目の前にある素敵を撮る

先日、とても美味しい珈琲を提供するお店に出会った。

それはランチセットのドリンクで、紅茶も選べたのだけれど、店内に足を踏み入れたときに珈琲豆がショーケースに並んでいるのが見えたので、珈琲に力を入れているお店なのだと気付いて、せっかくだからと珈琲を選んだ。

まず、カップを口元に運んだ途端に、チョコレート色の花の蕾が急激に開くみたいに、濃厚に薫った。日頃飲んでいる喫茶店の珈琲とは全く違う香りだった。ランチ自体はお手頃な価格だったので、不意を突かれた。思いも寄らない芳醇さだった。

なんて美味しいんだろう。

味わい深さを噛みしめている私の横で、夫はおもむろに、目の前に置かれたランチセットをスマートフォンで撮っていた。

パシャ。

その様子を眺めつつ、思い返してみると、夫はお店で何かを食べる前に、スマートフォンを構えていることがよくある。別の日に美味しい焼肉を食べたときにも、久々に生パスタを食べに行った時にも、皿の上の可愛らしいケーキを食べる前にも、写真を撮っていた。

「こういうの、インスタ映えしそうだよね」

などと感心しながら、パシャリと二枚ほど撮った。その後もハンバーグを頬張りつつ、

「すごく美味しい。本格的な味だ」

と感嘆してから、

「お店の厨房に若い男性ばかり入っていて、店内も広くて明るくてゆったりしていて、食事も含めて見栄えが良くて、女性をターゲットにしている完成度の高さがいい」

と、さらに重ねて感嘆していた。

なんというか。目の前にあるものに対して敏感にアンテナを立てて反応していて、私よりもよほど女性的で感性が細やかだな、などと思う。
素敵だな、と心が動いたものに対して、反応していく速度が、多分、私には少し足りていないのだろう。

帰宅するやいなや、夫はソファーに座って、スマートフォンを触り始めた。ランチを食べに行ったお店の系列店が、近所にあるかどうかを検索していた。

「あのお店の珈琲を飲みたい」

そう言いながら、家から電車で五駅ほど行ったところにあることを突き止めた。その先も徒歩で30分ほど掛かるのだけれど、あの、香り豊かでありつつも後味のさっぱりとした飲み口を思い返すと、わざわざ珈琲を飲むためだけに出掛けるのも、悪くないと思える。

おそらく、夫はまたパシャリと写真を撮るのだろう。私はその姿を少し興味深い気持ちで眺める。持っていないものを傍らで眺めるというのもまた、心地良いものなのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!

もちだみわ
お読みくださり、ありがとうございます。 スキ、フォロー、励みになります。頂いたお気持ちを進む力に変えて、創作活動に取り組んで参ります。サポートも大切に遣わさせて頂きます。