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"Dance with me now !"

第一印象は、「変な帽子をかぶっている人」だった。

仕事で同じ部署に配属された時は、まだお互いに直接の関わりはなくて、顔合わせの時にひとこと挨拶を交わしただけだった。
私がデスクのそばまで行って名乗ると、彼は座ったまま、お辞儀をした。変わった帽子をかぶった人だった。浅めのお椀かどんぐりのかさみたいな形をした、黄色と茶色の縞模様の帽子で、みつばちのおしりみたいな色合いだった。

その人と、人生の半分以上の時間を、ともに過ごしている。

あらためて文字に表すと感慨深くもあるけれど、あまり時間の長さを感じない。むしろそんなに経っていたかなと意外に思う。
空気とか、水とか、日が昇って月が光るのと同じように、いつからそこにあったのかを意識しないくらい、私の日々に溶け込んでいる。


彼は毎日を唐突に愉しむ。
先日も、出掛ける準備をしていたら、なんの脈絡もなく踊り始めた。



好きなものを好きと言える。そういうところが、とてもいい。

彼の部屋を、初めて来る人はおもちゃ屋さんみたいと喩える。同じプラモデルの箱が2つずつ、棚の上から天井まで隙間なく積まれている。棚には漫画と小説と組み立てられたプラモデルと写真集とDVDボックス。それから、段ボール箱にしまわれたおもちゃたち。

時々、彼は自分の部屋に物が多いことを憂える。

倉庫のようだと喩えて、片付けたい、物のないすっきりした暮らしがしたいと嘆くのだけれど、私は好きなものが所狭しと飾られているこの部屋を眺めるのが好きだ。好きなものを好きという気持ちを体現しているように思えて、和む。

私には物を集める習慣があまりなくて、うっかりすると、あれもこれも手放そうと画策する。ムーミンの小説に出てくる放浪者のスナフキンくらい、いま必要なものだけを持って暮らせると理想的だ。スナフキンは身軽に生きて行くことを好み、荷物はリュックサックひとつだけなのだ。


「そろそろ棚の中の物を減らそうと思うのですが」

念のために彼にお伺いを立てると、その都度、同じことを言われる。


「これ以上は捨てたらダメ。あなたはほっとくと自分の物をどんどん捨ててしまうから」

「それでも、物を持たない暮らしをしているひとと比べれば、随分と多いのですよ。背の高い棚ひとつ分、しっかりと詰まってるので、リュックサックひとつじゃ到底足りない」

淡々と抵抗する私の首根っこを、彼がきゅっと掴んで、

「ぽいっ」

と言って、猫のように部屋から出された。


彼の生家の部屋の押入れには、段ボール箱に入った謎の私物がまだ幾つか置かれたままになっている。私の親は転勤が多かったため、関西から中部へ、さらに関東から関西へと点々としていたので、彼と結婚するにあたり、親が再び引っ越しをする可能性を考え合わせて、私物を全て引き上げた。

彼は一度住まいを決めたらなるべく動きたくないと言う。私は一箇所に定住したい気持ちがあまりない。

雨露が凌げて、暖かく過ごせて、少しのご飯を食べられるなら、いまのところは彼のいる場所が私の家だ。先のことはわからないけれど、いまはそういう具合になっている。
あとは、歩いて行ける距離にスーパーマーケットと総合病院があると、毎日の暮らしがとても助かる。彼は本屋とおもちゃ屋をこよなく愛しているので、できればそのふたつは自転車で行ける距離にあって欲しい。


彼はいつも、心のどこかに笑いの種を持って暮らしている。ある時、仕事から帰ってきた彼に、果物を剥くよと私が言うと、

「妻は今日、忙しかったのに、そんなことが出来るの?」

「あなたこそでしょう。あったかいお茶でも飲んで、炬燵で座ってきなよ」

すると、彼は大袈裟に両手を上げて言った。


「なんなの、天使なの?」

「……。いや、天使ではない」


私が怪訝な顔をするのをわかっていながら、続ける。


「じゃあ、天使だってことを内緒にしてるの?バレると天使の星に帰らなくちゃいけないから?」

「……ちがう」

「あ、これ夕鶴だ。かぐや姫のつもりで話してたのに」

「……。」


彼は疲れている時もどこかご陽気だ。三日に一度くらい、「踊りましょう」と私の手を取る。それは踊るというよりも、向かい合って、私がされるがままに振り回されているだけのものだ。しかも私は酔いやすいので、軽く二度ほど回されるだけで目が回る。


「……酔う」

「かわいそう。妻、くるくる回されて、かわいそう」


いつもこうして、私の目を回した張本人が慰めてくれる。


出会うまでは人生のどこにも関わっていない、全く知らないひと同士だったのに、思えば遠くへ来たものだ。

「最初は別の会社の面接を受ける予定だったんだけど、気が向いたからたまたま受けた」なんて話を最近聞いた。いままで選んできた進路のどれを選ばなくても、出会わないまま、お互いを知らずに暮らしていたのだと思う。

それぞれが歩んできた時間が偶然交わって、今という閃くような一瞬を、ともに過ごしている。

太陽や月と同じようでいて、明日もそこにあると必ずしも約束されていない優しい時間を、積み重ねている。




" さあ、踊りましょう! "

お手柔らかに頼みます。目が回らない程度にね。

彼の手は、今日も私の世界を地球儀のようにくるくると回す。


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