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こまごまとまとめ

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テキストやトーク、エッセイのような記事などを、あれこれとまとめ。
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記事一覧

おろしたミュールで出かけたら

靴箱の奥でオフホワイトのミュールが出番を待っていた。ヒールはやや高め。つま先と足の甲の当たる部分にそれぞれ同系色のベルトが通っている。グレーの花があしらわれたデザインが気に入っていて、いつか機会を見て履こうと、季節ごとに取り出しては眺めていた。 先日、買ったばかりの服とスカートを姿見の前で合わせていた時に、ふと、これにミュールを合わせて散歩したら楽しそうだと思った。気が向いたらその時とばかりに、魔法瓶に水を入れてカバンに投げ込み、スカートを風に翻しながら自転車に乗ってでかけ

卵とわたし

錦糸卵を作っている。 まず、卵焼き器にサラダ油を垂らす。次に、卵をボウルに割り入れてかき混ぜる。卵焼き器をコンロの火にかけて、卵液を流し込む。火が通ったらまな板にあげて千切りにする。 私にとって、卵料理は難しい。 まず火加減。火がすぐに通ってしまうので、卵焼きも錦糸卵も、終始弱火にしておかないと見る間に身が固くなってしまう。 それから、卵を割る手順。これも中々難しい。片手で割る人もいるらしいけれど、なんて器用なんだろう。私がやるとまんまと卵を握り潰して、飛び散った卵液

”ほら見て、おしりが落ちてるよ“

真昼の炎天下、スーパーを出てすぐの歩道で、アオムシと遭遇した。 この道は買い物客や自転車が普段から行き交う。よく踏み潰されずに無事でいたものだ。驚くほど堂々と道の真ん中にいた。ぷっくりとふくよかな体は優雅ですらある。色は鮮やかな緑。中指くらいの大き さで、立派に成長して、もうすぐ蛹になりそうだ。 「なんでこんなところに。踏まれてしまうよ」 私はアオムシに話しかけるようにそばにしゃがむと、辺りに視線を巡らせた。アオムシを歩道からすくい取るのに丁度いいサイズの葉っぱが欲しい。

あなたや私を分けるもの

最近、アプリのユーザー登録やアンケートの回答で性別を尋ねられる際、「男女」の二択だけではなく、三つ目の選択肢、「無回答」「その他」「答えたくない」等を伴うようにもなってきた。性別への触れ方が少しずつ変わってきている。 性別は日常生活の中で折につけ問われるものの一つだ。それは住所や氏名や年齢と並んで、その人を識別する材料の一端となるからだろう。 娘の通う学校でも、女子の制服はスラックスとスカートのどちらを履いても良いし、首元もリボンとネクタイを両方選べる。 入学する少し前、

海と魚を眺めたい。

言葉もなく思い思いに絶え間なくゆらめいて動くものを、眺めていたくなる時がある。 砂浜に打ち寄せる波が、サアっと薄い膜のように広がり泡立って消える。波打ち際を点々と足跡をつけながら、特に目的もなく歩く。水平線はのんびりと碧く伸び、風が背中を押すように吹いている。水面に浮かぶ日差しが砕けるのを、眩しさに目を細めながら眺めて、やがて訪れる夕暮れを待つ。そういう平らかな時間を味わいたくて、たまに海へと足を運ぶ。 梅雨のまだ涼しいうちに行っておきたいのだけれど、今年は夏が来るのがと

最近本を読んでいる

本を浴びるように読む人というのは興味深いもので、 「小説を10冊買っても面白いのはせいぜい4冊くらいで、あとはつまらない」 などと文句を言いつつ、本屋へ足しげく通う。 「例えばどれがよかった?」 と尋ねると、 「この本は面白い。あとこれも。これは血と肉の描写がグロテスク」 そう言いながら、迷いなく背表紙を指差していく。本屋の本棚なのにまるで自宅の本棚からお薦めの本を選ぶみたいに慣れた手つきだ。書籍の配置を把握できるくらい頻繁に、足を運んでいるのだろう。 また、い

最近飲んだお酒について

三年前につけた梅酒を久々に飲んだら、つけた時よりも美味しくなっていた。 梅酒はホワイトリカーと氷砂糖で漬けた。ホワイトリカーは果実酒を作るときに使われる焼酎のことで、アルコール度は35度ある。常温保存でも痛まない度数だ。梅の実はいれっぱなしにしておくとしおれると聞いたので、半年で取り出してちょっとずつ食べた。 あんまり梅酒が美味しくて、調子に乗って二合ほどスルスルと飲んだ。このペースでいくと簡単に瓶の中身を飲み尽くしてしまうと危惧した私は、梅酒を冷蔵庫にあったホワイトリカ

