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映画『箱男』感想

8月31日、ついに映画『箱男』を見に行きました。
本当は公開初日に行きたかったのですが、色々な都合でできず、今回やっと見に行くことができました。

育児や医薬品とプロフィールに書いておきながら、最初の記事が映画の感想になってしまいましたが、私なりに書いてみます。
また、ここから先は、書きやすさを優先して文体を変えます。


私と『箱男』

私が最も愛する作家は安部公房である。
高校生の時に現代文の授業で『赤い繭』を読んで以来、その世界観と表現に射止められた。
比類ない熱量で以て、そのまま大学でも熱心に安部公房の研究に打ち込み、積極的に参加した研究プログラムではいつも安部公房に関する研究成果を発表した。
そして卒業論文ではこれまでの集大成のつもりで、『壁』、『砂の女』、そして『箱男』における「理想郷(ユートピア)」の概念の変遷について大いに論じた。同級生たちは「は???」という顔をしていた。
大学卒業後は研究をやめてしまったが、今でもなお心から愛する作品である。

『箱男』が映画化する……だと???

そんな愛する『箱男』が、映画化するというニュースを聞いて、「は???」と思った。
なぜ今??需要はあるのか??(失礼) 
私にとっては寝耳に水かつ棚からぼたもちだが、なんで???

実際にチケットが販売され私がそれを購入するまで、本当に映画化してくれたのか心から信じることができなかったくらい、驚いた。
なお、「なぜ今??」の答えについては以下のような事情があったようだ。

映画『箱男』の感想

ここから、ネタバレを含むのでまだ見ていない方はご注意ください。



私の感想は、簡単に言うと以下のとおりである。

  • 「やってくれたなあ!!」

  • 「ようやったなあ!!」

  • 「そこまでやるか?」

(1)「やってくれたなあ!!」

何がって、最後の演出である。
見ようによってはありきたりで陳腐な演出だと思われてしまうかもしれない。
しかし、この演出は『箱男』でやるからこそ素晴らしいのである。
小説もそうだが、この映画を見ていると「箱男」という存在をなんとなく見下すような気分になりがちである。
箱男はありていに言って汚いし、きれいなおねーさんの思わせぶりなそぶりに簡単に引っかかるし、箱をかぶった姿は奇妙で本当にゴミみたいに見えてしまう。
しかし、それは箱男の本質ではない。匿名性に守られたうえで、のぞき窓から好きな世界を好きなように見て楽しんでいるのは誰だ?

小説でも、以下のような一説がある。

そこで、考えてみてほしいのだ。いったい誰が、箱男ではなかったのか。誰が、箱男になりそこなったのか。

安部公房『箱男』新潮文庫p.192

私は今まで、この問いに答えが出せていなかった。
小説の中で「ぼく」は、「白状するよ。ぼくは贋者だったんだ。」と述べているが、本当に贋者は「ぼく」だけだったのか?
映画は、これに明確に答えを出した。しかも、最もゾッッとするやり方で。
本当に、やってくれたなあ、もう。

(2)「ようやったなあ!!」

ひとつ断言できることがある。
小説を読まずに映画だけを見た人は、なんのこっちゃよく理解できなかったはずだ。後半部分は特にそうだ。
そして、小説の方を読んだら、小説の方がもっとわけわからないということに気付くはずだ。
そもそも、この「わからなさ」が『箱男』の本質であると私は思う。
どんなに丁寧に読んでいても、『箱男』を読んでいると途中で「誰が何!?」となってしまう。
語り手(ノートの書き手)がぐるぐる回り、「本物」と「贋者」が明確に存在するのにもかかわらず、両者が混ざり合って誰が何なんだか混乱するこの世界観こそが『箱男』なのである。

映画化の話を聞いたとき、私の「は???」には「”あれ”を映画にできるわけなくない???」という気持ちも大いに含まれていた。
語り手である「ノートの書き手」は物理的に定義できる確固とした存在ではなく、ぐるぐる移り変わる概念なのである。
それを映画でどう表現するのか???
石井岳龍監督は、それを見事に表現した。これ以上の表現はないと思う。
ただただ、大いに感服するばかりだった。

(3)「そこまでやるか?」

ワッペン乞食、だいぶ出世してない????

ワッペン乞食の小説での出番はこのくらいだ。

いずれ機会があれば書くつもりだが、とくに「ワッペン乞食」には目の敵にされたものである。連中の縄張りに近づいたとたん、黙殺どころか、過敏すぎるくらいの反応をあびせられるのだ。

安部公房『箱男』新潮文庫p.29

まさか、彼があんなに目立つ存在として出てくるとは思わなかった。
そして予想以上にいいキャラだった。
箱男とワッペン乞食の戦いぶりは、見ようによってはコミカルで笑ってもよさそうな感じがするが、微妙なさじ加減でシリアスでもあった。
そこまでやってくれるとは思わなかった。

また、小説でも軍医と贋医者はだいぶ変態だが、それもしっかり描いてくれていた。
軍医が葉子の髪の毛食べるところ、気持ち悪かったですねぇ~(褒め言葉)
それ以外にも、小説で描かれていた変態っぷりを余すことなく、いや、もしかしたら小説以上に表現してくれていた。

上記はおもしろかった点だが、それ以外にも映画全体を通じて、小説『箱男』を100%、いや、120%表現してくれたことがよくわかったし、制作陣の作品への愛がビシバシ伝わってきた。
心から安部公房『箱男』を愛し理解する者でないと作れない映画だと肌身で感じた。

(4)その他、語りたいこと

箱男のビジュアル、筆舌に尽くしがたいほど素晴らしかったですねぇ……。
小説では「わたし」の軽い口調や行動様式から、なんとなくこぎれいな20~30代前半くらいまでの男性を想像してしまうが、実際に箱男がいたら「こう」なるだろう、というリアルなビジュアルで本当に素晴らしかった。

葉子のつかみどころがなく美しい女性、という人物像も、あまりにも見事に演じられていた。
本当に美しかった。
「見られることが問題にならない」存在は、美しい必要があるとも考えられる。演技力もビジュアルも素晴らしく、100%の「葉子」だった。

贋医者の演技も大好きだった。
特に供述書の場面では、ちょっとした詐欺師のようにペラペラと演技込みでしゃべりまくる感じが、贋医者の周りの目を気にする(=匿名性に憧れる)キャラクターを感じられてよかった。


他にも書き記したいことは山ほどあるし、考察もいろいろとできるけれど、それをしてしまうと記事が一生書き終わらないので、とりあえずこのあたりにしておきます。
インターネットが発達した現代だからこそ、「匿名性」について語れる土壌があまりにも豊かすぎます。論じ始めたら絶対終わらん。

是非見てくださいとは言いにくい映画ではあるのですが、
安部公房ファンは必見であることは間違いないです。
映画好きの方、考察好きの方、箱男になりたい方も是非。

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