍から見ればえげつないほどの不審者である。職質されても致し方ない。されなかったのは日頃の行いが良かったからだろう。
相変わらず何をするでもなくて、ただ隣にいるだけ。僕はそれが心地いいと感じるようになっていた。その猫からしても、どこかそのようなことを感じ取ってくれていたのだろうと思う。
しかし、その猫は突然僕の前から姿を消した。
元々毎日その猫がいた訳ではなかったので、特に探したりした訳ではないのですが、今日は、今日も、居ない。
どうやら完全にいなくなってしまったらしい。僕は何故だか、その猫と会うことはもう無いんだろうなと悟りました。根拠はないけれど、そうなんだなと分かっていました。
僕と名前もない野良猫、一人と一匹が横に座り一緒にいるという、何をする訳でもない、ただそれだけの不思議な時間はその瞬間に過去の物へとなった。
翌日から、僕はまたいつも通りの生活をする。特に何かが変わる訳ではない。何かを得たわけでも何かを失った訳でもない。
その猫が何を思っていたのか、今でも分からないし、気まぐれで別の場所に移っていったのか、僕が何か気に触れるようなことをしてしまったのか。何もかも知る由もありません。
コンビニに向かう、その度にまた横目で辺りを見回す。その猫が居た場所は別の何かがいる訳ではなく、ただそこにはもうその猫がいない空間があるだけだ。
僕は神戸の街を離れ、今は別の生活を送っている。
しかし、無くなったモノが占めていた空間を完全に埋め合わせられるモノはなかなかない。代わりのものや新しいものがそこを埋めていたとしても、ふと微妙な隙間があることに気付く。その度に僕は、今日みたいにアルコールに酔いながら、そこにその名前もない野良猫を充てがう。
その猫は何も言わない。何をするでも無い。
けれども、そこにいる。そして僕はその隣にいる。
〆。