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【子育てじゃなくて親育て】


「かか、大好き!」

娘は、今日も朝から私に好きを連発してくる。

「どうしてそんなに『好き』、ってさらっと言えるんだ?」

人生を振り返っても母に
10回も好きを言っていない私からすると


娘はとんでもなく、
すごいことを毎日やっているように思う。

「それはかかと、ととの教育のおかげだよ」
と娘は言うけれど、


はるかに娘のほうが、
私の「好き回数」を上回っている。

私の場合、
「可愛い」は一日に何度も言っているかも。


可愛い、という言葉はとても便利。


さまざまなシチュエーションで使えるから。


単純に、可愛いの時はもちろんのこと
おバカなことしているな~、の時に
バカだなという代わりに「可愛い」を使う。


「バカ」を使わないように
している理由は、


私がバカといわれて
自己肯定感を下げたという
経験からである。


娘たちには、とにかく
自己肯定感を下げる要素を与えたくない。


というわけで、「バカ」の代わりに「可愛い」。

パートナーは「バカ」とすぐに
言うクセががあったので、

とにかく娘たちには
「バカ」ではなく「可愛い」というように懇願した。

時間がかかったけれど、
最近はようやく「可愛い」と
いい慣れてきたみたい。

可愛い談議が続いてしまいそうなので、
話をもとに戻す。


娘が言ったように、
私たちが「教育」、

いわゆる「子育て」をしているという
感覚を私は持っていない。


娘たちが「親育て」をしてくれているのだ。

日々、駄々をこね、わめき散らし、
イライラした感情をダダ洩れさせる
娘たち(特に2番目)に、
私の精神力は磨かれている。

40歳半ばにして、
精神性を向上し続けられているのは
彼女たちのおかげである。


娘と私は違うのだ、
ということを日々感じる。


子供たちのことに関して

「こうすべきだ」とか
「それはだめだ」なんてことは

私には決められない。

もちろん、「こういう風にする手もある」
などと、提案はする。


でも、最後は娘たちの判断に任せる。

2番目の娘に関しては、
まだ発展途上中なので


「言っていることはわかるけど、できない」
「わからない」
「無理」


という言葉が返ってくることが多い。

「言葉には力があるから、
いい言葉を使うといいよ」といっても
ぶす~っとした表情でスルー。


正直、想いが伝わず
少々イラっとすることもあるが


親の言ったことを嫌々やったところで、
のちのち「強制された」という想いが残って
親子関係に歪みが生まれるのは避けたい。


だから、こちらも
「まぁ、いいけどね」とスルー。


娘には忍耐力を鍛えてもらっている。

というわけで、やっぱり私は
「子育て」をしているのではなく
「親育て」してもらっている
のだと思う。


親に愛情表現が上手にできなかった私が、
自分の娘たちに愛情をたっぷりいただいている。

なんとも不思議で、ありがたいことだ。

こんな締めくくりでやっぱり私は泣いてしまう、

生粋の「泣き虫」だ。

私を育て、そして泣くたびに
母のように抱きしめて
頭をなでてくれる娘たちに感謝♪


今日も最後まで
読んでいただきありがとうございました。

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