思考の形はそれぞれに。

例えば夢を見ている時。あなたの夢は、カラーですか?それともモノクロですか? 8割がカラー、2割はモノクロの夢を見ると言われています。それはカラーテレビの普及によるものと言われたり、その人が色彩に対して興味があるか否かに左右されているとも言われています。夢に関してはまだ未知の領域が多く、断定して論じるのが難しい側面も多いようです。 その中で示されることの一つとして、明晰夢があります。これが夢だと自覚できること、知覚、聴覚、触覚などが現実にかなり近いこと、それは、人が毎日見る夢

蟻の気持ちがわからない

台所にたまに蟻が出没する。 体長2mmほどの極めて小さな黒い蟻が、一匹、どこからともなく現れて、グレーのガラストップコンロの天面を、右端から左端へ音もなく歩いていく。 時に、木製の水屋の奥にある珈琲の粉を取ろうと扉を開けた瞬間に、或いは、シンクで食器を洗っている瞬間に、棚の縁やシンクの縁を歩く彼らとエンカウントする。 わからないのは、何故かいつも一匹か二匹で出現する。列を作るでも群れを成すでもないのだ。一体彼らはどこから来てどこへ帰って行くのだろう。 数年前に、和室のサ

力を抜いて漂っている。

ちょっと一息ついている。 抽象的な表現をすると、波間にプカプカと体を浮かべて、手足の力を抜いてダラッとしている。次の波がザブンときて頭から海水をかぶっても息が十分持つように、今は息継ぎをしている。 ここの所、少しパタパタとしていた。大抵、何が起きても、いつものこととして受け流したり、そういうこともあると受け止めたりするのだけれど、今回は想定と全く異なるところから物事が大きく動いた。 予想をしていなかったので、まぁまぁ驚いている。 ただ、何事もなるようになるし、なるよう

何気なく、歌を歌っていたところ

小学校や中学校の、音楽の時間が好きでした。 鉄琴や木琴や太鼓を用いた合奏の時間は、楽器が奏でる様々な質感の音に包まれる感覚が心地良く、また、合唱曲をパートごとに分かれて全員でハーモニーを響かせて歌う時間は、音楽と詞が体の中を駆け巡って心に問いかけたり、雨や風や日差しみたいに歌を全身に浴びる感覚が好きでした。 実家に住んでいた頃は、家に誰もいない休日の晴れた昼下がりに、「野生の馬」や「みんなひとつの生命だから」を、部屋を歩き回りながら伸び伸びと歌っていました。多分、隣家の人は

髪を短くしてみたり。

肩まで伸びていた髪を短く切ってもらった。 なので、ここ数日、玄関の姿見の前を横切る度に、「おや、短い」と視線を止めて、「あぁ、そうだ、美容院へ行ったんだ」と我に返るのを繰り返している。 モノグサなので、一旦短くするとしばらく伸ばしっぱなしになる。前回カットに行ってから数ヶ月の間、後ろで一つに束ねて過ごしていたので、今の髪型の自分のシルエットがまだ見慣れない。 駅前の美容院のソファで待つ間、店内を眺めていた。明るい天井の丸い照明。壁に掛けられた曇りのない鏡たち。その前で談笑

それは小さな別れの日。

雲一つない青空が眼前に広がっていた。 11時45分。待ち合わせ場所に現れた知人は、最後に会った日とさほど変わらない印象をまとって、私の傍らに佇んだ。 風のない好天に恵まれ、温かな日差しを背に受けながら、おのぼりさんみたいにタワーを眺めた。静かにゆったりと話す口調が懐かしくて、遠い記憶が呼び起こされる。会社に入ったばかりの頃に一緒にした仕事のこと。深夜の残業時間中、誰もいない筈の部屋から人の気配がして震え上がったこと。もう随分と昔の思い出話をポツリポツリと交わす時間は、クロー

年の始めに筆を走らす

毎年、一月二日になると親子で書き初めをする。 朝、三人でお重を囲んでお雑煮とおせちをつまんだあと、習字道具を二揃い、部屋にセッティングした。一つは娘が学校の書写の授業で使っている習字セットで、もう一つは私が小学生の頃から使っていたものだ。時々筆を買い替えるものの、硯も文鎮も未だに壊れる気配もなく長持ちしてくれている。 炬燵の横に小さな折りたたみ机を置き、部屋の隅に新聞紙を敷きつめて、墨で文字を書いた半紙を乾かすためのスペースを確保すると、準備はだいたい整う。 まず夫が小