薔薇とカスミソウ
娘が10才かそこらの頃、時々花束を買ってくれた。それは母の日や誕生日のような記念日だったり、なんでもない日だったりした。
ある日、彼女は小さな花束を片手に私を見上げて、無邪気に言った。
「カスミソウはまず入れようと思ってたんだ」
「そうなのか。ありがとう」
なんとなく不思議に思いながら、花束を受け取った。店頭には季節に応じて色とりどりの花が並んでいる。優しく淡いピンク、太陽のような黄色、静けさのような青、情熱に似た濃い赤。その花々の前に佇んで、なぜ一番にカスミソウを選んだのだろう。
すると。
「花言葉は感謝。花言葉を調べてから花屋さんに行った」
やはり無邪気にそう言ったのだった。
最近では、花を貰う機会は随分減った。なので、時々、自分で買うようになった。去年の暮れには、新年を迎えるにあたって松と菊とカーネーションを飾った。
花たちは思いがけずよく咲いてくれた。二月の半ばを過ぎても、小さな葉を新たに芽吹かせて、蕾を開こうとしていた。
三月になって花瓶は空になり、洗面台の下にしまい込んだ。けれど、或る晩、外から帰ると、空にしたはずの花瓶が台所の台の上に乗っていて、薔薇とカスミソウが飾ってあった。
「あれ、花だ」
私は思わず言った。見たまんまで、何の情報量も増えていなかった。部屋をのぞき込むと、娘が炬燵にささって黙々とタブレットを操作していた。
「買ってくれたんだ」
娘は顔を上げなかった。耳元を見るとイヤホンを着けている。多分聞こえていなかった。
私は返事を待たずに、ピンクと濃い赤と白を束ねた花束を眺めた。鼻先を近付けると、植物園でかぐような、独特の、土の気配のある花の香りがする。薔薇ってこんなにも香っただろうかと、新しい発見をしたみたいに思った。
昔は薔薇の花に憧れた。そんな風に言ったのを、覚えていて、選んでくれたのかもしれない。今は素朴な花も好みだ。例えばカスミソウは、彩り豊かな花々を束ねるときに添えられる。少し物足りないなというとき、あと一味足したいとき、「キミがいると良い感じにまとまる」という立ち位置の花。派手さはないがいて欲しい。そんな白くて小さな花もまた、いいものだった。
そういったわけで、今日も家には花が飾られている。美しく咲いて、枯れていく。それも風情があっていい。