2023年 ふりかえり~前編~
久しぶりにnoteのアカウントを作りました。最近はアウトプットから逃げている感覚があったので、noteを使って大学卒業までに自分の考えや思いを伝えられるようにしたいです🥲
最初の投稿は2023年のふりかえり前編です。今年もいろいろありました。
①2023年1月「できないと言われると、燃える自分」
約1年前、私は何をしていたんだろうと思い出すと、1番に思い出されるのは「卒業論文」で研究したいことを完全に否定されたことでした。
私は「社会科教育ゼミ」に所属しています。
このゼミの先輩方は「社会科」の授業実践に関することを卒業論文で書いていました。
そんなゼミにいる私が研究しているのは「地域とともにある学校づくり」と「学校を核とした地域づくり」についてです。
私個人としては、それらの研究は、専門の社会科にも関連が出てくるものだと思っています。そして、札幌市への人口集中が止まらない、その他の地域の過疎化、「何も無いまち」と唄う人がいる現状があると思います。私はそれを何とか少しでも変えたいと思うようになりました。
しかし、社会科の授業づくりを専門とした人たちにとっては、私の卒業論文なんかは興味がありません。そして、地域と学校が連携・協働するこの教育活動を研究して、提案するのは無理だと先輩に言われました。
それは、これまで一生懸命研究してきたものを潰されたような感覚でした。その日、大学から帰ると悔しさのあまり涙が止まりませんでした。
数日、落ち込んではいましたが、
「知らない他人にできないと言われても、自分の研究したいことややりたいことは曲げたくない。この研究を通して、『自分のまちには何も無い』と話す子どもや大人を少しでも減らしたい。そんなことができる人間になりたい。
という一心のもと、以前よりも卒業論文に対する熱が上がり、自分の心にも火がつきました。
②2023年2月~4月「がむしゃらに勉強する日々」
この期間の記憶がほとんど無く、カレンダーを観ても特に大きな行事もありませんでした。
その理由は、教員採用試験を受検するための勉強をしていたからでした。今となっては懐かしいです。
この時期の唯一の思い出は、高校時代からの大好きな友人と好きなアイドルグループのライブに一緒に行けたことです。
私が東京に行ったのは、15年振りくらいでした。あまり北海道を出る機会がなかったので、「こんなに広い世界が日本にもあるのか」と強く感じたことを覚えています。
電車に乗り遅れても、数分後にはまた違う電車が来る。バスの本数もたくさんある。様々な会社の電車が多く走る。北海道にはあまりない光景でした。
ライブの前に国立科学博物館にも行って、教材研究もしてきました。私の専門は社会科ですが、教科等横断的な授業を行うには他教科の学びも必要だと感じました。もう1回行きたいです。
③2023年5月「小学校での教育実習」
私の所属している大学は、教員免許の取得を卒業必要要件としています。
私は中学校社会科を主免許としていますが、副免許として小学校1種も取ります。そのため、5月に7日間だけ小学校で教育実習に行きました。
小学生の元気やかわいさをエネルギーにして、既に教採の勉強でヘトヘトだった体を何とかつなぎ止めました。
この実習では、多くの先生からたくさんのことを学ぶことができました。特に印象に残っているのは、教頭先生から頂いたこの言葉でした。
この付箋をもとに、私は「無意識なうちに心を引かれるもの」を探し始めることになります。これが後の活動に繋がっていきました。
④2023年6月~8月中旬「一生懸命走った後に訪れた失望」
6月に教員採用試験の1次試験を受検し、無事に1次試験は突破しました。
1次試験が終わってからは面接対策のために東京アカデミーにも通って、ひたすら面接練習を重ねました。あの時期は志望動機の深堀りを考えていました。
友人ともたくさん面接練習をして、8月上旬の本番に備えました。こういった面接試験も大学入試以来で、非常に緊張した思い出があります。
2次試験が終わったのも束の間、私は大学で司書教諭の任用資格を取得するために集中講義を友人とともに2つ受けていました。
その友人との会話で、衝撃が走ります。
「私の面接官、面接中に寝ていたんだけれど~!どういうこと~?」
その話を聞き、私は驚きのあまり言葉を失います。そして、私は4年前の大学入試の事件も思い出します。
レポート作成の試験で、大学の教授がいびきをかいて寝ている。
その事件も相まって、私は小さい頃から憧れていた「学校の先生」に対する見方が大きく変化していきます。
1年を1つの記事に収めるのができなかったので、後編は明日書きます✏️
最後までお読み頂き、ありがとうございました🙇♂️
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