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食器を割った日。
今朝、またもや皿を割った。濃い青の太い縁取りに白い線で青海波が描かれた、お気に入りの皿である。
右手に持っていた四角形の銘々皿が、指先から不意に滑り落ちて、シンクの小皿と大皿を重ねていた辺りに直撃した。
やったか。と反射的に目をつぶった。破片に触れないように皿を動かす。大皿だけが損壊していた。上から落ちてきた銘々皿の衝撃を、小皿ではなくて下にあった大皿が吸収したみたいだった。ううむ、なるほど、と妙な納得とともに、肩の力を少し抜く。
割れたのが皿で良かった。怪我がなくて良かった。
新聞紙に割れた皿を包みながら、そういう風に、いつも思う。誰が何を割ってもそう思う。
元々は、随分昔に友達から掛けて貰った言葉だった。言われたとき、ハッとした。本当にそうだなと目から鱗が落ちるようだった。これは時々当然、起こり得ることなのだから、安全なのが第一なのだ。
なるべく気持ちをなだらかにして、残念だとか、ごめんとか、またやってしまっただとか、寂しいと思う気持ちは、無視しないで自覚はする。自然に生まれた気持ちを押さえ込まないで、相談するみたいにやっていければ、いいのじゃないかな。
洗い物を終えて、幾つか用事を済ませて、揺り椅子に腰掛けた。ぼんやりと窓の外を眺める。夜眠って朝目覚めると、いつも、軽く体を動かした後のような疲れが、なんとなく漂う。けれど、その手元に残る感覚に対して、昨日の出来事を即答するのが少し難しい。何をしてたっけ。と記憶を緩やかに辿る。そうして、ふと、ああ、沢山歩いたんだった。と思い返す。
朝はバスに乗って出掛けて、そのあと、昼間は市場へ金平糖を買いに行った。それから、川原を散歩した。暖かい日和だった。途中で小腹が空いたので、立ち止まってバナナを食べた。端から見ると絵面的にはちょっと変かなとも思うのだけれど、カリウムが豊富なところと、疲れが蓄積しにくくなる感じが体に合っていて、長めに外に出ているときには、割と鞄の中に入れて持ち歩いている。
散歩の日にしようと思って、少し前からカレンダーに印を付けていた。出掛けられて良かったと噛みしめる。
夜は何をしていただろう。
パジャマ姿の娘が部屋の入口で、夫に通せんぼをしていた。そうして彼女は笑いながら、
「今から繰り返す言葉を言わないと通れません」
と言った。
「リピートアフターミー。お母さんはかわいい」
「お母さんはかわいい」
「いや。もう、なんなのきみたち」
「お母さんは美人で優しい」
「お母さんは美人で優しい」
「嫌がらせか、嫌がらせだな」
私が露骨に怪訝な顔をするのが分かっていてやっているのだ。口を挟んでも、二人とも面白がってまだ続けようとするだけなので、私は彼女らの間に割って入って、二人を引き離した。
すると今度は娘が私の前に立ち塞がった。
「リピートアフターミー」
「リピートアフターミー」
棒読みで返す私に、娘はけらけらと笑い出した。
「そこは繰り返さなくていい」
「そこは繰り返さなくていい」
のらくらと躱しているうちに有耶無耶にならんものかなと思いつつ、じっと見下ろす。
「リピートアフターミー」
「リピートアフターミー」
「私はかわいい」
やはりそうきたな、と私は即座に娘の頬を両手で挟んだ。
「そうだねえ、かわいい子がいるねえ。あー、かわいいかわいい」
言いませんよ、回避するので。返しますので。分かりましたか?
そういう主張も込めて、目一杯娘を撫で回しておいた。
娘に教わったものがあるかと言えば、教えられてばかりだ。気持ちを素直に伝えること。好きな人に言葉の花を一輪ずつ手渡していくこと。束ねれば時に色とりどりの花束になる。
このやり取りもまた、娘の愛情表現のひとつなので、こうして書き留めている。それから、たまに娘が「ムスメモは描かないの?」と訊いてくれるので、そのうち描くためにメモを取るように気を付けている。私は彼女の言葉の響きが面白いと常々思っていて、主にそういうものが残っていく。
最近、色んなことを覚えているのが少しずつ難しくなってきたように感じる。
昨晩のことが、もう遠い。
思い浮かべれば、笑顔が過ぎる。交わした声も温度も、思い出せる。けれど、大切に持っていたい時間たちも、日に晒されて色褪せていく絵のように、所々、読み取れなくなっていくこともあるだろう。
悲しいかと問われれば、悲しくないと言えば嘘になる。けれど、記憶も言葉も、血のように体を巡り巡って、溶けて「私」を作るものの一部に、なっていくのならば、こうして書き留めて置くことで、近い明日か、遠い未来に、読み返して、書かれた言葉を引き金にして思い出し、噛みしめることも出来るのではないかなと、淡い願いを掛けるように、薄く暮れ始めた窓辺を見遣っている。
随分昔に割ってしまった皿のことも、稀に覚えていたりする。お揃いの器で、片割れは洗練とした姿でまだ水屋にあるものだから、12年ほど経った今になっても、なんとなく、覚えていたいのかもしれなかった。なくなったように見えていて、その向こう側にあるものを、覚えていたいのかもしれない。
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