『一汁一菜でよいという提案』という本
先日、亡くなった兄が病室で読んでいた本が『一汁一菜でよいという提案』。
4月に病院にお見舞いに行ったときに、兄はベッドで寝ながら私にすすめてくれた。
「いいこと書いてある」って言っていた。
で、私も買った読んでみた。
著者の土井善晴は、関西弁でとても気さくな人という印象がある。
印象だけで書くが、土井善晴の父の土井勝は、とてもまじめで固かった。
それはほとんどテレビ番組『おかずのクッキング』の印象なのだが、土井勝から息子の善晴に変わって、なんか「いいかげん」なしゃべり方だなと思った。
それと共に気さくな感じがしたので、「いいかげん」は、本当の意味で「好い加減」だったのかもしれない。
ともかく、この『一汁一菜でよいという提案』は、料理本ではない。
和食を通じてのエッセイ本である。
「一汁一菜」とは、食事はご飯と具だくさんの味噌汁と香の物があればいいということ。
それは、単に食事のことだけでなく、「思想」であり、「美学」であり、「生き方」である。
なんか難しそうであるが、あのやさしい土井善晴のやさしい語り口が文章に出ている。
失礼ながら、テレビで見る印象よりも文章がいい。
まず最初に、「一生懸命、生活する」とある。
その瞬間を五感で感じて味わうこと。
これはマインドフルネス瞑想ではないか。
こういう丁寧な生活にあこがれがある。
映画『PERFECT DAYS』の役所広司演じる平山さんのような生活。
(これも瞑想映画だった)
いま、その瞬間を味わう。
幸福感を味わうためには、必要なことなんだろう。
感じるということは、「身体」で感じるものと「脳」で感じるものがある。
和食は「脳」でおいしさを感じる。
考え方の背景には、常に「自然」がある。
兄は酒が好きで、酒に合う料理を作っていた。
高校を卒業して、実家を出た兄が、実家の畑の野菜がおいしかった、と言っていた。
退院したら、野菜を育てたいとか。
いつの間にこんな風になったのだと私は思ったが、その意志は感じていた。
丁寧な一生懸命生活することをしてこなかったから、身体を壊して入院しているのに。
しかし、退院することすらなく兄は亡くなった。
2024.08.05
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