アガッたり、サガッたり。
気分にムラがある。
娘からはよく、「お母さんは怒っていても楽しんでいても表情があまり変わらないから、どっちなのか分からない」と言われる。例えば、娘へ滔々と説教をたれていても、「いま娘に対して怒っている」というよりも、「ちょっとムッとしているかも知れないな」という程度の自覚に留まる。感情は全く私の体の外へ漏れず、声色にもにじまず、空気を揺るがさない。なので娘は平然としている。果たして話の内容は彼女の心に響いているのだろうかと疑問を抱くのだけれど、平和といえば平和である。
そんな淡々とした調子で暮らしているが、皮膚を一枚めくったら、中身は割と浮き沈みしている。
仮に、感情が描く線グラフの横軸をx、縦軸をyとした時。yの値が0に近づくにつれて気持ちの落ち込みが大きくなり、100が元気過ぎる状態として。ちょっと凹んでいる時を20、比較的落ち着いているときを60とすると、その許容範囲内で揺れ動く感情は、平均すると40くらいのライン上にある。
昔の私は今よりもっとずっと元気で、やや高めの80くらいで動いていた。それに比べると今の私は随分おとなしい。
抑うつ傾向とは元気一杯だった頃からの付き合いで、全力で後ろを向きながら精一杯前へ向かって走っている感じの、エネルギーの使い方がとても非効率な生き方をしていた。そうして、よく笑って、よく悔しくて泣いた。今の私が昔と同じ出力で動いたら、多分半日と心身が保たない。
うっかりすると感情のグラフが0へ向かってストンと落ちる予感がふんわりとある。真冬に氷の張った池の上でスケートをしている感覚に似ているかもしれない。足元の氷の下には水がある。氷で覆われていて見えないけれど、水がたゆたっている。凍り切らずにそこにある。そんな風に、あるけれど見えない不安の気配が漂う。
また、感情は不意にご機嫌な方向へ向かうこともある。雨降りでも曇り空でもお構いなく、ポカポカな上昇気流が予告もなしにポコポコ生まれて、突然、妙な陽気になる。
その氷の冷たさと、日差しの奇妙な温かさが、平均40を保とうとする感情の波の中に、両方とも同時に存在する。その双方を、上がりすぎないように下りすぎないようにと制御しながら、日々、淡々と暮らしている。
別にご機嫌でもなかったのに、今さっき、一瞬、鼻歌を歌い出しそうだったな。と気づく瞬間もある。
特に落ち込むことも起きていないのに、ふと胸のどこか、針の先ほどの一点が、冷たくなることもある。
その二つの温度は、混ぜて割って平均してしまえば丁度いい塩梅になりそうだけど、別個にかつ同時に在るので、私の中身は一日の中でも割とフワフワと浮き沈みを繰り返している。
そういうのにも随分慣れた。
なにか不便があるとするならば、薬の副作用で眠気があることだ。ただ、この副作用で夜中眠っているし、オプションのようについてくる片頭痛を抑える作用は、片頭痛持ちの私としてはありがたい。
こんな感じで、薬に助けてもらいながら、フワフワと波打ちながら暮らしている。