ぶんめいの利器でできること。

薄曇りの昼間に、バスで出掛けた帰り道。公園の脇を夫と娘と三人で歩いていると、彼がおもむろに話し始めた。

「知ってる?最近、雀の数が減ってるんだって」

こういうとき、なんとなく、なぞなぞを出されたような心地になる。私は適当と真面目の中間くらいの温度感で答えた。

「そうなんですか。何でだろう。あ、カラスが食べるからですか」

「食べないよ」

夫が即却下する。

「じゃあ、人が食べてるからですか。雀の串焼きってあるでしょう」

「いや。見たことないよね、『あ、道端に雀の足が落ちてる』とか。そんなの見たことないよね。雀の串焼きなんて売ってるの伏見くらいだから」

やや食い気味に念を押されて、私は淡々と返した。

「まあ、確かに、羽が歩道に散乱してたりはしませんね。じゃあ、渡り鳥だから」

「いや、渡らないから」

「そうですか」

少し黙って考えてみたけれど、早々に回答のストックが尽きてしまって、特に思い浮かばなかった。できればもう少しストックを蓄えておきたい、と思いつつ尋ねた。

「なんでですか?」

「木造建築が少なくなってるからなんだって。雀は隙間のある所に巣を作るんだけど、マンションとか機密性の高い建物が増えてきてて、巣を作れないんだって。絶滅危惧種ってほどじゃないらしいけど」

「へえ」

「あ、コアラは絶滅が危ぶまれてるんだって」

「ああ。……動きが遅いからですか?」

「何であなたの中の人間はやたらと動物を狩るの」

彼は私が全部言い切る前に、察したように苦笑した。

「でも、象牙とかは人が狩るからなくなったでしょう」

「そうだけれども」

半分笑いながら、続けて説明してくれた。どうやら菌が媒介しているせいで、コアラの雌が繁殖できなくなっているらしい。

こういう雑学を、夫は時々、教えてくれる。この前は宇宙が最終的には消えてなくなる説があると話していた。私はそれを興味深く聞いているのだけれど、暫くすると、ぼんやりと輪郭だけが記憶に残る。

黙って隣を歩いていた娘が、右手に持ったスマートフォンを私に見えるように少し傾けて、不意に言った。

「お母さん、これは文明の利器なんだよ」

今度は娘の大喜利が始まったのかな、と思いながら、私は言葉を選んだ。

「へえ。文明の利器なんだ。凄いねえ。で、これは何が出来るものなの?」

「これはねえ、人を殴れる」

「人を殴れる」

利器ではなく凶器だった。

確かに四角くて堅いから、角っこを使って全力で振り下ろしたら、きっと相手は怪我をするけれども。

「それは凶器だよね。いま、『文明の利器』って言われたんだけども、その辺にある石ころとかで出来ると思うんだ。他には何が出来る?」

娘はスマートフォンを眺めて、少し間を置いて言った。

「ライトを光らせて目をつぶせる」

「……ああ、それは確かに利器だね」

相変わらず攻撃しかしないな、と思いつつ、私は尋ねた。

「他には何が出来る?」

娘は、ほらここ、というように音声の出るところを指差した。

「相手の耳を潰せる。耳に当てて音量を最大にする」

「今のところその文明の利器、人に危害を加えることしかしないんだけど」

「世界中の大人も子供もつながって、秘密の会話が出来る」

「おお! 秘密の会話」

漸く文明の利器の仕事が素敵な感じになってきた。

「いいね、それ。文明の利器らしくなってきた。全世界でつながるのは凄いねぇ。……って、なんだろう、私たち、漫才みたいなノリで話してない?」

娘も「そう思った」と笑う。

ともかく、彼女が続ける。

「あとは、自分のダンスなんかも全世界に公開できる。北海道からニューヨークまで。直線で」

「直線で?イギリスとかフランスは?」

「北海道の札幌からニューヨークを直線で結んだのが全世界」

「えっ、全世界はそこだけなの?私たちの住んでる所も含まれてないけど」

私は唐突に現れた見知らぬ箱を開けるような気持ちで、期待を込めて、

「じゃあ、ここはどこなの?」

と訊いた。娘は一言。

「宇宙」

と答えた。

宇宙。

「ここ、宇宙だったのか……。知らなかった……」

呟きながら、なにゆえ宇宙なのだろうかと考えた。例えば地球を全世界としたら、その外側は全て宇宙だから、だろうか。

子供は面白い。何でもありなところがいい。何を言い出すか予想が付かないから、私は娘の頭の中にある面白いを知りたくて、つい彼女の話に乗っかってしまう。

「北海道とニューヨークは一直線に……」

娘が何かを言い掛けていた。私たちのすぐ脇の車道を、大きなリラックマのぬいぐるみを積んだ車が通り過ぎた。私は思わず、

「あ、リラックマ」

と呟いた。娘もつられて、

「リラックマでつながっていて」

と言った。

その瞬間、二人して声もなく笑い転げてしまった。

頭の中で、北海道からニューヨークまで一直線に大量のリラックマのぬいぐるみが並んだ。二人とも酔っぱらいみたいな可笑しなテンションで話し続けていたせいで、うっかりツボに入って、暫く身動きが出来なくなった。

娘がケラケラ笑って、

「リラックマが邪魔でその辺りに住んでる人、通れないな」

と、言った。私も私で笑いが中々収まらなくて、

「全世界とつながれて、全世界は北海道からニューヨークまでを一直線でつないだ範囲で、それ以外は宇宙で、全世界は一直線でリラックマでつながってるって所までわかった」

と、一通り復唱した。

これは全て無駄話で、夫曰く、

「今日一日話したことの八割が無駄。閻魔大王に、くだらないことばかり言って、無駄にエネルギーを使っているから、おまえたちは地獄行きだ!って叱られるくらい」

だった。なのだけれど、その八割の無駄な時間が愛おしくて、今日もこうして書いている。

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