雑な人の日記。20220127

三本立ての夢を見て、この感覚だと二・三時間は寝たなと思いつつ、枕元のスマートフォンに手を伸ばしてみると、35分ほどしか経っていなかった。

そういう夜更けが時々ある。

日々、時間の隙間を縫うように眠る。早く夜が明ければいいのにと思う日もあれば、夜の中に少しでも長くいられればいいのにと思うときもあった。

タイムラインも動かなくなり、窓の外の空気が静まり返っている時間。例えば矢のようにして発した声が、まっすぐ向こう側へすうっと吸い込まれていくようなへ、真っ黒で、艶やかで、星もないのに光る夜に、記憶に残らない薄い夢をいくつも飛び越えながら、ウトウトと目を閉じて過ごす。

寝ているのに、朝覚めても眠い。それから手や体にある独特のぼんやりとした感覚。多分花粉も飛び始めている。抗アレルギー薬を常時服用している程度にアレルギー体質なので、そのあたりも眠気に影響しているのだと思う。

暖かい部屋でパソコンの前に座り続けていると、けだるく感じた。立ち上がって部屋のエアコンを停めて、そのまま炬燵のスイッチを切り、部屋の明かりを消す。
開放した引き戸から廊下側の冷たい空気が流れ込んできて、少し涼しくなって、ほっとする。窓から差す曇りがちの日光だけの、薄ぼんやりとした明るさが気楽だった。
蛍光灯の明かりが今日は特に眩しかったらしいと、電気を消してから気が付く。それから、掛けっぱなしの眼鏡も外す。体に触れる物は指輪でも少し気になる時がある。だから時計も人と会うときにだけつける。

日記といいつつ、書いているけれど、いま書きつくるこの文章自体には、目的も目的地も宛先もない。伝えたいことがないのではなくて、伝えたいという気持ちが低空を維持して飛び立てないまま、微睡みと隣合わせで書いている。

ここのところおやすみの時間が続いている。なので、今のうちに取り組んでおこうと、パソコンを毎日起ち上げて、表と数値とにらめっこしている。
数値はそこかしこと連動しているので、一つずつ転記しては帳尻を合わせて、狂いがないかを確かめる。もしくは、入力ミスをしていない前提で、見直しを省略して、手を止めず振り返らずに進める。

目処の付くところまで済ませたら、次は二月のうちに、部屋を地道に片付け切ってしまう。それから、何年も現像しないままパソコンの中で溜まりに溜まっている膨大な枚数の写真たちも、毎月少しずつ選別して、プリントしてファイルに綴じていく。

やろうと思ってやらずにしてきていることを、パンをひとかじりするみたいに、とにかく齧ってみる。
このパン、食べ切れるだろうか、と躊躇することも多いけれど、思うよりも食べ始めてみたら、どこまで口に入るのかが分かる。難しければ、切って残して冷凍しておいて、またあとで食べればいい。
必ずしも、常にやり尽くす必要もない。自分に出来る限りの所まで手を伸ばしたなら、そこが次の始まりの場所になるのだろう。

少しずつ、小さく、進めていく。終わらせていく。もしくは、叶えていく。いまは何に於いてもそういう風に、やっていけたらいいと思う。

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