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感触

子供の頃、誰もいない部屋で頭を触られたように感じた。

母にその話をすると、

「亡くなったおじいちゃんが撫でてくれたのよ」

と返ってきた。私は割と何でも鵜呑みにする子供だったので、素朴に、

「へぇ~、そうなのかぁ」

と受け入れた。

その後も、道を歩いていたり、本を読んでいたりと、どこにも誰とも体が触れていない場面で「あれ?いま何か触った?」と感じることがあった。

現在も、映画館などで集中して映像を観ていると、時々、肌にサラサラと撫でられたような感触が沸き起こる。

海辺で風が吹いて素肌に触れる時のような、誰かに撫でられたような感触が肌の上に生じる。特に気持ちが物語に入り込んでいる最中に疾走感のあるカメラワークやエフェクトが入ると、目に見えないものが皮膚に触れていく感触が走る。

うまくいえないのだけれど。映像を視覚で捉え、その反応が、触覚に変換される。

例えば演者が金属を触っているシーンで私が手の中にその金属の冷たさを感じるわけではなく、「何かに触れた」という漠然とした感触が体の中に残る。
映像の中で人物が何かに触れる。その手の動きに意識を集中し過ぎていると、触った感覚が意識の中に残る。私はこの感触が何かのバグみたいで気持ち悪いので、基本時に集中して見すぎないようにしている。

或いは、映像を見ていると体の内側に質量を感じることがある。この感覚は、何に似ているだろう。不意に、空気でできた球や長方形の立体物が体の内側に発生する。それはパッと瞬時に現れるのだ。実体がないけれど質量があって、概念としては幽霊や、圧縮された空気に近いと思う。塊であるという感触があり、存在感がある。それは現れた時と同じく瞬時に消える。

この一連の感触が何なのかは私自身、よくわからない。言語以外の感情表現、とも言えるのだろうか。
普段はなるべく発動させないように暮らしているので、掘り下げたことがない。

なぜ掘り下げてこなかったのか、遠ざけてきたのかというと、見たもの、目から入った情報が、感触に変換される、という感覚はなんというかすごく落ち着かないのだ。体にまとわりつくように残ってソワソワする。

この感覚を子供の頃から磨いていれば、氷山のシーンでは肌の上に凍てつくような温度を感じたりできたのだろうか。それは日常生活がすごく不便に違いないけれど、4D体験し放題だ。でも私は素朴な日常でいい。

子供の頃、あのひだまりの部屋で、おじいちゃんが頭を撫でにきてくれたのかはわからない。見えないものが肌に触れてくるこの感覚も、幽霊も、証明できないという意味では同じことだ。とりあえず私はこの先も、不意にソワソワする感触とともに映画を観る。

この不審な話を最後まで聞いてくれたあなたは、きっと優しい人にちがいない。今まで私も不審に思って誰にも言わないできたのだが、気が向いて書いておきたくなった。聞いてくれてどうもありがとう。


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もちだみわ
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